25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

芸人

2016年04月04日 | 社会・経済・政治

   相撲小説は後編で終わりだと思っていたのが、さらに続きを書かなければ、と思うようになり、そのことを頭の隅に置き、それに取りかかるまで、別の短編集でも書こうと、パソコンの前では書いた相撲小説の加筆、訂正などを含めて、校正を行っている。

 昨日などは暇過ぎるので、何かピーンとくるものが閃いてこないか、一日中待っていた。 でも なにも閃かず、テレビの脚本に耳を傾けた。西村京太郎の「終着駅殺人事件」は推理小説協会賞をとったというものだったので、原作ではなく、脚本に注意して聞くのだが、賞をとるほどのものか、と正直思う。

  その点では「朝ドラ」は脚本がよくできていると思う。

 昨日は芸人が「芸」をするというので、喜んで観た。グループ名をメモしておけばよかったと思う。さすがに、「ほんまじゃか」はベテランの芸を見せた。コント芸にも傑作が多く、芸人も司会などほどほどにして、芸を磨いてくれればと思う。「爆笑問題」なども、芸をやればいいのにと思う。

 どうして司会などという分野の違うところへいって、正義面するのだろう。ダウンタウンなどは何の芸もせず、人の、それも年下の男の頭を叩いているだけである。まあ、人それぞれの生き方を批判することもできないが、芸人の漫才、コントをもっとみたいと思う。発想、言葉、世相など、わかることが多い。


時計じかけのオレンジ

2016年04月03日 | 映画

  三日続けて雨が降っている。1973年のロンドンで観たスタンリーキューブリック監督の「時計じかけのオレンジ Clockwork Orange」をDVDで再び観た。ベートベンの第九と超暴力が大好きな18、9の少年の話である。スタンリーキューブリックは1971年か1972年ぐらいからの近未来の社会を描きたかったのだろう。「2001年宇宙の旅」を制作した監督だから、ほぼ同じくらいの時代を想定しているように思える。この映画は多くの賞を取り、絶賛された。

 今回は、脚本に注意を傾け 、さらに、インテリアや小道具にも注意を払った。脚本では、新語のオンパレードであった。おそらくいまの70代や80代の人々が若い人の使うことばが分かりにくいように、カタカタ文字がわかりにくいように、新語を作りだしていた。しかしいくら新語で溢れても映画は理解できるし、人間の暴力性や性欲や憎悪、政治的戦略や陰謀などは変わらぬものとして、新語を越えて、あった。

  一方ですこの制作時には、まだスマートフォンやパソコン、CDなどは想像できていないようだった。作家の家には、新型のタイプライターがあり、小型のカセットテープで主人公はベートーベンを聞いていた。空調や家具は30年後以上に想像されていた。

 精神医療が人間の暴力性を抜き取ることまで成功していた。

しかしながら、最近ニュースの話題にのぼる「少女誘拐監禁事件」のような「静かな異常性」とか「マインドコントロール」などのことまでは触れず、映画は医療の政治的な利用とか、人間の自由性というテーマに収斂されて行った。キューブリックがたぶん想定した2001年はとっくに過ぎている。

  iPS細胞はどうなっていくかはだいたい想像がつく。乗り物や運搬手段についても相当にわかる。エネルギーについてもだいたいわかる。自分達が死んだあと、子供たちや孫たち、ひ孫たちの生きる時代はどうなっているのだろうと考えれば、やはり、いかなる思想が登場し、普通の人々の意識がどのように変わり、政治家はどのような振る舞いをするのか、想像がつかない。キューブリックはそこへ想像力を働かせ 、当時の世に、問題を投げかけたのだろう。

       


緊急地震速報

2016年04月01日 | 日記

  昼頃、突然、スマートフォンが鳴り、「緊急地震速報」が入ってきた。それから1秒か2秒後だったと思う。地震が来た。その時、次の揺れが来るのか、としばらく待ったが、その気配がないため、テーブルに戻った。妻が来るまでやってきて、「大地震らしいよ」と言って、常時置いてある災害用具の入ったリュックの場所を見た。それがない、とわかり、ヤタがそこで寝るようになったときに、リュックの置き場所を移動させたことを忘れていたらしく、二回に取りに行った。

「なんで大地震なんや」と訊くと、

「携帯に・・・」と言う。同じ情報のはずであったから、

「よく読めば?」と言った。

 地震速報から5秒くらいあるかと思っていたのが、1秒か2秒ほどで地震が来たので、これは考えないといけないと思った。ドアが開かなくなったら、どうにもならない。叩き壊す、厚い窓のガラスをどうにかして破るしかない。5秒あれば外に出れる。大きな違いだと思った。

 いつか南海トラフ大地震は起きるのだろう。そのことばっかり言う時期が5、6年前にあった。おかげで港町が恐れられるようになり、空き家も多くなった。もちろん不動産価格も激低下した。

 いっそ来るものなら早く来てほしいとも思う。そうなれば、それ以後どう生きるか、決めやすい。東北大震災は悲惨で悲しいことも多かっただろうけど、人生の転機になった人もいるはずだ。よい方にも。悪い方にも。この震災は原子力発電所が爆発したからこじれて、厄介なものになった。きっと大自然だけの災害だったなら、あきらめもつく人も多いだろうが、放射能を心配するにどこまで心配すればよいのかわからないという人は子供を連れて他所に移住したし、仮設住宅に避難した。

 幸い尾鷲には原子力発電所が近辺にないから、自然災害で済む。そして最も危険なのは津波である。しかし津波であれば、「逃げればよい」。ただそれだけのことだ。

地震が大きい、と思えばバッグを持ってすぐ逃げる。家が壊れ、物が流されてもよい。なにかすっきりする気分になるのではないかとも個人的には思う。みな流れてしまったんだからどうしようもないではないか。そしてまた生きなおしを始める。