テンキチのブログ「誠」

忘れてはならない誠=真実を記しておきます。テンキチが気づいた其の度に。

真実の歴史講座 -36-

2005年09月02日 22時04分00秒 | 歴史のこと
  【南京大虐殺は全くの虚構③】

 同盟通信の本部はこの安全区にありました。後にプレスセンターの会長もされた前田雄二は「我々は常にここの数名の記者と共に常駐していた。もし殺人事件があったとしたら、すぐに駆けつけて写真も撮り、記事にもします。しかし、そんなことは何一つとしてありませんでした。」と証言しています。南京では、逃げ込んだ兵員は別にして、市民は全くもって安全だったのです。
 とにかく、南京で大虐殺があったというのは完全なるデマゴーグなのです。支那人得意の白髪三千丈式の宣伝なのです。要するに作り話なのです。外国人記者も含めて150人程のプレスマンが南京市内で取材に当たっていましたが、誰一人として虐殺など目撃してはいないのです。評論家の阿羅健一が調べたところによりますと、その当時に南京で取材した知識人の中には、林芙美子、石川達三、西条八十、草野心平、大宅壮一といった有名な方々がいましたが、これらの人たち誰もが見たことも聞いたもないと言っています。東京裁判で南京において大きな虐殺事件があったと聞き、まさか信じられないと驚いたというのが多くの人々の所感です。このことを阿羅健一氏は『聞き書き南京事件』の中で詳しく書いています。
 朝日新聞の記者が一人亡くなっていますが、おそらく命懸けの取材をしたのでしょう。読売も毎日も報道していますが、当時朝日が一番詳しく、12月13日から31日までの間に5回にわたって写真特集をしているのです。日本軍が入った1週間後の写真を見ると、実に平和な光景、日支親善風景が映し出されています。畑を耕している光景、街中で散髪している光景、少女が集まって賛美歌を歌っている光景、日本の兵隊が中国人の子供と遊ぶ光景、乳の出ない母親に代わってミルクをあげている光景、支那人捕虜に給食したり看病したりしている光景等々です。プレスマンたちは虐殺など誰一人として目撃していません。虐殺などないのですから見るわけもありません。実にのどかな日支親善の有り様が写し出されています。
 戦争に負けて、昭和46年頃から朝日新聞は掌を返したように「南京で大虐殺があった、あった!」とでたらめを書き続けます。朝日新聞は本多勝一記者の『中国の旅』を40日間連載しますが、その内容は全て中国側の宣伝通り、中国人が言ったままに書いています。ウラを取るとか、証拠を求めるとか、日本側の証言を照らし合わせるとかは一切せずに、ただただ中国共産党のプロパガンダの言うがままに、日本の悪虐ぶりを「これでもか、これでもか」と書き綴ったのです。これにより、本当にあったことと信じ込まされてしまった日本人も大勢いて、教科書にまで載るようになってしまいました。
 つまり要するに、南京で虐殺事件など全くなかったのでした。

<以上>