歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

コスモスと実存 ー時間の原子論批判 (2)

2007-04-09 | 哲学 Philosophy

相対論でいう時空の計量にとって、基準系の変換に対して不変であるのは、四次元距離dsであって、そのなかに現れるdtdlではないということが、ここで重要な意味を持ってくる。それは、言い換えるならば、空間を捨象した「今」や、時間を捨象した「此処」という概念に、不変の意味がないということを意味している。

過去の光円錐とは時間の奥行を持った三次元の空間である。それは、現在的直接性をもって知覚されるのであり、ここで示されたような相対論的宇宙論の遠近法によれば、我々が見上げる夜空の星は、そのままで、ビッグバン以後の悠久の宇宙の歴史的過去を、今此処で直接に開示していることになろう。

それゆえに、ビッグバンが140億年前の出来事であるからといって、その出来事が遙か昔の過去にある、今此処の出来事とは殆ど無関係の出来事ということはできない。この140億年というのは宇宙の歴史を全体的に考察するために設定された直線的時間(宇宙時間)であるが、ニュートン的な意味での絶対時間ではないのである。ビッグバン宇宙論の経験的証拠として知られる宇宙の背景輻射は、マイクロ波という目に見えぬ「光」であるが、それは常に宇宙のあらゆる方向から我々の上に注がれている。それは宇宙開闢の頃の原初の「光」であり、百数十億年前の過去と現在とを四次元距離ゼロの直接性をもって結び、その「光」を我々は過去に於いても観測し、今も観測し、未来に渡っても引き続き、観測することが出来るのである。

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