希望ヶ丘団地(旧住宅地)
戦後、引き揚げ者の住宅がなく、軍事施設跡地を住宅として住ませた。
それが希望もって戦後の困難を乗り越えようと言う事から「希望ヶ丘」
という地名がついた。戦後60数年経った今でも、だいぶ古い住宅は
壊され整備が進んで中高層の団地に変わってきた。でも今でもまだ住ん
んでいる住民がいます。皆高齢者が住んでいる。その模様を見て来た。
昔の公営の住宅は小さいマッチ箱みたいです。一戸建てで庭もあり狭い
庭に野菜など栽培している。軒下に干し柿をつるしている懐かしい子供
の頃を思い出します。でも住んでいない住宅も結構ありました。
もう数年で完全にこうした住宅は無くなるでしょう。
昔の住宅は一戸建てで小さい造り。
住宅の玄関。
住宅に貼り付けたコーラの広告。年代物に感じます。
住宅に納屋などたし増ししている壁面に公明党のポスター。
庭先に植えられた柿の木で住宅が覆い被された。
空き地に野菜畑を作っています。
軒下に干し柿が吊るされています。
空き地に花など植えらられて花壇にしている。
住宅の通り道。空き地に車を止めている。
空き地に咲いていた。
近年跡地を整地してこのように中高層団地になりました。