この世界で生きてゆくために

ありふれた毎日を繰り返し、時は過ぎていってしまう。
でも、どんな小さい事でも、優しい瞳で世界を見つめたい

心の死、自我の崩壊。2.26事件、その3

2008年02月15日 20時21分08秒 | 最終楽章
「パパさん、もう止めてください」
と言う悲痛な声が私には聞こえる。

何が私をそこまで追い詰めたのか?

社会情勢なのか?
両親の老い、自分の加齢という時間の流れなのか?
インターネットの普及という進歩なのか?
そういう外圧なのか。

自分が障がい者であるという負い目なのか?
心を患っているという事実なのか?
そういう内圧なのか。

私はこれまで、張り詰めた糸を引きちぎるようにして生きてきた。
切れてしまうまで自分を追い詰め、そして切れてしまう。
しかし、また結びなおし、また切れるまで引っ張る。
その繰り返しの人生だった。

今回の心の死は、ただの一本の糸ではなく、
外圧という縦糸と、内圧と言う横糸で編んだ布切れを、
まるで引きちぎるように引き裂いた。

理由がひとつな訳がない。

私は今、生き地獄の中で、泥だらけになり生き恥を晒している。
「もう止めて」という、少年少女達の悲鳴を聞きながら。

私の事はもういい。
マラソンにたとえれば折り返し地点をとうに過ぎ、帰路に向かっている。
しかし少年少女たちは、まだ上り坂だ。
もしかしたら競技場でさえ、出ていないのかもしれない。
私の人生は山の頂上を過ぎた。
あとは、惰性で転がり落ちていけばいい。

しかし、君達は違う。
私の生き方の真似をしては、決してならない。


本来なら、生き恥など晒さずに、何度も名誉を挽回できる時期があった。
DBに来た時だってそうだったんだろう。
しかし、私は嘘に嘘を塗り重ね、英雄になってしまった。

光を、その光が強ければ強いほど、私は輝く。
そして足元には、光が強いほど、濃い影が浮かび上がってしまう。
DBのせいではない。
私自身の落ち度なのだ。

私は今、生き地獄と言う底なしの沼で必死にあげきもがいている。
普通、40にもなれば、泥だらけになろうが、沈んで行こうが、
関係なく、進む道が底なのか、天井なのかは、知らないが
みんな平静に沈むものは沈み、浮かび上がるものは浮かぶ。

私が他の40代と比べて違う点といえば、
それは泥だらけになりながらも、必死にあげき苦しんでいる点だろう。

それが乱反射し、時には美しいスペクトラムのプリズム光線を反射し、
キラキラ光る。
DBに来て、私を慕ってくれた人。
エクサのブログに来て、私のブログを読み続けてくれた人。

みんなは、そのもがき苦しみながら、キラキラ光る光に、
他人とは違う、おおきな子どもの私に、何かを感じたのかもしれない。

そして、その感じてくれたみんなに対し、
私は、死んでしまった心の再生を誓う。

まずは、喜怒哀楽の感情を、自らの手で再生する。

本を読んだり漫画を見たり、アニメを見たりドラマを見たり。
音楽を聴いたりして、壊れた心のかけらを結びつける、
そして新しい別の細胞組織から作る、心の「再生医療」に取り組む。

それが、この世界で生きてゆくためにの「最終楽章」なのだ。

始めにも断っておいたが、これは終わりではない。
心の再生という、誰もが通過しなければ生きてゆけないほど壊れた社会の中で、
生きるために、私が実験台となって、心の再生医療を実践する。

世界にひとつだけの花

2008年02月14日 15時50分03秒 | メルヘン
この記事は一昨年、11月末に書いた物である。
あまりにもショッキングな私のブログになってしまった。
だから一服の清涼剤として、みんなに読んで欲しい。
タイトルは「世界にひとつだけの花」であった。
以下、当時の記事。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぼくは半分、嫌気がさしていた。
ひねくれていたのかもしれない。

花屋の店先に並ぶ花が、綺麗なのは当然じゃないか。
どの花だって綺麗だから、花屋さんに並ぶんだ。

明日から12月。
だからアスファルトの上を吹きぬける風は刺すように痛い。

ひとりでボヤいていたら
エクサさんという人が立ち止まって、ぼくを見た。

雑草の君だって、二酸化炭素を吸ってくれて酸素を作ってくれる。
だから大切な自然の仲間なんだよ。

そう言ってくれた。
でもぼくはもっと、ひねくれてしまった。

人間のために光合成をしている訳じゃない。

そりゃそうだ、とエクサさんは微笑んだ。
そして、昔に活躍したプロ野球の投手の話をしてくれた。

「草魂」
そうこん、と読むらしい。

雑草のように強く生きる。
ぼくの事を例えにした人がいるんだ、と驚いた。

夕暮れの歩道に傾いた太陽の光が、オレンジ色の空へと染めていく。
誰が忘れたのか、一枚のハンカチが折りたたまれたまま落ちていた。

豊かになると、忘れてしまう事が多いんだよ。
エクサさんが、ポツリと呟いた。

でもエクサさんは、そのハンカチを拾う事もしない。

落とした人が探しに、道を遡って来てくれるカナ。
もったい無いと、違う人が拾って洗濯をし、また使ってくれるカナ。

それとも、雨が降り、泥まみれに汚れて、いつかは捨てられてしまうのカナ。

未来の事は、誰にも分からないんだよ。
そういってエクサさんは、遠い目をして夕日を見つめている。

そうそう、人間の世界でも「花屋に並ばない」花のような人が居ると話してくれた。
憲法に保障された、健康で文化的な最低限度の生活が、どうたらこうたら。

ぼくには、意味がよく分からなかった。
ただ、人間の世界でも格差が広がり、生きてゆけない人。
小さい体に虐待を受ける人。
長い間、がんばってきたのに、ひどい仕打ちを受ける人。

問題は沢山あるらしい。

また風が吹きぬけると、
七色に染まった落ち葉が、アスファルトの上で舞う。

エクサさんは、綺麗だな。
そう言って自分の車へ乗り込み、走り去っていった。

心の死、自我の崩壊。2.26事件、その2

2008年02月14日 15時45分15秒 | 最終楽章
私には未来を予測する力がある。
正確には、私が買うものが数年後、十数年後に流行り、
私の行う行為が、数年後、十数年後に流行するのだ。

今から30年以上前、電気はアナログ回路が主流だった。
そこに0と1という考え方で構成されるデジタル回路、
つまりコンピューターが民生(一般)に流れ出した。

私は小学生から中学生になるまで、理科が大好き人間で、
中学ではアマチュア無線部に所属していた。
放送委員会にも入り、アナウンサーとして活躍していた。
その時、はじめて「マイコン=マイクロコンピューター」という物を知った。
理系の血が騒いだ。これが将来何かを起こす。私は、そう確信した。
まだファミコンどころか、キーボードのついたパソコンの無い時代。
むき出しの基盤に、トランジスタやICがハンダ付けされ、
入力装置は数個のボタン、出力装置はLEDしか無いマイコンに。
当時コンピューターと言えば、大学の研究機関や銀行などの大企業、
軍隊を含む政府に「汎用コンピューター」しかない時代。
それが30年経った今、小学生でも使えるインターネットの時代を迎えている。

中学生の頃、私は国鉄(現JR)の職員になるのが夢だった。
だが国鉄は東京上野の岩倉鉄道学園の卒業生で近親者にコネがある者、
大学卒業者で非常に優秀で、やはりコネがある者しか入社できない。
私は一般高校に進学し、障がい者になってしまい、鉄道の運転士から夢を
自動車の運転に変更し、免許を取った。
買ったのは経済的な理由もあったが、軽自動車発のAT車スズキアルトを買った。
今や道路を走る車の9割はAT車であり、軽自動車ブームである。

就職し、軽自動車から乗り換えた車は「白いセダン」だった。
その後、ハイソカーブームを向かえ、街中は白いセダンが走りまくった。
白いセダンから乗り換えた車は、スポーツカーだった。
そしてすぐにスポーツカーブームが始まる。
その時、私はすでにワンボックスカーに乗り換えていた。
今はどうだろう、セダンもスポーツカーも売れない。
ファミリーワゴン全盛期である。
そして私は今、スポーツセダンのインプレッサに乗っている。
おそらく近い将来、またセダンとスポーツカーブームが来る。
団塊の世代が子どもの頃の夢、スポーツカーに再び回帰し始めている。

ここまで書けば、私がいかに時代の最先端を読みきっていたか?
お分かりであろう。

さて、私は十数年前から心を患っている。
これから来る時代。
もう来ている時代かも知れない。
それは「心の死」の時代である。

アナログ的な、人間くさい生き方は、今の若者はしない。
感情を失った人間が、ドンドン増殖している。
その第一人者が私だったのかもしれない。

道路はアスファルト、土と言う有機物を排除した道。
山は崩されコンクリートで覆われた街。
その中で人が生きるには、動物的なアナログの心は邪魔になる。
デジタルで割り切れる、無感情な人間の方が生きやすい。
だから人は、特に子ども、もうその親達でさえ感情を失いかけている。

これから来る時代。
もう来ているかもしれない時代。
それは「心が死んでいる時代」
今の私の様に。
体の傷の痛みは感じても、心の傷の痛みは感じない。
そんな人間が、これから爆発的に増殖するはずだ。

しかし、安心したまえ。
そんな私は、今「心の再生」に取り組み始めた。
一度死んでしまった心は、もう生き返らない。
しかし、別の方法で「再生」は出来る。

これから、その再生方法について、後日語っていく。
それは、私の行き方をネイクド、ヌード、裸にして、
みんなに伝えることである。

みんなは、インターネットで世界中から私の生き方。
いや、心の再生方法を見て、読んで学べばいい。
そして、数年後、十数年後、君達が大人になったとき、
一度死んだ心を再生させるんだ。

その為にこのブログはあり、最終楽章を迎えている。

心の死、自我の崩壊。2.26事件、その1

2008年02月13日 18時07分53秒 | 最終楽章
あらかじめ断っておく。これは決して終わりではない。
俺はお前らを使って、この世界を再生させる。

今日から敬語は無しだ。付いて来られない奴は来なくていい。
気が狂ったのではない。正気に戻っただけだ。

横浜の外気温は摂氏5度を指している。
室内気温は12度。設定を18度にしたから、すぐに温まる。
この季節、私は特に2月に良い印象を覚えていない。

特に中学生の頃から、2月の横浜の空は雪雲がいつも落ちて来そうな程、
垂れ込めていて、足元のつま先から体の芯まで冷え込む。
私は2月が28日しかない理由を勝手に早く「3月」という言葉が聞きたい。
そう意訳しているが、今年も1日長い、嫌な年になった。
4年毎の、この年の2月には何も良い思い出はない。
というより、誰にも触れてほしくない人生最悪の年は、
必ず、この「うるう年」に起きる。

その前兆は今年も前年から在った。
父の二度にわたる入院と、両親不在の年明け。

あの年も、前兆は前年から在ったのだ。
私の人生で、最大に最悪であり、一番触れて欲しくない年。
1980年の2月。
26日。
あの事件は起きた。

あの日、午後7時ごろ、私は「国鉄」大船駅の9番ホームから「転落」した。
そこへ「運悪く」電車が通過する。
私が両足を亡くした瞬間。

若いモンに「自殺」をするなと呼びかけていた私は実は汚れたニセモノであり、
神様から「お前は天国に来るには未だ早い」と文字通り、この世の・・・
「生き地獄」
に突き落とされて、悪夢は始まった。

そのホームに、今は無い国立横浜病院の優秀な外科医師が帰宅していた。
正にまぐれ、奇跡は起きる。死ぬ子どもが命を繋ぎ止めた。


今、産婦人科が激減している。
理由はこうだ。
診療報酬が低い割りに、リスクが大きい。
下手をすれば、死産で訴えられる。


そんなリスクマネジメントを考えるなら、医者になるな!
スティールファンドのような投資信託に金を預けて転がして居ればいい。
雪だるまのように金は溜まっていくだろう。
村上ファンドだって、あれは金儲けとしては「大正解」なのだ。


お前らは、赤ん坊が生まれる瞬間を見たことがあるか?
テレビでもいい、漫画のワンシーンでもいい。

あれが「命の重さ」なんだ。
わかってんのか!クソガキども!!!
おまえ一人生むために、一人の女が10ヶ月も苦しんだ上、
あんな悲鳴を上げて生むんだぞ!
その為にいくら医療費がかかっていると思ってんだ!
そして生まれたばかりの赤ん坊をお前らの年齢になるために両親が、
たとえ片親(私の母は母子家庭である)でも、孤児でもいい。
どれだけの人材がかかっていると思ってんだ!
小学校ひとつ建てる金が、運動場が、校舎が、体育館が、プールが、
どれだけの金かけて造ってると思ってんだ!
中学校だって、高校だって、大学だって、どんな教育機関だっていい。
おまえ一人に、国は億の単位の金をつぎ込んでんだ。
だから一人、人が死ぬと億の単位の保障金、賠償金を求められる。

昔、一般勤労者の平均総収入は2億円だといわれていた。
40年かかって働き続けて、たった2億円しか稼げない。
今は格差社会だから、フリーターやニートなんかは、
私を含めて、どう逆立ちしたって億は稼げない。

お前らが作れる金の可能性としたら、それは「たった一つ」
男だったら愛した女を抱け。
女だったら惚れた男の子を孕め。

私の母は、母子家庭であった。
母は「父(私の祖父)」の顔を知らない。

そして、母の母(私の祖母)は「医療従事者」であり、
産婆だった。
私は、彼女から(彼女達から)命を預かった。