テンキチのブログ「誠」

忘れてはならない誠=真実を記しておきます。テンキチが気づいた其の度に。

真実の歴史講座 -35-

2005年08月30日 20時07分10秒 | 歴史のこと
  【南京大虐殺事件は全くの虚構②】

 松井大将は占領後すぐに安全区の各出入口に歩哨を立たせて、無用の者の出入を禁じ、銃撃や砲撃をしないように厳命しました。文字通りの「安全区」としたのです。ただし、当然のことながら便衣兵については、国際法に則って厳しく処刑しました。きちんと軍服を着用し、武器を隠さず所持し、指揮官の下に行動してこそ軍隊であり、軍隊には降伏する権利があります。しかし、軍服を脱いで民間の服を着て武器を隠し持って攻撃してくる便衣兵というのはその悪質さ故、即時射殺されても国際法上何ら構わないのです。日本軍はこの便衣兵には相当やられました。安全区に入った便衣兵の2~3千人は引っ張り出されて揚子江岸で処刑されています。勿論これは国際法上の正当な処罰であります。
 安全区には婦女子を含めて約20万人の市民がおりましたが、12月13日から翌年2月9日まで、この安全区の委員たちは車で全市を走り回り、中国人青年を使って情報収集させ、日本軍の悪事を記録して、日本の外務省に毎日その情報を通知して取り締まるよう要求しました。その情報の集計は、日本軍兵士による殺人事件は49件、傷害事件は44件でした。それも噂を含めての数字です。つまり、南京での不当とされる殺人事件は最大でも49人ということです。
 そして、1月中旬には南京の人口は25万人に増えています。さらに2月には治安も安定し、皆が自分の家に帰りたくなり、安全区も解散になります。このようなことから、安全区国際委員長のラーベは次のような感謝状を日本軍に提示しています。「安全区においては一件の火事もありませんでした。銃撃もされませんでした。爆撃も砲撃もありませんでした。至極安全でした。有難うございました。」
 
<続く>

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