こんばんは。
今日は少し私たち兄弟が所属している
広島青年僧侶春秋会の結成50周年記念企画
「吉本新喜劇とアジャセの物語」の紹介です
若いお坊さんたちが一生懸命に考えて
こんな、おもいろいことを企画しました
ぜひ皆さん遊びにきてください
詳細は、広島青年僧侶春秋会で
ホームページ検索をしてみてください。
必見の価値があります

お盆はいかが過ごされましたか?
実家に帰省されたり、各所に行かれたり、
良い思い出ができたことと思います。
さて、私も今日でお盆参りが終了しました。
ハードな一週間でした。
直記先生にも手伝ってもらいながら、
無事務めることができました。
今日は初盆の為に門徒さんが東京から車で9時間かけてお参りに
来てくださいました。
有難いことです。

お盆は亡き方を偲びながら、今ある私のいのちの尊さ・かけがえのなさに
気づかせていただいたそのご先祖様に感謝する期間です。
苦も楽もあるこの人生を受け入れながら、共に今を大切に精一杯
歩んでいきましょう。
涙そうそうの歌にあるように
『きっといつか会えると信じ生きていく』
素晴らしい歌です。

明日からは先生たちの日記が再び始まります。
お楽しみに
研修会に行っています。
夏休みは研修をして皆更なる自己研鑽を重ねます。

ここでたくさんの吸収をしてまた子どもたちにたくさんのことを
還元してくれることでしょう。

さて、私は豊平のお寺で開催しているサマースクールの手伝いに今日は
朝から行って来ました。昨日から二泊三日で開催しています。
都会の生活とは異なり虫もたくさんいるし、不便なことも多いことでしょう。
でも子どもたちはそれ以上に学ぶことが多いと思います。

夜のキャンプファイヤーが終わりお寺の近くのお風呂に行きましたが、
何とその途中にホタルを見ることができました。
多くの歓声が移動中のバスの中であがり、それだけでも
大きな驚きであったと思います。

私は明日から埼玉へ次世代の研修会に出張しますので、
今帰ってきましたが、参加している子どもたちの仏の子としての
更なる健やかな成長を願いたいと思います。

こんな様々なことが起こる世の中だからこそ、
手を合わせ感謝の気持ちを大切にする
まことの保育の大切さを実感しています。

お参りに回りながら汗もびっしょり。
そんな脱水症状になる前に皆さんも水分摂取を忘れずにいきましょう。
ところで、喉がからからの中、水栓をひねりながらこんなことを考えてみました。
水道の栓をひねると水が出る。ガス・コンロのスイッチをひねると火がつく。当たり前のことように行っていること、日常生活の中にたくさんありますよね。
家族がいて、当たり前、友だちがいてあたりまえ。でも、考えてみると、当たり前のように思っていることに、本当に感謝しなければならないことが多いことに、実は気づくのです。
私たちは、生きるためには空気を吸わなければならない。でも、普段はそれを意識していません。
地震などの自然災害にあったときにはおそらく痛感することなのでしょうが、食べ物ももちろん、水もなければ生きていけない。
空気や水や食べ物などだけではなく、私たちの身の回りには、家族や友だちをはじめ、たくさんの人たちがいて、私たちの生活を支えてくださっています。「お金を払って」、という資本主義の世の中だからでしょうが、本当は、どんなことも「してもらって」生きているのです。

環境問題も最近取り上げられることが多くなりましたが、自然の力で生かされていることが本当はとても大切で、私たちが今、気づかなければならない最も大事なことなのかも知れません。

地球温暖化、CO2の排出規制、などなど、たくさんのことが問題視されています。日本に暮らす私たちには、まだまだ「対岸の火事」のようにしか、とらえられない面があるのかも知れませんが、地球規模では大変に深刻な問題が起こってきています。海水の水面がこれから上がってきたら、オゾン・ホールがこれ以上、広がったら。

目に見えない、そして普段意識も感謝もしない「空気」に対しても感謝の気持ちを持つ。今からとても大切なことになるのかも知れません。

平成20(2008)年4月18日(金)~5月25日(日)
広島県立美術館
午前9時~午後5時 土曜日は午後7時まで開館
(ただし入館は閉館30分前まで)
月曜休館(ただし5月5日は開館)
只今開催中の本願寺展に園長と直記先生と3人で出かけました。
もうすでに4万人の方々が訪れているとのこと。
やはり安芸の地は安芸門徒とよばれるだけあって関心の高さがうかがえますね。
遅ればせながら私たちも鑑賞しましたが、素晴らしい~~~~
私たち僧侶も普段見ることができない重要文化財がたくさん展示されています。
ちょっとお寺にはという方も、是非おでかけしてみてはいかがでしょうか。
日本史に出てくる徳川家康・織田信長・豊臣秀吉等、本願寺とゆかりのあった
人物とのやりとりしてある展示品もあります。
若い方にも十分楽しんでいただけることと思います。
京都は幸いにも2日間ともにお天気が良かったです。
また、桜も広島より暖かいのか、早く咲いていました。
これから広島もお花見シーズンになりますね。
園庭の花びらはもう少しかな!
入園式までもって欲しいものです。
ただ願うだけです。
さあ、明日からまた新学期準備です。
当寺でも午後から四国からご講師の先生をお招きして、お勤めいたします。
ところで報恩講とは浄土真宗を開かれた、親鸞聖人のご苦労をしのび、そのご苦労を通じて、阿弥陀如来のお救いをいただくことをあらためて心に深く味わわせていただく法要です。
皆様も今ある命を喜ばせていただきながら、1日1日を感謝の内に歩みましょう。
明日は大震災から13年です。
『無事』
毎日を「無事」に過ごす。無事の対語は、事件や戦争などの「有事」ですから、無事は大切なことです。「無事」の大事さがわかれば、自然とすべてのことに感謝できるようになるだろうと思うのです。
「全員、無事で帰りました」「おかげで無事に暮らしております」など無事は日常よく使われる言葉です。「平穏無事」の語もあります。
その「無事」はもともと仏教語で、こだわりのない、障りのない心の状態をさしているのです。何事も外に求めず、あれこれはからいごとをめぐらすこと無く、ただ自分がなすべきことを一つひとつこなしていくという意味なのです。
ついつい無事に過ごせていることを満足せずに欲が出てしまう自分がそこにいませんか?
私も反省の毎日です。
おかげさまの生活を大事にしたいものです。
サンフレッチェ広島 天皇杯決勝進出
8年ぶりに決勝進出だそうです。副園長も「元日の決勝に応援に行こう!」などと言っていましたが・・・
ぜひとも、頑張ってほしいものです。
さて、今年も12月31日大晦日に幼稚園隣接の永照寺にて『除夜会』が開催されます。
そこで今日は、本などでも色々調べてみましたので、除夜の鐘について少し書いてみたいと思います。
除夜の鐘を108回つくのはなぜでしょう?
108という数が人の煩悩の数だというのは有名ですが、その108という数の由来については諸説があります。
108の煩悩は人間の感覚を司る眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が、それぞれ好(気持ちがよい)悪(嫌だ)平(何も感じない)不同の3種があり3×6=18の煩悩となり、これが、また浄(きれい)染(きたない)の2種に分かれ18×2=36の煩悩となります。さらに、現在・過去・未来の3つの時間が関わって、36×3=108となります。これが、108の煩悩だといわれています。
また、その他には、1年の12ヶ月+24節気+72候を合わせて108とし、108という数は煩悩ではないとするものや人間の苦しみ『四苦八苦』の語呂合わせで『4989』を【4×9=36】+【8×9=72】=【108】になるなど、色々とあるようですね。
鐘って、どう突くの?
人それぞれに違いがあるように、突き方も人それぞれ違っていて当たり前です。大切なのは気持ち良く突くということです。
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恒例の年末行事です。皆様で気持ち良く鐘を突きましょう。お気軽にお越しください。
永照寺『除夜会』
大晦日 23時55分~ 場所 永照寺(幼稚園隣接)
昨日は、浄土真宗安芸門徒の会がラジオを通して日常生活で使用している言葉の中で仏教語が意外と使用されていることを知ってもらいたいとの願いで企画している番組の総会・懇親会が開かれました。
その会に私も出席させていただきました。
如何に僧侶として発信をしていくか。このことが問われる現代において非常に感銘を受け協力をさせていただいています。
これからも色々な形で発信をしていきたいと思っています。
放送日は次のとおりです。
土曜日14時45分より
俊雄と裕見子のおもいっきり土曜日
浄土真宗 安芸門徒の会『ことばの道しるべ』 を是非お聞きください。
RCCラジオ http://www.1350.jp/eigyou/time.htm#sat
ちなみにですが、副園長が出演した夜回り先生 水谷修氏の講演会宣伝の模様は以下です。
いやあ 暑いですね。熱中症には十分水分をとって気をつけましょう。
ゴルフ時のビールやカフェイン類の摂取にはご注意!!
今日は盆踊りについて紹介をさせていただきます。
明日は宮島の花火大会ですが、花火は仏教には関係ないですけど、
盆踊りは仏教、特に我々の称える「南無阿弥陀仏」に
大いに関係することですので紹介したいと思います。
盆踊りは元来、死者の霊を迎えて慰めるための踊りで、
その起源は、平安時代中期に、庶民に浄土教を広めた空也上人がはじめた、
踊り念仏〔踊躍(ゆやく)念仏ともいう〕にさかのぼると言われています。
そして鎌倉時代には一遍上人の念仏踊りに引き継がれ、
一遍上人の開かれた時宗と共に、全国へと広まったとされています。
当時一遍上人は小さな紙片に「南無阿弥陀仏」と名号を書き
その札を配り歩きました。
これは一遍上人独自の布教活動で、今でいう広告のビラ配りと
同じようなものですが
一遍は配るときに、この名号札そのものに絶対的な力があると説いたため
人々は救いを得ることができる証拠品として、大事に受け取ったのでした。
そして人々は喜びのあまり自然に体が踊り出したといいます。
この踊りを続けるうちに、人々は法悦状態になったといいます。
そして室町時代になると、鐘や太鼓を叩きながら念仏を唱えて踊るようになり
時代とともにさまざまな趣向が取り入れられて風流な色彩を強めていきました。
江戸時代には、民謡なども加わって娯楽的な行事として
根を下ろしていき、現代に至るそうです。
ところで「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える宗派は主に3つあります。
時代的にまず始めは法然上人が開いた浄土宗で、
さとりに至るいくつかの方法の中から、特に念仏を選び取り、
念仏を口に称えることで救われると説きました。
次に親鸞聖人が開いた我々の宗派。
浄土真宗では南無阿弥陀仏への信心が起きたときに
既に救われていると説きます。
しかしその後の一遍の開いた時宗では、更に進んで
「南無阿弥陀仏」という名号そのものに絶対的な力があると説きました。
ひたすら名号を称えれば、阿弥陀仏と衆生〔生きとし生けるもの〕と名号とが
渾然一体になり、そこに救いの世界ができあがるとされます。
我々浄土真宗の親戚とも言える時宗が盆踊りの起源だったとは、
ご存じなかった方も多いことでしょう。
浄土宗、浄土真宗、時宗の教えを頂く人は皆、
「我々の先祖のお陰で盆踊りが受け継がれてきたのだ」
と誇りに思っても良いと思います。
我々も盆踊りをする際は、歓喜したご先祖様と同じように、
私たちも念仏の教えで喜びがわいてくるようにしたいものです。
本日は、私たち兄弟で参加している広島青年僧侶春秋会の会議がありました。直記先生が、その会報誌の紙面担当であり、現代の皆様がどんなことを僧侶に求めているか、そして何を必要としているかを我々若手の僧侶会員も知る必要があるとのことで、保護者の皆様にアンケートの協力をお願いさせていただきました。 春秋会は、40歳までの浄土真宗の青年僧侶が集う会です。最近では、夜回り先生こと水谷 修氏をお招きしたりして、日々研鑽をしながら、様々な活動をしております。 詳細はhttp://www.shunju.netからご覧ください。