自分にどれだけの力量があるのか、そんなことが実現出来るのかまったく分かりませんが、ソフトウェア技術者や開発者が楽しく仕事が出来る職場、ソフトウェア技術者や開発者が輝ける社会を目指して、会社を立ち上げたいと思います。
今は夢のような話ですが、実現に向けてまず最初の一歩を踏み出してみるつもりです。先日のうれしいメールに続き、またまたうれしいメールをもらったのが決心のきっかけになりました。
ちょうど6~7年前にチームビルディングに取り組みました。その当時は経営にはまったく興味なく、ただ、ソフトウェアを開発する上での開発プロセスの改善や、それを実現するためのチームビルディングに取り組み始めたころです。その当時は、精神的にも肉体的にも大変厳しい状況での仕事に追われていて、「デスマーチプロジェクト」という、日本語にすると「死に向かって行進をするプロジェクト」などという言葉がはやったりしていたころです。
その当時たった1年だけ一緒に仕事をして、その後連絡を取ることもなかった発注先の新人だったメンバからのメールです。
その当時自分は、「自社の人間も発注先の人間も同じように接します。だけど、発注先のメンバを自分が将来も守り続けることはできません。契約が切れた時点で一緒に仕事をすることはできなくなりますが、だからこそ、一緒に仕事をしたことを、別れた後でも誇りに思えるような仕事を一緒にしたいです。そして、ここで一緒に働いたメンバはどこに行っても恥ずかしくないくらいになって欲しいと思っています。だから厳しくても一緒に頑張りましょう。」と言っていたのを思い出しました。それと、「楽しく仕事をする」が合言葉でした。(^^)
自分が取り組んだプロセス改善やチームビルディングの始めのころのメンバがまさに彼らです。そのころに撒いた種が5年以上の時を経て、自分がまったく気づいていないところで花開いていました。
自分のやっていることが正しいかどうかはその時には分かりません。でも、後になって、ほんとは厳しかったはずなのに「一緒に仕事をしたあの時間は贅沢でした」とか、「今は俺、戦力になってるんですよ」とか、「こんな製品作ったんですよ」と自慢してもらえると、なんか自分のやってきたことは間違ってなかったんだなと思えて、少しホッとします。会社を辞めて離れる前に「もう一回会いましょう」なんてこんなうれしいメールはありません。
このメールを読んで、自分の技術者としてのやりたいことへの決意が固まったように思います。「モノよりコト」だとか、「製品よりもサービス」だとか言いますが、技術者の自分に、「だからといってモノが重要でないとは一言も言ってない」と言ってくれた野中郁次郎さんの言葉が残っています。
一歩一歩、夢を実現するために頑張ってみようと思います。どこかで挫折することがあるかもしれませんが、その時はその時で。見守ってやってください。。。^^;
---- ここから
矢野殿
ご無沙汰しております。
お変わりありませんでしょうか。
月日が経つのは早いもので、RC に携わっていた頃から丸 4 年になります。
現在は、ESC の開発に携わっています。
こちらも 2009 年 4 月からなので、既に丸 3 年になります。
最近ようやく、開発で戦力になれたと実感できるようになりました。
ESC V15 の新機能「ストレージ自動階層制御」の性能データ処理エンジン
作ったの、私ですよ!
矢野さんと開発の皆さんから育てて頂いた 1 年目は、今の新人たちにも
経験して欲しいと思うくらい、贅沢でした。
あの時に培ったものの考え方や仕事のやり方が、今の私の礎だと言っても
過言ではありません。小川さん公認の矢野派です(笑)
# いっぱい怒られもしましたが…。
・ ・ ・
それで、突然なのですが、このたび 3 月いっぱいで退職します。
4 月から、家内の実家近くに住まいを移しての生活になります。
ここ数年でいろいろありまして、いろいろ考えた結果、最終的に
「あ、帰った方がいいな」と判断しての退職です。
今の会社が大好きなので、当初は会社にお願いして、向こうでやれる業務を
ひねり出して頂いていたのですが、今年の 1 末に、突如白紙になってしまいまして、
渋々…。
今も引き継ぎやなんやかんやでバタバタしているのですが、向こうに帰る前に
もう一度矢野さんの顔を見たくて、メールしました。
どこかで飲みに行きませんか!
お返事、お待ちしております。
よろしくお願いします。
---- ここまで
神奈川県横浜発 ”経営者と従業員の幸せ”をお手伝い エマージェント・フィールズ
エマージェント・フィールズ 写真集
今は夢のような話ですが、実現に向けてまず最初の一歩を踏み出してみるつもりです。先日のうれしいメールに続き、またまたうれしいメールをもらったのが決心のきっかけになりました。
ちょうど6~7年前にチームビルディングに取り組みました。その当時は経営にはまったく興味なく、ただ、ソフトウェアを開発する上での開発プロセスの改善や、それを実現するためのチームビルディングに取り組み始めたころです。その当時は、精神的にも肉体的にも大変厳しい状況での仕事に追われていて、「デスマーチプロジェクト」という、日本語にすると「死に向かって行進をするプロジェクト」などという言葉がはやったりしていたころです。
その当時たった1年だけ一緒に仕事をして、その後連絡を取ることもなかった発注先の新人だったメンバからのメールです。
その当時自分は、「自社の人間も発注先の人間も同じように接します。だけど、発注先のメンバを自分が将来も守り続けることはできません。契約が切れた時点で一緒に仕事をすることはできなくなりますが、だからこそ、一緒に仕事をしたことを、別れた後でも誇りに思えるような仕事を一緒にしたいです。そして、ここで一緒に働いたメンバはどこに行っても恥ずかしくないくらいになって欲しいと思っています。だから厳しくても一緒に頑張りましょう。」と言っていたのを思い出しました。それと、「楽しく仕事をする」が合言葉でした。(^^)
自分が取り組んだプロセス改善やチームビルディングの始めのころのメンバがまさに彼らです。そのころに撒いた種が5年以上の時を経て、自分がまったく気づいていないところで花開いていました。
自分のやっていることが正しいかどうかはその時には分かりません。でも、後になって、ほんとは厳しかったはずなのに「一緒に仕事をしたあの時間は贅沢でした」とか、「今は俺、戦力になってるんですよ」とか、「こんな製品作ったんですよ」と自慢してもらえると、なんか自分のやってきたことは間違ってなかったんだなと思えて、少しホッとします。会社を辞めて離れる前に「もう一回会いましょう」なんてこんなうれしいメールはありません。
このメールを読んで、自分の技術者としてのやりたいことへの決意が固まったように思います。「モノよりコト」だとか、「製品よりもサービス」だとか言いますが、技術者の自分に、「だからといってモノが重要でないとは一言も言ってない」と言ってくれた野中郁次郎さんの言葉が残っています。
一歩一歩、夢を実現するために頑張ってみようと思います。どこかで挫折することがあるかもしれませんが、その時はその時で。見守ってやってください。。。^^;
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矢野殿
ご無沙汰しております。
お変わりありませんでしょうか。
月日が経つのは早いもので、RC に携わっていた頃から丸 4 年になります。
現在は、ESC の開発に携わっています。
こちらも 2009 年 4 月からなので、既に丸 3 年になります。
最近ようやく、開発で戦力になれたと実感できるようになりました。
ESC V15 の新機能「ストレージ自動階層制御」の性能データ処理エンジン
作ったの、私ですよ!
矢野さんと開発の皆さんから育てて頂いた 1 年目は、今の新人たちにも
経験して欲しいと思うくらい、贅沢でした。
あの時に培ったものの考え方や仕事のやり方が、今の私の礎だと言っても
過言ではありません。小川さん公認の矢野派です(笑)
# いっぱい怒られもしましたが…。
・ ・ ・
それで、突然なのですが、このたび 3 月いっぱいで退職します。
4 月から、家内の実家近くに住まいを移しての生活になります。
ここ数年でいろいろありまして、いろいろ考えた結果、最終的に
「あ、帰った方がいいな」と判断しての退職です。
今の会社が大好きなので、当初は会社にお願いして、向こうでやれる業務を
ひねり出して頂いていたのですが、今年の 1 末に、突如白紙になってしまいまして、
渋々…。
今も引き継ぎやなんやかんやでバタバタしているのですが、向こうに帰る前に
もう一度矢野さんの顔を見たくて、メールしました。
どこかで飲みに行きませんか!
お返事、お待ちしております。
よろしくお願いします。
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