帝京大学教授高山正之氏が標記について次のように簡潔に解りやすく述べています。
いま「反日」の潮流がアジアにあるというけれども、それは中・韓両国とその植民地的国家シンガポール限定であって、それ以外の、例えば東南アジアにおいては、むしろ「反中」つまり反中国の歴史が長い。
ことにその風潮が高まったのが、1960年代から70年代、中国が「大躍進」とそれに続く「文革」で何千万人もの死者を出した頃です。
当時、東南アジアの諸国では、自国内の華僑に悩まされていました。これはイギリスやフランスなど列強諸国の植民地政策で、中国人(華僑)とインド人(印僑)を移入させ、中間支配層としたことに端を発します。いわゆる分割統治です。中国人はアヘン密売やプランテーション管理、その他各種商売を営み、インド人は主に高利貸しとして地元民の上に立ちました。
この植民地時代の恨みは深く、独立後は、それぞれの国のやり方で彼らを自国内から駆逐或いは同化しました。
例えば、ビルマ(現ミャンマー)は鎖国することによって敢えて経済を停滞させ、華僑が商売できないようにしました。もちろんビルマ人は極貧に陥りますが、「肉を切らせて骨を断つ」で、命がけの華僑追い出し策を取った。そこまで毛嫌いされていたのです。
マレーシアは、プミプトラ(土地っ子の意味)でマレー人優遇策を取ります。華僑に対して「国内に留まるのであれば差別を甘受せよ、それが嫌ならシンガポールへ行け」という選択を迫ったのです。
タイは同化策、つまりタイ人に同化することを誓えば商売を許可する、というものでした。
インドネシアは政府の政策ではありませんが、中国人街の焼き討ちなどが絶えませんでした。
最も過激なのがベトナムです。ベトナム戦争が終結し南北統一が成った1975年以降、ボートピープルが出ました。朝日新聞などはいまだに共産主義を嫌がった人々が脱出したと言っていますが、全くのでたらめです。あれは華僑の人達なのです。
そもそもベトナム人が共産主義を採らざるを得なかったのは、フランスとアメリカを相手に戦争するために東側陣営に入っただけで、本当は共産主義でも何でもない。そしてやっと戦争に勝つとフランスとアメリカの手先になっていた華僑をベトナム人が追い出した。それがボートピープルだったということなのです。以上
真実を知っている多くの東南アジアの人々は、心の奥底から中国人を忌み嫌い且つ信用も信頼もしていないでしょう。
そして、それとは正反対に日本人には感謝の念を抱いているのではないでしょうか。
「先の大戦で日本が私たちアジアの国々のために大きな犠牲を払って戦っていなかったら、私たちの国々は今でもイギリスの、フランスの、オランダの…植民地のままだった。日本人が命を犠牲にして私たちアジア民族のために戦ってくれたから、今日のアジアがあり、私たちがあるのです。日本のおかげですよ。」
<以上>
いま「反日」の潮流がアジアにあるというけれども、それは中・韓両国とその植民地的国家シンガポール限定であって、それ以外の、例えば東南アジアにおいては、むしろ「反中」つまり反中国の歴史が長い。
ことにその風潮が高まったのが、1960年代から70年代、中国が「大躍進」とそれに続く「文革」で何千万人もの死者を出した頃です。
当時、東南アジアの諸国では、自国内の華僑に悩まされていました。これはイギリスやフランスなど列強諸国の植民地政策で、中国人(華僑)とインド人(印僑)を移入させ、中間支配層としたことに端を発します。いわゆる分割統治です。中国人はアヘン密売やプランテーション管理、その他各種商売を営み、インド人は主に高利貸しとして地元民の上に立ちました。
この植民地時代の恨みは深く、独立後は、それぞれの国のやり方で彼らを自国内から駆逐或いは同化しました。
例えば、ビルマ(現ミャンマー)は鎖国することによって敢えて経済を停滞させ、華僑が商売できないようにしました。もちろんビルマ人は極貧に陥りますが、「肉を切らせて骨を断つ」で、命がけの華僑追い出し策を取った。そこまで毛嫌いされていたのです。
マレーシアは、プミプトラ(土地っ子の意味)でマレー人優遇策を取ります。華僑に対して「国内に留まるのであれば差別を甘受せよ、それが嫌ならシンガポールへ行け」という選択を迫ったのです。
タイは同化策、つまりタイ人に同化することを誓えば商売を許可する、というものでした。
インドネシアは政府の政策ではありませんが、中国人街の焼き討ちなどが絶えませんでした。
最も過激なのがベトナムです。ベトナム戦争が終結し南北統一が成った1975年以降、ボートピープルが出ました。朝日新聞などはいまだに共産主義を嫌がった人々が脱出したと言っていますが、全くのでたらめです。あれは華僑の人達なのです。
そもそもベトナム人が共産主義を採らざるを得なかったのは、フランスとアメリカを相手に戦争するために東側陣営に入っただけで、本当は共産主義でも何でもない。そしてやっと戦争に勝つとフランスとアメリカの手先になっていた華僑をベトナム人が追い出した。それがボートピープルだったということなのです。以上
真実を知っている多くの東南アジアの人々は、心の奥底から中国人を忌み嫌い且つ信用も信頼もしていないでしょう。
そして、それとは正反対に日本人には感謝の念を抱いているのではないでしょうか。
「先の大戦で日本が私たちアジアの国々のために大きな犠牲を払って戦っていなかったら、私たちの国々は今でもイギリスの、フランスの、オランダの…植民地のままだった。日本人が命を犠牲にして私たちアジア民族のために戦ってくれたから、今日のアジアがあり、私たちがあるのです。日本のおかげですよ。」
<以上>