テンキチのブログ「誠」

忘れてはならない誠=真実を記しておきます。テンキチが気づいた其の度に。

真実の歴史講座 -16-

2005年07月16日 19時43分31秒 | 歴史のこと
  【アメリカの満州進出への野望】

 1909年、アメリカのノックス国務長官が次のように宣言しました。「全満州の鉄道の中立化を図ろうではないか。」つまり、南満州鉄道の日米共同経営に失敗したアメリカは、日露戦争に勝利して日本の権益となった南満州鉄道と、その他の東支鉄道を国際鉄道にしようというのです。そして、アメリカは南満州鉄道の周囲に鉄道を敷くことを宣言したのです。
 しかし、ポーツマス条約締結後、小村外相が清国に行き、遼東半島の租借のことと、南満州鉄道の権利及びその周辺の開発権について公式に清国の承諾を得て、さらに満鉄包囲鉄道は敷かないという条約も結んでいるのです。ノックスの宣言は明らかに挑発であります。ある評論家が「満州の鉄道の奪い合い、鉄道をめぐる政争が、日米開戦の始まりである」と言っていますが、結果はそのようになりました。
 つまり、米西戦争でアメリカはスペインに勝ち、グァム、プエルトリコ、フィリピンを占領し、ハワイを併合し、アジアに手をのばして来ます。しかし、イギリスやフランスに比べると中国進出は出遅れました。ですから、後から割り込むために、アメリカの大陸政策として、ジョン・ヘイは「門戸開放、機会均等」を唱えたのです。アヘン戦争と三国干渉で、イギリス、フランス、ドイツは、九龍を取り、香港を取り、広州湾・青島・遼東を奪い、主な都市に租界を設けて、関税の自主権を獲得し、鉄道や鉱山の利権も獲得していきます。アメリカを除く西欧諸国は、既に支那の各地を奪い合い、いたるところに権益を確保していたのです。残るは満州でしたが、その満州に割り込むにも、日露戦争に勝利して満州に権益を得た日本がいました。アメリカにとっては日本が邪魔なのです。
 かくして、大東亜戦争は日露戦争から始まったという観方をとることができるのです。『大東亜戦争肯定論』で林房雄氏は、更に遡って、ペリーの黒船来航から日米戦争は始まったと書いています。それも一つの観点ですが、ポーツマス条約が結ばれた時から、日米は相容れないものとなり、満州を真ん中に置いて奪い合う関係になったと観ることができるのです。

<続く>
 

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