どちらも明治時代の銀行です。
東京三菱1号館。明治27年、1894年、ジョサイア・コンドル
そして
弘前の青森銀行本店。明治37年、1904年建築、棟梁堀江佐吉
東京は、復元。
弘前は、修復。
弘前、とても立派な銀行の建物です。当時の賑わいを感じます。
独りでゆっくりとじっくりとみました。
金物、階段、壁紙、天井、お庭、そして、現存の家具。
建築家だった祖父、そして父、
聞かされていた話、そして想い出の祖父の家、会社。色々な思いが交錯し結びつきます。
私の中にだけある感覚。 私だけの想い。
西洋建築は、雪国の生活を暖かく明るくした事でしょう。
今回感じた事、
東京の西洋建築は建物の中が暗く感じますが、
弘前は、光の取り込み方が工夫され明るい室内になっていました。
お寿司の後に、三菱1号館に行き
マネ とモダン パリ展 を建物と共に 観て来ました。
弘前の人々の建物への力の入れようは、相当のものだった事がよくわかりました。
日本人の棟梁が、西洋建築を作ったんですから驚きです。
日本人だからこそ判る気候風土を考え取り入れた建物は、
コンドルの建物よりも使いやすかった、過しやすかった事と思います。
東京三菱1号館。明治27年、1894年、ジョサイア・コンドル
そして
弘前の青森銀行本店。明治37年、1904年建築、棟梁堀江佐吉
東京は、復元。
弘前は、修復。
弘前、とても立派な銀行の建物です。当時の賑わいを感じます。
独りでゆっくりとじっくりとみました。
金物、階段、壁紙、天井、お庭、そして、現存の家具。
建築家だった祖父、そして父、
聞かされていた話、そして想い出の祖父の家、会社。色々な思いが交錯し結びつきます。
私の中にだけある感覚。 私だけの想い。
西洋建築は、雪国の生活を暖かく明るくした事でしょう。
今回感じた事、
東京の西洋建築は建物の中が暗く感じますが、
弘前は、光の取り込み方が工夫され明るい室内になっていました。
お寿司の後に、三菱1号館に行き
マネ とモダン パリ展 を建物と共に 観て来ました。
弘前の人々の建物への力の入れようは、相当のものだった事がよくわかりました。
日本人の棟梁が、西洋建築を作ったんですから驚きです。
日本人だからこそ判る気候風土を考え取り入れた建物は、
コンドルの建物よりも使いやすかった、過しやすかった事と思います。