エテポンゲの独り言

残したい瑣末な話し

若いときの失敗は・・・

2005年10月21日 | TVタレント等

 中学生の頃大阪毎日放送の深夜枠のラジオ番組に「ヤングタウン」がありました。深夜放送のせいか若い人たちに人気がありました。当時は勉強してるのかラジオを聞いてるのか分からない生活の学生が多かった。

 「ヤンタン」は公開収録番組でたしか千里山のスタジオで客を集めて行っていました。司会者は二人いて一日おきに交代していました。その一人がまだ当時関大の学生だった桂三枝でした。客とのテンポの良いトークが面白くて近畿圏では学生中心に人気が広まりました。私も顔も見た事が無い若手芸人のファンになりました。

 学生ながら既に桂小文枝門下の落語家としてプロ活動をしていたけれどTVにはまだ出ていませんでした。その彼がいよいよTVに出演することになりました。番組は落語や漫才を客を入れた場所でで収録する、当時はよくあった普通の演芸番組です。勿論彼は落語家としての出番でした。

 私達はラジオで大人気の若手芸人がどんな芸を見せてくれるのかと、TVの前に陣取りワクワクしながらその出番を待ちました。高座に上がった三枝はちゃんと着物を着た落語家でした。しゃべりだすと最初は場の空気もあり笑いがありました。しかし時間が過ぎるほどに笑いは減っていきTVで見ている私たちも痛々しく感じる高座でした。

 内容は新作落語で話の合間に「バーン!面白い!」と本人が叫ぶものでした。聞いている方は全然面白くないのに演者だけがはしゃいでる姿が悲しかったのをよく憶えています。安田大サーカスより寒い内容でした。

 落語は一人で多数の人を演じ分けたり無いはずの道具をさも持っているように見せる芸です。私は古典だろうが新作だろうが格の違いは無いと思っています。要は聞き手にその場景を彷彿とさせるものであれば芸として成功しているんでしょう。「ゼンザイ公社」なんかは新作でも古典に負けない傑作です。また「地獄八景亡者戯」は常にアップデートしないといけない古典でしょう。

 今じゃ大御所と言われる桂三枝もそんな寂しいデビューの経験を持っています。しかし最初から上手くこなす人なんか少ないし、将来を思えば最初の躓きはいい勉強になるのかもしれません。その三枝もその後のTV番組「ヤングおーおー」で全国に認知されていったのは衆知のことです。

 毎日書こうと決めたブログでしたが昨日は体調がすぐれずとうとう穴を空けました。残念ではありましたが些かホッとしました。今後は無理せずに書きたい時に書くことにいたします。義務的に書いてると貼り付けばかりが増えていきそうですから・・・

 


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