25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

大衆小説

2016年04月15日 | 文学 思想

  スマートフォンにヘルスメーターのようなアプリが入っていて、それが毎日警告してくる。この前、「あなたがあるいた時間は1分です」とお知らせがあってドキッとした。これはいかん、と思い、翌日から事務所へは歩いていくことにした。6000歩に達すると音がして、達成を知らせてくれる。そして励ましのメールが来る。不思議なもので、今日で4日続けて達成している。都会に住む人なら笑ってしまうような歩数であるが、尾鷲のようなところに住んでいると、生活圏歩数では6000歩はいかない。無理してどこかを歩かないと達成できない。

 昨日はK弁護士と大衆小説談義となって、酒をたらふく飲んだ。かれは純文学系は読まないという。 そして村上春樹の小説を純文学だと思っている。これは思い込みである。村上春樹の「1Q84」を読めばわかるように、村上春樹の言う「総合小説」という方が納得できる。恋愛、ファンタジー、ミステリー、哲学、冒険など娯楽要素も深淵な会話もあり、わけのわからなさも入っている。やはり小説は理解のしかたが幾重にもできて、謎めいていなければならないもので、それもちゃんと盛り付けられている。お奨めしたが、ついに彼は「読んでみる」とは言わなかった。

 それにしても、吉村昭や有吉佐和子、宮尾登美子など全部読んでいる。もう読む本もない、と嘆いている。直木賞作家の本などはだいたい目を通し、好みに合うとその作家の作品を読んでいくらしい。

   人間の表現手段は現代においては多数ある。映画よりも 文字で書かれた物語の方が良い場合もあればその逆もある。95点以上の大衆小説をKさんに挙げてもらい、 メモをした。図書館に生き、借りて読んでみようと思う。とりあえず、絶賛していた有吉佐和子の「芝桜」になるのだろう。