歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

東條耿一詩集 補遺

2005-05-02 |  文学 Literature
落葉林にて

                東條耿一

 私はけふたそがれの落葉林を歩いた。粛條
と雨が降ってゐた。何か落し物でも探すやう
に、私の心は虚ろであった。
 何がかうも空しいのであらうか……。
 私は野良犬のやうに濡れて歩いた。
 幹々は雫に濡れて佇ち、落葉林の奥は深く
暗かった。
 とある窪地に、私は異様な物を見つけた。
それは、頭と足とバラバラにされた、男の死
體のやうであつた。私は思はず聲を立てると
ころであつた。
 よく見ると、身體の半ばは落葉に埋もり、
頭と足だけが僅かに覗いてゐる。病みこけた
皺くちやの顔と、粗れはてた二つの足と……。
その時、瞑じられてゐた眼が開かれ、白い眼
がチラツと私を見た。
「アッ、父!!」と私は思はず叫んだ
「親不幸者、到頭來たか……。」
 と父は呻くやうに眩いた。許して下さい、
許して下さい、と私は叫びながら、父の首に抱
きついた。父の首は蝋のやうに冷たかった。
それにしても、どうして父がこんな所に居る
のであらうか、胃癌はどうなのであらうか、
その後の消息を私は知らないのだ。
「胃癌はどうですか、どうして斯んな所に居
るのですか、さあ、私の所へ行きませう。」
 私は確かに癩院の中を歩いてゐたのに、は
て、一體此處は何處なのか、私は不思議でな
らなかった。
「お前達の不幸が、わしをこんなに苦しめる
のだ。」と父はまた咳くやうに云った。私は
はやぼうぼうと泣き乍ら父に取縋つて、その
身體を起さうとした。しかし、父の身體は石
のやうに重かった。
「落葉が重いのだ、落葉が重いのだ。」
と父がまた力なく叫んだ。
「少しの内、待ってゐて下さい。今直ぐに取
除けてあけますから……。」
 私はさう答へると、両手で落葉を掻きのけ
た。雨に濕つて、古い落葉は重かつた。苔の
馨りが私の鼻を掠めた。しかし、幾ら掻いて
も、後から後からと落葉が降り注いで、父の
身體にはなかなかとどかない。私は次唐に疲
れて來た。腕が痛くなり、息が切れた。私は
悲しくなって、母を呼んだ、兄を呼んだ……。
 どの位経つたのであらうか。
 私は激しい疲勞のために、その揚に尻もち
をついた。ぜいぜいと息か切れた。降り積る
落葉は見る見る父の顔も足も埋め盡して、か
らから佗しい音を立てた。
「噫、父よ、父よ……。」
日はとつぷりと暮れて、雨はさびさびと降
つてゐた。
「親不孝者、親不孝者……。」
何處からか苦しげに呻く父の聲が、私の耳
元に、風のやうに流れてゐた……。

(昭和16年 「山桜」三月号)
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