25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

輪廻転生 佐藤正午

2017年10月18日 | 文学 思想

 月の満ち欠けはぼくらの身体にかなりの影響を与えているのだろう。太陽がなければ植物やぼくらは生きていくことができない、と知っている。月がなければどうなるのだろう。大きな引力がなくなる。女子の生理はどうなるのだろう。潮の満ち引きもなくなるのだろう。体内時計は月時計であるが、太陽時計に身体も統一されるのだろう。月の影響を受けるさまざまな細胞、臓器はどうなるのだろう。

「月の満ち欠け」という題の小説を読む前に、題を目にしてそんなことをぼんやり思った。それにバリ島では満月と新月の日に、必ずお祈りすることも、懐かしい風景として思い出し、それは本当は何を意味しているのだろうと思った。

  小説の内容は「生まれ変わり」の話だった。死んでもまた新月となって満月になるように、題名はこちら側から月が消えては形を変えて膨らみ、また細っていく満ち欠けを「生まれ変わり」に準えているのだった。そしてこの小説はおもしろかった。作者の構成力が優れていた。それに、面打ちされるような言葉が二つあった。ここで言ってしまえば興を損なうのでかかないが、その言葉はヒンズー教を強く信じる人には解ることばなのではないかとも思えた。

 バリ島の人々は輪廻転生を強く信じている。このキーワードが悪事をも、村人たちの規律の元になっている。村落生活を守っていくうえで、人間が考えだした観念だとぼくは思っている。小説では転生した実際の女性をみることになる。あり得ないような話をあり得るかのように書くのが小説家とも言える。1Q84年はあり得るか、あり得ないか。個体の中ではあり得るのではないか。

 さあ、いよいよ最後の十ページくらいになった。そこでわかる。小説家の価値が。