
今日は曇りのち雨。今朝はどんよりとした厚い雲が上空を覆っていて薄暗い朝となった。朝の気温は13℃と高めで寒さは感じない。むしろ湿度が高く、蒸し暑さを感じるくらいである。しかし、冷たい空気を伴った北寄りの風が吹いていて、時間とともに気温は徐々に下がってきた。
今日は休市日で市場はお休みである。朝早く市場に到着すると場内は閑散としている。いつもより早めに着いてしまったので、職場に行く前に軽く散歩することにした。
冒頭の写真は築地市場を隅田川を挟んで対岸の勝どき地区から見た写真である。隅田川に桟橋が張り出しているのが見える。右手にパルテノン神殿の如く見える構築物は仮設構台である。この仮設構台はかつて築地市場現在地再整備を行うために建設した構築物で、1階部分で荷捌きをしつつ、2階部分が市場再整備用の資機材搬入や廃材搬出をすることにしていた。しかし、その後、再整備工事は工事のために不便を強いられる場内業者の反対によってストップし、移転に方針転換するに至った。この仮設構台はそういった負の遺産である。
左手には一昨年(平成26年)の5月に架橋された築地大橋が見える。この橋は環状2号線建設に伴い、都心と勝ちどき地区を結ぶ橋として建設された橋で、隅田川最下流部に隅田川の第一橋梁として新設された橋である。この橋は「22世紀にも建設意志が伝わる橋」というデザインコンセプトのもとに上横支材のない双弦の3径間連続アーチ補剛桁橋として設計されている。
正面に見える桟橋は昭和44年~47年にかけて整備された。そもそも築地市場は水運による荷物の搬送と鉄道便による荷物の搬入を想定していた。そのため、築地市場が建設された当時は隅田川に突き出すようにして整備された縦桟橋と築地市場に横付けできるように整備された横桟橋、浮き桟橋が隅田川沿いに整備されていた。
発動機船その他100t級の船舶を想定した縦桟橋は9基あった他、横桟橋は3000t級の船舶が、浮き桟橋は500t級の船舶が停泊できた。更に築地市場と浜離宮庭園の間を流れる築地川にも500t級の船舶を2隻係留するための岸壁が整備された。
しかし、築地市場が面する隅田川は東京の東部低地帯を流れている。この東部低地帯はキティ台風(昭和24年)や狩野川台風(昭和33年)等、多くの水害に見舞われてきた。その後、昭和34年に発生した伊勢湾台風による高潮災害の教訓から東部低地帯の高潮対策の見直しが図られ、伊勢湾台風級の高潮に備えるため、隅田川の防潮堤整備が昭和38年からはじまり、昭和50年に概成している。
築地市場においても防潮堤が整備された結果、こうした桟橋は防潮堤の外に整備せざるを得なくなり、昭和44年~47年にかけて隅田川沿いに桟橋を築造している。
こうした桟橋と築地市場とを繋ぐのが7カ所の差蓋(水門)である。
この差蓋は高潮や地震による津波の被害から築地市場とその後背に広がる銀座や汐留の街を防ぐために開閉できるようになっている。
築地大橋建設時に桟橋を一部切除し、差蓋も1カ所閉鎖された。
隅田川から見ると築地大橋の脇の開口部が赤い水門で閉鎖されているところが見える。
築地大橋がかかったことで、築地大橋をくぐることができない大型船は築地大橋より下流の桟橋にしか船を接岸できなくなった。現在築地市場には伊豆諸島と行き来している船が2隻交代で接岸しており、築地を出るときはバラ積の雑貨などを積んでいき、帰りに魚を積んでくるとのことである。もっとも現在は築地市場の水産物取扱量に占める割合は0.02%に満たない。
ちなみに築地大橋をくぐれる船は水上バスや屋形船などの天井が低い船や小型船のみである。
時計を見るといつもより遅くなってしまったことに気付いた。だいぶ寄り道をしてしまったようである。急いで、職場に向かった。
雨は昼前から降り始めた。朝の空模様から既に部分日食が見られないのはわかりきってはいたが、やはり残念ではある。昼間の気温は8℃で朝と比べるとぐっと下がった。気温はその後も深夜にかけて下がり続けて4℃を下回る気温まで下がり続けた。北寄りの強い風が吹いていて、気温以上に寒く感じた。
夜、帰宅すると先日修理に出したパソコンが修理を終えて、宅配便で送付されていた。