25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

三島由紀夫と筋肉

2018年11月22日 | 
 「三島由紀夫 二つの謎」で、初めて知ることが多い。ぼくは彼の小説しか読んだことがなく、三島由紀夫という作家に興味があったわけではなかった。知っていることは誕生から乳児期、幼児期についての母親の手記や吉本隆明の寸評くらいのものである。
 それでも「豊饒の海」はまさに豊饒な美しさをもつ若者たちと醜さを伴ってくる老いの病的な観察と思念も織り込まれていた。
 へえ、と思ったのは三島由紀夫は先の戦争に興味なく、徴兵検査で合格しなかったことも喜び、天皇へ尊崇もなかったことである。
 まさに彼は幼児にこの国のことや天皇のことを言ってもわからないように、多感な青春期を幼児のように過ごしていたのだった。小説をすでに書いていた。日本浪漫派だと言われたが、浪漫派の底に流れる皇国思想などは全く持っていなかった。

 彼は肉体に過剰なコンプレックスをもっていた。華奢な体の三島由紀夫は、昭和30年、金閣寺を書き始める3ヶ月前からなにをおいても肉体の鍛練をするようになった。それは徹底して真面目に取り組んだ。しかし運動神経はどうにもならなかったらしい。たいへんな運動オンチであった。
 言葉から生まれて来たような男が遅れて「筋肉」に気づいた。気がつくまで30年かかっている

 思念の男が筋肉の美しさを価値とする男になった。しかし彼のこころの病はそんな鍛練で解消していくものではなかった。筋肉を医学的に言えば、代謝を高めるとか、体温、免疫にも関係することなどには関心もなかった。ただ「美」としての筋肉があり、「潮騒」を書いたのも、筋肉たくましい男子と彼を好きになる女子の文部省推薦のような小説をわざと書いたのだった。

 やがて運動神経のない、戦うことになればすぐに殺されてしまうような三島由紀夫は「楯の会」を作り、自衛隊にも参加訓練し、若者たちと威風堂々、行進をしていたものだった。
 問題は「筋肉質の肉体」が作られていく中で、なぜ独自の天皇観、天皇直属とする軍隊という思想を誤っていると知りながら、それでいく、という開き直った思想になってしまったのか、ということだ。どうしてなのか。筋肉作りには何か微妙な陶酔性や誇示性、優越性を持たせてしまう人間原初の力というかエネルギーのようなものがあるのだろうか。
 読書はまだ途中なので、メモ程度に止めておきたい。
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