Elicia Flower ~ エリーシアフラワー ~

暮らしに彩りと笑顔を添えるような
手創りのアートフラワー作品を
紹介しています
(※時々育児日記も…)

嬉しい贈り物

2014-09-08 | 日記
先週金曜日、父親の命日でした。

旦那さんの会社のお客様から
嬉しいサプライズの贈り物を頂きました。

私の1年前か2年前の、父親の命日について書いたブログを
読んで下さって、父の命日の日付を覚えていてくださった、とのこと。

たまたま金曜日に旦那さんがそのお客様との打ち合わせで訪問された時に
贈り物というかお供え物を頂きました。



私自身、一度しかお会いしたことがない方なのに、
そんな私の、亡くなった父親の命日のお供え物を用意して下さったなんて。。。

そのお気遣いに感動しました。

なんてすごい気遣いなんでしょう!!!


誰かのブログを読んで、その中に書かれていた何かの記念日の日付を
覚えていること自体、普通あり得ませんよね。
売る覚えだったとしても、そのあたりの日に、
気遣いの行動を起こせることが素晴らしいと思いました。


なにか、私自身に贈り物を頂いたとしても、
サプライズでとても嬉しいことですが、
なによりも私が大切にしている人に対して
お気遣い頂いたことのほうが、とても嬉しく思いました。



気遣いができる人って、意外と少ないものだと大人になるにつれ
知りました。

まず、気付かない人がいるんです。
自分のことしか考えていない人は気付かないものですね。

そして、気付いた時、それを「行動」に移せる人が少ないものです。

私自身もできてないなぁと自分自身を反省しました。



今回、大事な父親の命日にお供え物を贈って下さった方は
かわいらしい店長さんです。

ホッとする雰囲気のお店と笑顔で出迎えてくれますよ♪
お近くの方は是非どうぞ!

サラダ館沼田上原店
群馬県沼田市上原町1611-10



今日は父親の命日です

2014-09-05 | 日記
今日、9/5は父親の命日です。
34年経ちました。
早いです。

39歳で亡くなりました。
自分がその年に近づくたびに、その若さに驚きます。 亡くなってから34年間、親や親戚、近所や知人、たくさんの人が
「若かったねぇ・・・」と言うのを何十回も聞きました。
幼いころは「34歳って若いんだ・・・」って不思議でしたが、 自分がその年齢に近づくたびに「若すぎる・・・」と言葉が出ません。
命日ではなくても、ここ数年は常に思うことがあります。

「お父ちゃんは、39歳以降に 何がしたかったんだろう」
「39歳以降にやりたかったことってどんなことなんだろう」と。

普通、寿命くらいの80歳くらいで亡くなることが多い中、
それくらいで亡くなった方を34年間毎年、常日頃思い出す人って
少ないと思います。
若くして亡くなると、その人を想う期間が長いです。



去年かおととしあたりの命日にも書いたかもしれませんが、 「命日」エピソードで一番忘れられないことがあります。
母親が数年前に教えてくれた事実。
数年闘病生活だった父。 亡くなった時は私は3歳。(もうすぐ4歳の頃)

最後のほうは、母親も自宅から遠い市内の病院でずっと付き添い。 帰ってこない生活。
家では、おばあちゃんやおばさんなどが交代で
自営業の事務、そして私たち子供4人のお世話に きてくれてました。
3歳で母親と父親がずっと居ない生活。

命日の9/5。

夜、息をひきとって、冷たくなった「遺体」となって、
変わり果てた姿で自宅に帰ってきた父親と、
父親に付き添って泣きじゃくって帰ってきた母親。
3歳の私の第一声が
「お父ちゃんとお母ちゃん、帰ってきた~! やったぁ~~~!!」


本人の私はそのことを忘れていて、 数年前に母親から聞いたときは、自分で言ったことなのに しばらく固まりました。
今でも思い出すたびにただただ黙ってしまいます。


私の娘達は1歳と3歳。

最近、3歳の長女が、私が休日に2時間美容院に行って帰ってきた時。
旦那さんが仕事から帰ってきた時。
玄関先にダッシュしてきて、
ジャンプしながら拍手しながら迎えてくれてこう言います。
「パパ帰ってきた~!やった~~!!」

「ママが帰ってきた~!やった~~~!!U+200B」


あの当時の私と同じ年齢。
顔もそっくり。

言葉がありません。


いかに、子供にとって、父親と母親とは、ただ家に居てくれるだけで嬉しい存在なのか、
考えさせられるエピソードです。

そして、親の使命として、自分がいつも心身ともに健康でなければならない、とわかりました。



命日ではなくても、常日頃、お父ちゃんの存在を感じます。
お父ちゃんはいつも私のそばにいて、危ないときはツンと突っついて教えてくれて、頑張る毎日のことは全力で応援してくれています。


本当に愛がある親子関係では、生身の人間の時でも、魂となったあとでも、 「気」を感じます。