テンキチのブログ「誠」

忘れてはならない誠=真実を記しておきます。テンキチが気づいた其の度に。

真実の歴史講座 -14-

2005年07月12日 19時40分44秒 | 歴史のこと
  【パリ講和会議と日本が提案した人種平等案②】

 白人と有色人種が一緒に勉強でき、平等に会話することができ、議会で対等に議論できるようになったのは、一体いつからでしょうか。第二次世界大戦が終わって2年目、1947年の国連総会で人権宣言が発表されましたが、このときにやっと白人も黒人も黄色人種も、平等であるとされたのです。
 第一次世界大戦を機とした国際連盟規約には「人種平等」の四文字を入れてもらうことすらできなかったのです。人は種によって平等ではないと、パリの会議で決められてしまったのです。極東国際軍事裁判(東京裁判)のとき、アメリカ人の弁護士と日本人の弁護士とは、便所までが一緒ではなく別々にされていました。日本人の弁護士は、地下室で用を足していたのです。
 そのような差別が、大東亜戦争という大きな戦争の後、ようやく取り除かれたのです。戦後わずか5年の間に、インドを始め東南アジアのASEAN6ヶ国が全て独立します。そして、白人も「人種の平等」を認めざるを得なくなったのです。
 当時のタイの首相、ククリット・プラモードは『12月8日』というタイトルの文章で次のように述べています。
 「日本のおかげでアジア諸国は全て独立できました。日本というお母さんは難産して母体を損ないましたが、生まれた子供たちはすくすくと育っています。今日、東南アジア諸国が英米と対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは、身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったからである。12月8日は、我々にこの偉大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して、重大なる決心をなされた日である。我々は決してこの日を忘れてはならない。」
 昭和16年(1941年)12月8日、日本国海軍機動部隊が、ハワイの真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊を空襲した日であります。

 <続く>
 

最新の画像もっと見る