昨夜、スタッフの相談事を聞いたり、休暇に入っているチーフ伸と電話で色んな話をしていた。
その時に、僕が久米島に来るきっかけになったもう一人の恩人、大学生時代にお世話になったプロダイバーの恩師から電話があった。
久米島に来た当時、凄くお世話になってた島人の友人が福岡に遊びに行ってるらしく飲んだ席からの電話で上機嫌だった・・・(^_^;)
さて、写真は、少し前に故裕子の戸棚を整理している時に見つけたもので彼女の手帳に挟まれてた。
僕が独立した時に作ったハガキを、何処かで見つけて物臭な僕に代わり大事に保管していてくれたらしい・・・(^_^;)
僕は裕子に「大切な想い出を大事に持っていてくれてありがとう」 と呟やいていた。
写真を見つめるていると、つい先程まで、電話口で話してた恩師(その後、久米島でお店をオープンし、僕は、そこで一緒に働き、そのお店を二人で大きくしていった)の
昔の声が聞こえてきそうな感覚に襲われた・・・(^_^;)
思い返せば、あの当時は、独立する・・・イコール「無謀な謀反」みたいな風潮があり、ある時から、マネージャーをやってくれと言われてた、
当時現場監督的に海での仕事の全てを切り盛りしてた僕にとっては、海に潜れないガイドが出来ない事が、とても受け入れ難い無理な話で、
もう、どうしようもなく、方向性が違うもので、「辞めさせてください。また、芋を食べるような生活に戻っても自分で一からダイビングサービスを始めたいです」と言う言葉は、
そこからめちゃくちゃ悩んで、切り出した言葉だった・・・(^_^;)
その後、めちゃくちゃ怒鳴られ怒られたけど、その時の自分の気持ちを解ってもらおうと、自分から何度も何度も話しに行った。
来る日も来る日も話してると、「もう、解った。お前、どうせ、やるっちゃろうもん!」と笑顔で言ってくれた事は、今も忘れない。
人が、それまでの人と人との繋がりを断ち切る事は容易い・・・。
でも、少なからずお世話になった恩人や友人との決別は、余りにも悲しい・・・。
今夜、あの当時、独立の話をしに行った時に、「お前、キサマ、帰れ!!」っと、言われながら自分の気持ちを誠実に切実に話せて良かったと心底思った・・・。
だって、また、福岡に帰った時には、僕の大好きな恩人と一緒に笑いながら飲めるのだから・・・。
ダイブ・エスティバン
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