テンキチのブログ「誠」

忘れてはならない誠=真実を記しておきます。テンキチが気づいた其の度に。

しかし、まぁ、あぁあ…

2005年11月27日 20時48分02秒 | 社会のこと
 ノンフィクション作家の上坂冬子氏が次のように述べておられます。

 風評で固めあげられた事件をあげればきりがない。
 そういえば十年前、例の福井県・敦賀でのもんじゅのナトリウム漏れについても同じことがいえる。ああいう事象は、外国の発電所でもよくあることで、例えばロシアで同じようなナトリウム漏れを27回起こしたと、私はロシアの発電所で直接聞いた。もともと、ナトリウム漏れは事故とはいわない。事故の国際基準は七段階あって、ナトリウム漏れは最低基準の一つであり、事故とはいわず事象といわれる。
 この場合のナトリウムとは液体金属といわれるもので、冷却用配管の中を一方に向かって流れている。その流れの中に配管の外から温度計が差し込まれていた。その棒状の温度計が液体金属の流れに抗し切れず折れてしまったという、かなり初歩的な技術ミスではあった。
 だがこの技術ミスによって、もんじゅが以後、10年間の長きにわたって手付かずのまま運転停止となったと聞けば、誰しも驚くだろう。確かに流れ出た銀色の液体金属は、当初おどろおどろしい様相となってテレビで放送されたりしたが、実際には放射能漏れとは無縁の事象だったし、まもなく国の安全審査機関としての保安院から工事再開可能のお墨つきももらった。もちろん地元福井県の安全基準も満たした。にもかかわらず一向に温度計の付け直しその他の工事が始まらぬまま、10年が経過したのである。10年間放置しただけならいい。停止している間の経費が年間70億円かかっている。
 なぜ、こんな法外な無駄が認められたのかを一言でいうなら、泣く子と地頭には勝てなかったからということになろう。国家と県とが如何に安全を保証しようが、地元の不安が消えない限り原子力施設は動かせない仕組みになっているからである。いわば国策をになって建設されたもんじゅだが、肝心なところで地元の知事の判断がキメ手となっており、知事がゴーサインを出さねば動かない。
 これはおかしい。
 たとえば、地元の知事が選挙をかかえて世論に土下座したい時期だったとすれば、どうだろう。あるいは、地元の要求として新幹線を引き込みたいと考えている時期だったらどうだろう。知らず知らずのうちに、知事は地元民の世論におもねって公正な判断を下せなくなるだろう。つまり、発電施設と無関係な要因によって、工事再開の可能性が左右しかねない結果となる。
 原子力発電所は日本の国策にそってすすめられてきた。にもかかわらず肝心なところで、住民が一人残らず納得するまでコンセンサスを待つという、シマリのない民主主義によって結論がおあずけになった例がどれほどあったことか。これまで私たちは、この種のバカ丁寧な民主主義まがいの理屈にどれほどの回り道と二度手間を強いられてきたことか。口に出さずとも、いい加減にせいと腹に据えかねる思いで、住民本位という名の悪しき民主主義を慨嘆してきた人々は決して少なくない。

 しかしまぁ…、という感じですね。

「本当にすごい人たち」

2005年11月18日 23時19分43秒 | 報道のこと
本日は東京出張でした。
朝早くに家を出て新幹線に乗りました。
車内で新聞(朝刊)を読みました。
ある小さなコラム記事に釘付けとなり、何度も読み返しました。
"本当にすごい人たち"というタイトルでした。
朝一から涙が流れかけつつ何とか堪えました。
こんなことはめったにないことです。
この事件(ニュース)のことは全く知りませんでした。
是非とも、この記事を記しておきたく思います。

 成田空港の検問所で、34歳の男が免許不携帯で逃走しナイフで警察官二人を死傷させた事件、また劇薬を自分の母親に投与した16歳の女子高生の事件の陰で、ある老夫婦の心中事件が報じられた。
 福井県大野市。80歳の夫と、認知症で糖尿病だった82歳の妻。夫は行政にも親戚にも近隣にも助けを求めることなく、一人で妻の介護を続けた。施設入りを勧められても、最後まで自分が面倒を見ると、断った。
 二人で使われていなかった市の旧火葬場の焼却炉に入り、焼死した。白骨になって発見された。自分たちで体の始末までしたのである。合意の上での死だったと思いたい。車内に残されたメモには、家を出る時間、死への準備、「午前0時40分ごろ点火」など、細かく計画が書かれていた。市役所に「財産は自治体に寄付する」と遺書を送っていた。子供はなかった。焼却炉近くに止められていた車からはクラシック音楽が流れていた。
 あるテレビ解説者は「偕老同穴」と言ったまではさすがだったが、「悲惨」と言ったところで、微かな違和感があった。しかたのない一言とはいえ、いつもの決まり文句だ。はたしてこの夫婦の死は「悲惨」だろうか。むしろ立派な死ではないだろうか。見事な夫婦ではないか。
 以下省略

車から流れていたクラシック音楽の曲名は何だったんでしょうか。
二人の白骨は抱き合っていたそうです。
今こう書き終わって、また少しばかり鼻水が出かかっている次第です。