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1980年以前の中学に家庭科、未必修の男性諸氏に医療従事者を含め必要かも。

[食生活の歴史] 食生活について語ろう

2019年11月27日 | 美容ダイエット
・食生活の歴史History of eating habits・life しょくせいかつのれきし 

   近年の日本は食糧過剰時代、グルメ、飽食が現代の食生活です。又健康食品と呼ばれる栄養補助食品、特別用途食品も出回り健康志向についても考えられるようにもなりました。しかし、飽食の時代を反映し糖尿病などの生活習慣病は、近年急速に増加しています。
世界の糖尿病人口は 2012年12月概況3.7億人に、日本の糖尿病の患者数は平成26年(2014year)316万6,000人となり、過去最高を更新しています。糖尿病の可能性のある糖尿病予備軍の方の数を入れると、約1620万人です。 この数字は、成人の約6.3人に 1人が糖尿病ということになります。
遺伝的・体質的なものもありますが、日本人では肥満との関係は、明らかに多いようです。糖尿病・メタボリックシンドロームの原因のひとつにもなっています。
一時期贅沢病とも言われた糖尿病です。大昔からの食生活を振り返ってみましょう。

日本の食生活の歴史は、一万数千年前より存在していたといわれていますが、紀元前2000年ぐらいの縄文時代からにさかのぼっているのが一般的です。貝塚、遺跡、正倉院の宝物(8C)、延喜式(えんきしき)の法典(907年)、万葉集((8C:奈良時代)、古事記(712年)、日本書紀(720年)など歌や宮中生活の見聞を書いた書物から拾い出し調べられています。
日本も古くは、大陸と陸続きで、地殻変動により沈降隆起して現在の南北に細長い地形となっています。その間動植物の移動、交配が行なわれ有史に残る動植物の原産地として定着していったものと思われます。日本で縄文式時代以降の大きな人種間の移動は少なくなっているというのが一般的です。

 ●縄文時代は紀元前7・8000年~紀元前200年頃までで、新石器時代で発掘される人骨より血液酸性度が低く、好んで食べられていたのは、動物では肉より内蔵、髄で食塩の無かった時代で有機塩の形で補給し他のミネラルも摂取しています。
骨格の発達が良好でカルシュウムの補給状況もよくビタミン、ミネラルバランスがよかったのではと推測しています。貝塚より貝殻、魚の骨、動物の骨を発見しています。 主食、副食の別なく雑食といったほうが適切かもしれません。焼き石なども発見し火を用いた調理法であったようです。
自然災害、不測の事故、衛生的環境の悪さが短命の原因と思われ乳幼児期に半数が死亡してしまい平均寿命も30代ではないかと推測しています。
●弥生式時代(紀元前200年~西暦300年前後)、静岡県の登呂遺跡に見られるように水田稲作農業を特徴としています。
 稲作が普及し動物の内臓からの有機塩補給より藻類からの藻塩焼きによって作られる食塩が使われるようになっています。野草、果実、魚介、鳥獣(ちょうじゅう)肉を副食としています。社会的分業が行なわれ始めています。
遺跡より杏、ハスが出土されています。


●古墳時代(西暦300年前後~600年前後)、大陸からの帰化人により高度な農法、鉄製農具、牛馬の利用がおこなわれ稲作の苗代(なわしろ:種をまいて苗[なえ発芽して少し育った幼芽]を育てるところ)が取り入れられています。マクワ瓜、ヒサゴ(瓢)、コムギ、大麦、アワ、ヒエ、ソバ、キビ、マメ、ニラ、ヒル、アオナ、オオネ(大根)、モモ、果実、野菜の栽培が行なわれるようになってきています。醸造法の輸入で濁酒(だくしゅ)が飲まれていたが清酒はまだなかったようです。杉、ササの葉での防腐の技術が行なわれるようになっています。
 遺跡、風土記(713年)、古事記(712年)より、縄文時代の食物に加え、弥生式と、古墳時代には、栽培したものと合わせ野性の食物採取も盛んに行なわれていたと推測しています。
、コウメ、アンズ、ぶどう、ソラマメ、ウズラマメ、ササゲ、アズキ、ハス、ハジカミ、芋(うも)、臭韮(かみら)、人参蒜(にら)、百合、筍(たかんな)芹(せり)、菱(ひし)、蓬(よもぎ)、独活(うど)、葛根(くず)、海草、哺乳動物、鳥類、海鼠(めこ)、くらげなどがみつかっています。


●飛鳥時代(552年、593年頃~645年、701年頃)、酥(そ:乳を煮詰めたものといわれる)が中国より飛鳥時代(7世紀)日本に伝わってきました。
胡瓜(きゅうり)が6~10C伝来しているが栽培は江戸時代とされています。
食用菊が奈良時代以前に薬用、観賞用として伝来しています。
ネギの日本への伝来は、8世紀以前であると考えられ日本書紀(720年)で秋葱(あさぎ)と記されています。


●奈良時代(710年~794年)、骨格の発達は身長が高くなったのに反し骨組織は、貴族において徐々に低下、血液酸性度が上昇してきて死亡率も高かったのでは思われています。香辛料、各種調味料、発酵食品、菓子などが作られるようになってきました。
奈良、平安時代に牛の飼育がおこなわれ、醍醐味は、牛乳、羊の乳から作られた美味なもの牛乳からできる五味で乳・酪(らく:ヨーグルトらしい)・生酥(しようそ:乳を煮詰めたものといわれる)・熟酥・醍醐としているとされます。
奈良時代にうどん(索餅:むぎなわ)、紅花が中国の唐より伝来しています。
荏胡麻(えごま)、胡麻、ナツメ、ブドウ(風土記)が奈良時代には食用とされていたようです。


●平安時代(794年~1192年)、中国から食文化の影響を強く受け、乾燥食品の再加工、油、薬物として入ってきて日本でさらに変化して食材として利用されるようになってきました。貴族の間で仏教の影響を受けるようになり食品のタブーが著しくなって現れてきて特に哺乳動物の摂食が戒められるようになってきています。庶民では仏教の教えは浸透しておらず特に栄養バランスはよかったと思われています。
延喜式(907年)は、長く朝廷の規範となり、正月の七草粥、3月、5月、9月(9/9の重陽・菊の節句)、節分などの伝統的行事として現在まで引き継がれています。
本草和名(延喜年間)、倭[和]名類聚抄(わみょうるいじゆしょう:935年)に食材の種類についてトコロテンなど200数種が、新猿楽記に丹波の栗、隠岐のあわび、越後のさけなど諸国の名産が記された書物が残っています。
ゴボウが食用、紫苑(しおん:薬用)、紫蘇(しそ)、白ウリ(漬物)、トウガン、トンブリ、ナス、にんにくとしての記録が残っています。
末期に石榴(ざくろ)が伝来しています。


●鎌倉時代(1192年~1333年)、武士の時代となって、質実剛健で質素な食事、玄米食を取ることによって、エネルギー、ビタミン、ミネラルの補給ができています。健康的食事が考えられるようになり、粥(かゆ)が普及し今の御飯のもととなったといわれます。後期には宮中生活へのあこがれがあったようです。しかしながら宮中での食生活は、飲酒、が従で食品の種類の片寄りが多くひ弱で体調不良を訴えるものが多かったといわれています。
中国より小松菜(江戸時代に品種改良)が伝わっています。
末期に納豆(中国)の記載の書物があります。


●室町[南北朝1336~1393]時代(1338年~1568年)、公家と武家文化の融合がはかられています。
 西欧より砂糖、砂糖菓子が、中国より饅頭(まんじゅう)、豆腐、シナ料理、味噌、醤油、清酒が出現しています。
刺身としての料理法、日本料理主流とされる懐石料理が始まったといわれています。
1543年(鉄砲伝来)、1549年(キリスト教伝来)等の南蛮船渡来でカボチャ、じゃが芋、トウモロコシ、春菊、パン、てんぷら、カステラ、コンペイトウ、たばこが日本に伝えられました。


●安土桃山時代(1568年~1603年)、文化が地方や下層庶民へ普及、貨幣経済が台頭(たいとう)し商工業者の生活向上のきざしがうかがえるようになって来ました。武士階級も白米食となり清酒、砂糖の普及で栄養不足で健康食から遠ざかる結果となっています。茶事が流行しています。
スイカ、とうきび、トウモロコシ、トウガラシ、ザボン、イチヂク、マルメロ、トマト(観賞用)、さつま芋、トウガラシ、バナナが南蛮船によって伝来しています。


●江戸時代(1603年~1867年)、貨幣経済が浸透し町民により日本食の集大成が行なわれ元禄時代(1688~1704)に和食の完成に至っています。食卓(しっぽく)料理、南蛮料理、会席料理、漬物、そば、うどん、鰹節、飲食店などが出現してきました。精白米の利用が進んで、また上流階級で行なわれてきた年中行事が一般にも浸透してきています。現代に伝えられる食事回数が3回に間食と食習慣が固定してきた時期といえます。飢饉(ききん)などもあり備荒(びこう)食物もいろいろに工夫した食べ方が研究されています。しかし庶民の食事は、つつましく、汁かけ御飯、一汁1菜程度のものが長い間続きます。
本朝食鑑に江戸時代の食品の一覧が記載されています。
陸ひじきが食用とされていたという記録が残っています。
江戸時代に伝来した食品は、アスパラガス(観賞用)、イチジク、フジマメ(?インゲン豆)、カボス、ホウレンソウ、トマト、タマネギ、キャベツ(栽培は明治になって)、高麗人参、コンニャクイモ、水前寺菜(中国)、ダッタンソバ、ちょろぎ、サトウダイコン(テンサイ)、ゴーヤなどです。
日本に大豆が伝わったのが2000年も前といわれていますが枝豆として未熟の豆を食べるようになったのは江戸時代になってからとされます。
初期に寒天、沢庵、サボテン(オランダ)、ナタマメ、チコリー、フダンソウ、ニンジン、ヘチマ(中国)が発見、伝来しています。
中期にアーティチョーク(観賞用)、サトウキビ(栽培)、パセリ(オランダ)、ラッカセイが伝来しています。
末期にサフラン、いちご(オランダ)が伝来しています。


●明治時代(1868年~1912年)、鎖国による文化の立ち遅れを洋風模倣(もほう)によって欧米の文化水準に追い付こうとして牛肉、ミルク、コーヒーなどの洋風の食品、調理法、食事作法が急速に進展してしていきました。
1894年高峰譲吉が小麦からのフスマに麹菌を植えつけタカジアスターゼ、鈴木梅太郎が米糠からオリザニンを1909年に見出し栄養学の更なる発展に貢献しています。
日清戦争、日露戦争などにより社会的経済の浮き沈みを受け食生活も規制せざるを得ない時代が続くことに陥っていくことになります。
じゃが芋の栽培が始まっています。
明治時代に豌豆(えんどう)、カシス、オレンジ、四角豆(トウサイ)が紹介、導入されています。
初期にヨウナシ、オクラ、カリフラワー、クレソン、ルバーフ、コールラビ、大菜(たいさい)が伝来しています。りんご、サクランボ、山東菜、ピーマンが栽培されています。


●大正時代(1912年~1926年)、 国立栄養研究所が1920年に設立、一般家庭への栄養の知識の普及がはかられています。


●昭和時代(1926年~1989年)、第二次世界大戦後(1945)には食事の重要性が強調され日本人の体位向上が見られるようになっています。
日本の昭和30~40年代の食生活が最も健康によいのではないかと世界中から注目を集めています。後期には、欧米化した食事の弊害が指摘され肥満が増加、ダイエットと戦前では考えられない事態の発生を見るに至りました。
1950年代にセミノール(アメリカ)、テラピア(アラブ連邦、タイ)が導入されました。
1960年代にキウイフルーツ、サニーレタスを導入しています。
1970年代にステビア(パラグアイ)、ズッキーニ(アメリカ)、スナップエンドウ(アメリカ)が、中国野菜として昭和47年(1972年)以降になって中国から再導入された野菜を指してチンゲサイ、キンサイ、コウサイタイ、コリアンダー、パクチョイ、カイラン、ツルムラサキ、セリフォン、トウミョウ、ヨウサイ(エンサイ、クウシンサイ)、搨菜(たあさい:中国[1930年代に伝来])が紹介されています。

  
●平成・令和時代(1989年~)、少子化とともに伝統的よき食文化を伝える為の未来の子供達のための食育が叫ばれています。
エリンギが1993年から1995年にかけて日本に紹介しています。

 平均寿命は、室町時代頃まで30歳代、江戸時代になって45歳ぐらいになります。縄文人は5歳までに約半数が、大正時代には10歳までに約25%が死亡していました。乳幼児の死亡率が大きく低下したのは、太平洋戦争後のことです。
昭和20年(1945year)でやっと50歳代前半、戦後急速に伸び平成の時代に入ると80~87歳へと医療の発展により急速に伸びています。

弥生式時代の紀元前200年~西暦300年前後には、水田稲作農業を特徴としています。
 稲作が普及し動物の内臓からの有機塩補給より藻類からの藻塩焼きによって作られる食塩が使われるようになっています。野草、果実、魚介、鳥獣(ちょうじゅう)肉を副食としています。社会的分業が行なわれ始めています。

平安時代(794年~1192年)、中国から食文化の影響を強く受け、貴族の間で仏教の影響を受けるようになり食品のタブーが著しくなって現れて特に哺乳動物の摂食が戒められるようになってきました。
 食物史に関する資料は、平安時代以降、飲食に関係することを詳細に記述することを忌避(きひ)する風潮があったのではないかと推測します。さらに、明治以前は食物についての栄養に対する知識はなく、本能に任せた食生活であったようにも思われます。
古来より年中行事に必ず付いてまわる食事ですが、つい最近20世紀までも食べ物についてあれこれ話すことを避け、「栄養のことを考えて食べていたら食事がまずくなる。」などといわれたりして尾を引いていたといっも過言ではないかもしれません。
庶民では仏教の教えは浸透しておらず貴族よりは栄養バランスはよかったと思われています。

薬、漢方薬としての考え方は古くからあったと思われますが、栄養バランス、毎日毎食の食生活については、単に腹八分目、農耕でを主食とする日本では庶民の食事は、つつましく、汁かけ御飯、一汁1菜程度のものが長い間続きます。
大正時代(1912年~1926年)に国立栄養研究所が1920年に設立、一般家庭への栄養の知識の普及がはかられることとなりました。

狩猟採集社会では、摂取カロリーの45~65%が狩猟によって得た動物性食品で、残りは採集した木の実や果物や野菜や豆などでした。このような食事ではカロリー比率は糖質が20~40%程度で、蛋白質が20~30%、脂肪が40~50%程度になると報告しています。

農耕によって2000年前、前後の弥生時代に穀物が安定的に得られるようになり、食事の糖質のカロリー比率が上がることになります。
 近年の栄養学では、日本人の食事摂取基準(2015年版)PFC比率で、たんぱく質(P)13~20%,脂質(F)20~30%(飽和脂肪酸は18歳以上において7%以下),炭水化物(C)50~65%と全カロリーの50~65%を糖質から摂取することを推奨しています。
肉類や脂肪の摂り過ぎが健康に良くないということを主な根拠としています。
国民健康栄養調査によると最近の日本人全体の平均脂質摂取状況は約25%であり、エネルギー産生栄養バランスはほぼ望ましい状況と考えられ、日本が世界一の長寿国になれたことと医療の発展・進歩とともに深く関係すると言われています。
スポーツ選手では競技力向上のためには、毎日使われる筋グリコーゲンを、いかに体内に補給していくかということが重要で筋グリコーゲンになる糖質を、毎日補うことが必要でありPFC比率を15%:25%:60%を基準としています。
欧米人のPFC比率は、たんぱく質(P)20%,脂質(F)40%,炭水化物(C)40%と脂質の摂取割合が高く、糖質の摂取割合が低い状況であり平均寿命で3才程度日本が上回っています。日本人は腸が長いといわれ、体質的なこともあります。

糖尿病のうち1型糖尿病の頻度は、日本人では欧米の白人に比べて明らかに低く、 十~数十分の一、生活習慣によって発症しやすい2型糖尿病に関し我が国では最近40年間で30~50倍と2型糖尿病が著しく増加、 肥満傾向の欧米では5~10倍と増加はしていますが日本よりもはるかに緩やかです。
弥生時代より農耕民族の日本人は長年飢餓の危険に耐えて生活、穀物が中心の低脂肪低カロリー食が中心でした。日本人の遺伝子には過剰摂取されたカロリーを処理する機構は要求されず、逆に、少ないカロリーで生き残る事が出来る優れた少エネ体質を作り上げてきたと考えられています。
 現代の急激な飽食の時代を迎え栄養バランスの変化が加わり糖尿病が激増したのではといわれます。
遺伝的素因が日本人と変わらない日系2世米国人では日本人よりも2~3倍、米国の白人と比べて糖尿病が多いという事実があり同じ脂肪の多い過剰な食事をとると米国白人よりも日本人の方が圧倒的に糖尿病になりやすいといいます。

 脂質の割合の高い欧米です。余分に摂取した脂肪は、貯蔵脂肪となり必要に応じエネルギー源とし使われます。炭水化物は、グリコーゲンとして貯蔵したり、必要に応じてブドウ糖にかえ血中に送り出し筋肉のグリコーゲンとなって活動のエネルギー源となります。
動物のエネルーギー代謝に必要な炭水化物で瞬発、短時間の無酸素運動というエネルギー代謝に主に使います。長時間の有酸素運動では、脂肪(中性脂肪)がエネルギーとして使われます。
理想とし肥満にならないよう摂取した炭水化物を脂肪への貯蓄がされないよう血糖値の調節をするのがよいでしょう。
 
 
体質的なことから、糖質の多い食事・脂肪の多い食事のどちらが良いのかは、未知数ともいえます。  
狩猟採取時代には、怪我などによる早死にで糖尿病も高脂血症もがんも極めて少なかったと考えられています。現在でも、狩猟採取を行っている民族では、これらの生活習慣病は皆無との報告です。  
このように、多くの現代病の原因として糖質摂取量の増加・肥満との関与の指摘があります。汁かけご飯では、糖質に片寄りすぎた食事となります。
 
病気の発症に糖質の過剰摂取がどのように関与しているか、そのメカニズムを考察する必要があります。ブドウ糖は、血糖値に反応しやすくエネルギー源とし即時に利用しています。
余分に摂取した脂肪は、中性脂肪となり必要に応じエネルギー源とし使われたり、内臓の保護、体温調節に大切な働きをしています。
絶食時、空腹時には、中性脂肪が加水分解を受けてできたグリセリン〔グリセロール〕からグルコース〔ブドウ糖〕が肝臓で糖新生〔糖以外のものからグルコースを生成する〕しています。
糖質は、脂質に比べ即に血糖値に影響を与えやすいといえます。脂質からのエネルギーを得ている欧米では、肥満の人が多くても、糖質を過剰摂取した日本人に比較して、糖尿病が少ないということが理解できると思います。
 自然食時代から主穀時代を経て近代的食文化を築き上げてきました。
民族的に穀物などの草食性の食物を多く取っている民族は一般に冷静で気性が穏やかであるのに対し肉食性の食物が多い民族は気性が激しく熱しやすいといわれています。
21世紀は、医薬も大切ですが、食について大いに語り、健康増進を目指そうではありませんか。
 
現状では、長寿国・日本の栄養バランスを考えた食事で人生80年以上の時代を迎えていることを考えるとPFC(たんぱく質油脂類炭水化物)比率を15%:25%:60%を基準とするの最良といえるのかもしれません。
 
 
ご愛読戴きましてありがとうございます。よりよい情報をお届けしてまいります。
 
(初版2019,11,27)

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