25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

日が悪い

2017年10月24日 | 日記
 
共有経済社会

  土地と家屋と食料を商売に使ってはならない。それらを共有とし安心を皆で保証する。村は先進技術などを取り入れ、住民の経済活動を支援する。この村で製造されるオリーブオイルは平均価格の......
 

  去年の昨日はこんなことを書いていた。天災はというよりも禍は忘れた頃にやってくる。ときどき、まとめてやってくるることもある。

 曽根の貸別荘の池の水は上の山の谷水から引いている、台風でホースが流されてしまった。池に水が来ない。また台風のがくるということで、修理と点検が来月になってしまう。イヤーなことは続くもので、今度は玄関の鍵の調子が悪い。こういう日は用心、用心。引きこんだ方がよい。思わぬ台風被害であった。

 当然不機嫌になってしまう。そう言えば選挙以来不機嫌なのだ。カズオ・イシグロの「遠い山なみの光」も、?????  でちっとも心を打ってこない。あと4分の1に期待している。腰が痛く関節可動域がますます硬くなり、さらに固いものが噛めない。これらのことも不機嫌に加担している。歌でも歌ってパッといくか、とも思ったが、どうも今日は日が悪い。

 


トットちゃん

2017年10月24日 | 社会・経済・政治

 マスコミの小池、希望の党たたきひどいものである。視聴率をとるために、小池都知事を毎日のように報道し、国政出でるかどうか、勝手に憶測しそのうちだんだんと批判するようになり、最後には馬鹿にしきったような様子である。持ち上げられ、落とされるとはこのことだ。

 小池百合子の政治思想は、あるのかないのかわからないが、ぼくにはわかりにかねるので、彼女に賛意を示すことはないが、マスコミは戦前と同様権力であり危うい存在であると小池報道を見ていて思える。

 選挙にでて戦う者と批評コメントばかりする解説者とどちらを評価するかと言えば、ぼくは断然、選挙に出る人の方に価値をおく。マスコミはいわば解説者の集まりであり、自在の出演者を選べ、前線の記者から持ち込まれた映像を自在に編集することができる。

 「トットちゃん」のお父さんに徴兵連絡がきたところで、今日の「トットちゃん」は終わった。トットちゃんの弟は膝のけががもとで熱が出、医者の誤診で、風邪だといわれたが、あっという間に敗血症で死んだ。たぶん死んだ原因には栄養失調もあったろう。

 戦争の悲惨さを回避したり、否定するのは想像力である。アメリカが起こす戦争に付き合って、自衛隊員が死んだら、その家族は「戦争はやめて」と叫ぶことだろう。体験してからでは遅いのだ。想像力で集団的自衛権の危うさを知るしかないのである。

 自衛隊に入る人が少なくなれば、傭兵がでてきたり、ひどく褒賞金の多い募集になったり、それもうまくいかないと徴兵だという道筋が見えてくる。安部政権が扉を開いたのであるから、国民がこれを閉じなければならない。

  くれぐれも戦争にいくのは若い人である。男も女もない。法律を作るものは戦争には行かないのである。こんな理不尽があるものか。