25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

突堤で

2018年11月01日 | 日記
昨日午後三時を過ぎてから前の浜の突堤にハゼを釣りに行った。近所の知り合いの男性Mさんがいて、ぼくと反対側で竿を出している。
「何、狙っとん?」
と訊くと、
「うなぎさ」
とぶっきらぼうな声が返ってきた。
「おや、うなぎやったらこっちやないん?」
僕は突堤を軸にして川側に竿を出している。昔、そこの橋の上からこの川でうなぎを釣ったことがある。この前も名古屋の男性が潜ってみたらうなぎがおるよ、と言っていた。
「こっちなんさ、それは昔の話やで」
「へえ、だいぶ釣ったかな?」
「おれで今年は十匹やな。専門の爺さんはすごかったけどな、死んでしもてな」
「跡継ぎってわけやな。ここのうなぎは旨いかな?」
「旨いで」
「脂もあるかな」
「ああ、養殖のよりはうまいと思うな」

 この前多気の寿司屋の大将が鰻は養殖のが一番ですわ、と言っていた。あれは養殖物の脂ののりやサイズが一定しているから寿司屋には便利なのだということなのか、それとも味か。「今日は知り合いが釣ってきた鰻があるんで、ちょいと食ってみませんか」くらいの粋さがあればよいのになあ、とまで想像は進んでしまう。

 ぼくは大型のハゼのみをバケツに入れ、小さいのはリリースした。そのうちMさんの息子がやってきた。この息子は小さい頃からうちに庭でよく虫取りをしていて、あっと言う間に中学生となって、この頃はサッカーボールを操っている。
 ぼくの方の側で何やら釣っている。
「何釣っとるんや」
「ハゼです」
「ハゼらあ、目で探しとったら時間かかるで。どこでも放り込んで、アタリを待てばええんや」
 りっぱなリールがついた竿で釣っている。バケツを見るとすでに6匹ほど釣っていた。
「今日は天婦羅でもするんか」
すっかりそう思っていて訊くと、
「スズキさ。きんのう、このくらいのスズキが二匹な、そこで泳いどったんさ。生きたハゼでな」
 そのスズキのサイズはその子の手で表した幅では六、七十センチくらいありそうである。
「へえ、そうなんか」
 感心しながらまた自分のハゼ釣りをしていると今度は中学生らしき男の子が来た。
「ハゼ釣るん?」
と訊くと、
「モズク蟹」と不愛想に答える。
 モズク蟹と上海蟹はほぼ同じ蟹である。ハゼを姿を見ているときに今日は二匹見た。蟹籠を置いておけば相当獲れるのだろうと思う。
 ぼくは大型を十一匹釣ったので帰ることにした。Mさんも帰り、その息子はこれからスズキを狙うらしい。

 翌日はぼくがハゼを背開きにして、他の素材は買い揃え、天つゆ、と塩、とカレー粉を用意して、天婦羅で食べた。ハゼ、コチ、キスのどれが旨いか、やっぱりぼくはハゼ、コチ、キスの順となる。

 「広報おわせ」が配達されてきた。人口欄を見る。9月のひと月で22人の減少。4月から毎月20人から30人ほど減っている。止まることはない。ついに住民票では18000人を割った。実数はもっと少ないのだろう。
 病院や介護施設を担う人が少なくなる。店を続ける人が減る。酒場が減る。尾鷲北と尾鷲南をつなぐ高速が来年開通する。尾鷲北より北で尾鷲北から南の間の国道にはいろいろな店も多いよ、というPRが必要だろう。そのためにはイオンから三紀までのゾーンに名前を付けないと呼び名に困ることだろう。イメージ戦略として。ちっともそういう声は上がってこない。ぼくが知らないだけなのか。

 仮に尾鷲の人口がこのまま減り続けたとして、一万人を割る時期はそう遠くない。さて、ぼくは何歳になっているのだろう。そしてそのとき、交通や病院や介護施設はどうなっているのだろう。特に心配なのは免許返上である。タクシー相乗り、白タク認可も話にのぼってこない。

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 相変わらず橋下徹は口がよくまわる。彼は「国民が知りたいことをとってくるのがジャーナリストだ」と朝のモーニングショーで言っていた。そして安田純平さんはそれをやらなかった。だから英雄視しなくてよい。普通に帰ってきて、みなさんにご心配かけすみませんでしたと言い、政府にも感謝の意を表せばよいのではないかという風なことを言っていた。ジャーナリストに敬意を表しすぎだとも玉川徹さんに言っていた。橋本徹はいつも、最初に共通す事項、例えば、ジャーナリストはどこへ行って、取材しても、権力を批判してもいいですし、守られるべきですよ。そこはいいんです、となって、いつもの方法で「ただ・・・」から口が滑らかになってくる。その中に「国民が知りたいことをとってくるのがジャーナリストですよ」と言葉も挿入されてくる。おやっと思う。国民が知りたいこと? 国民が知らないことを取材してくるのがジャーナリスではないか。国民が知りたいことを取ってくるのだったら、芸能人の色恋沙汰や政治家の闇くらいのものではないか。安田さんは今回は失敗に終わったけど、ぼくは玉川徹が言うことのほうに与する。橋本徹は「英雄視してもいいんじゃないか」という玉川徹の発言の文脈を無視して揚げ足取りをしている。玉川徹は「自己責任だと言ってネットでバッシングがひどいので、ジャーナリストの使命がときに戦争地域や誘拐など危ない場所にもでかけ人々の生活や町の実情を報道する人がいなくなればよいのか、と言いたかったのだ。ぼくは橋下徹に対しては「太陽の党」と組んだときに終わったな、と思った。決定的に判断力のなさである。