歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

論理・数理・歴史 3

2005-05-18 | 哲学 Philosophy
三 場所の論理と無限集合論 

カントールに始まりボルツァーノやデーデキンドによって明確に定式化された積極的無限論の特徴は、要素の個数を繼時的総合という時間直観の働きによって数え尽くす事ができないという基本的な特徴をもつ無限集合がもし何らかの意味で実在すると仮定するならば、そのような無限集合は全体と一対一の対応する真部分集合をもつという逆説的な状況を集合論の積極的な原理に転換するところにあった。そこでは、無限集合は『全体と一対一に余すところなく対応する部分を持つ集合』として肯定的に定義され、有限集合は『全体と一対一に余すところなく対応する部分を持たない集合』として否定的に定義される。このような積極的無限論は、米国の新ヘーゲル主義の哲学者ロイスの言う『自己代表的体系』のなかで採用され、『自己が自己において自己を写す』自覚の論理構造をいかに定式化するかを模索していた西田に影響したことは周知の事実である。

一九八七年に完結した末木剛博の四巻に及ぶ西田哲学の体系的研究は、純粋経験論から絶対弁証法にいたるまでの西田哲学の再構成を試みたものであるが、その特色は無限集合論による自覚の論理構造の再構成という所にある。(10)この再構成のポイントは末木は『西田理解の方法の矛盾概念の解釈』という論文の中で、次のような図式に要約している。(11)
自覚とは、『自己が自己において自己を見る』(NW5:387,427,453etc)ことであり、また包摂判断を手本として『包むものと包まれるものとが同一となること』(NW5;425)と規定され、また『場所』なる概念を用いて『場所と「於いてあるもの」とが同一といふこと』(NW5;425)とも言われ、集合論の概念を用いて『全体と部分と同一といふこと』(NW5;425)と定義される。(12)この最後の定義を形式的に表現すれば、一集合Mの部分集合 がもとの集合(全体)Mと要素が一対一に対応するのが『全体と部分と同一』ということである。それはラッセルの用語で言えば『相似』ということであり、現在の集合論で言えば『全単射』ということである。ここではラッセルの用語を借りることとする。すると自覚とは全体Mがその部分 と相似になることである。いま、『AとBとの相似』を『A B』と記せば、『自覚』とは
(Mi⊂M)・(Mi~M) ・・・・・・・  (1) 
という構造のことである。・・・・・・・
『全体Mが自己と相似な(真)部分 をもつ』時、『Mは自覚する』というのである。---この自覚の定義は集合Mの無限性の定義にほかならない。集合Mが無限であるとは、Mが自己に相似な真部分集合を含むことであるという定義は、ボルツァノによって打ち立てられた有名な定義である。そしてそれはまさに上記の(1)式に他ならない。従って、西田の言う自覚とは無限なるものの自己写像ということである。
この図式をもとにして、末木は西田哲学の自覚の体系を三段階に区分し、それを西田哲学の発展の三期に対応させている。
第一段階-自覚の直接態-個人意識の自覚-主語面の自覚-心理学的自覚-(1)式の部分 (これが『善の研究』と『思索と体験』を中心とする西田哲学の初期の時代に対応する)
第二段階-自覚の間接態-超個人的場所の自覚-超越的述語面の自覚-先験論的自覚-(1)式の全体M (これが『自覚における直観と反省』から『哲学の根本問題』までの西田哲学の中期の時代に対応する)
第三段階-自覚の綜合態-個人意識と超越的場所との綜合の自覚-論理学的(絶対辯證法的)自覚-(1)式の包摂関係を中心とせる総体(これが『哲学の根本問題続編』から遺著となった『哲学論文集第七』までの西田哲学の後期の時代に対応する)
西田哲学の発展をこのように三段階に分かつことは、従来の西田哲学解釈とそれほど隔たるものではないが、これを無限集合論的図式(1)と関連づけたところに、末木の著作の新しさがあると言えよう。同氏はこの関連づけによって、難解をもってなる後期西田哲学の諸概念を無限集合論による再構成によって解明しようとしている。晩年の西田哲学の根源語である『矛盾的自己同一』は末木によって、三種の無矛盾的な『矛盾的自己同一』に分類される。
すべてを包む絶対的全体Mは自己矛盾を生じて絶対無となる。その絶対無のなかで自己の内に自己を映し、自己相似的自己写像によって『世界の自覚』が成立する。--これが第一の『全体の矛盾的自己同一』である。 
次にこの絶対無Mのなかの世界 が主観Eと客観Aとの直積として特徴づけられる。それはすべてを主観と客観との相補的結合(不両立的相依関係)として規定する。--これが第二の『両極の矛盾的自己同一』である。(主観・客観のほかに時間・空間などの両極の矛盾的自己同一が重層的に成立する。
次に主観・客観の直積集合としての世界 のなかの個物bは他の個物aから作られたものであると共に、他の個物cを作るものであり、したがって一つのものが『作られたもの』と『作るもの』の相反する二性格を兼ねるので、これも『矛盾的自己同一』と言われる。--これが第三の『作られたもの』と『作るもの』との『矛盾的自己同一』である。 このようにして三種の無矛盾的な『矛盾的自己同一』は重層的に総合されて一つの自覚の体系をなす。
上に要約された末木の西田哲学再構成がはたしてどこまでテキストに忠実であるかという解釈上の問題については様々な評価が可能であると思う。我々がここで論じているのは、あくまでも末木によって定式化された形態における『自覚の論理』であって、本来の西田哲学の論理ではないという異論が当然あるであろう。筆者自身も、末木の再構成に全面的に賛成している訳ではないし、このように再構成された場所の論理が、西田自身の苦渋に満ちたテキストを読むときに誰しもが感じるダイナミズムと奥行きの深さを反映していないことは認めるものである。しかし、ここで筆者が言いたいのは、無限集合論と場所の論理との間には、ある逆説的事態が共通しており、このアポリヤに着眼することこそ田辺が終生批判し続けたものが何であったかを明らかにするということなのである。その限りで末木による再構成は、『場所的』自覚の論理の一つの問題的な側面を提示することには成功しているように思われる。集合論と場所的自覚の論理との間には、構造上の類似があることも注意すべきであろう。集合論は、 単なる(一階の)述語論理で媒介抜きで結合されている主語(個別者)と述語(普遍者)とを、繋辞(ε)を使って明示的に媒介し統合する点において、西田の言う主語の論理(実体の論理)と述語の論理(場所の論理)を媒介総合する繋辞の論理(場所的自覚の論理)と同じ構造をもっているのである。

 また、末木の言う『両極の矛盾的自己同一』や『作るものと作られるものとの矛盾的自己同一』を集合の直積を使って『無矛盾的に』定式化することも、順序対を考えることによって、問題となっている集合のレベルを上げることによって矛盾を解消する道を示したものであり、このような相対的な矛盾的自己同一が集合論によって『無矛盾的』に再構成されるという末木の主張も基本的に評価できるものである。 さて、末木の再構成が明らかとした西田の場所的自覚の論理の構造における最大の問題点は何であろうか。それは、相対的な矛盾的自己同一から区別された絶対矛盾的自己同一、すなわち末木の言う『全体の矛盾的自己同一』の論理構造にほかならない。ここでは絶対無を『ありとあらゆるもの(有)を要素としてもつ全体』と見なす解釈が問題となるのである。このような全体は末木によって『自己矛盾的全体』とか『一切を包越する絶対類』とも呼ばれているが、そのような絶対的全体の自己限定について語ることが果たして意味をもつであろうか。

  無限集合論においては、このような絶対的な全体を一つの集合としてたてることから二律背反的状況が生じる。その理由は、どの与えられた集合よりも濃度の大きな集合、すなわちその集合のすべての部分集合からなる集合(超越的述語面を表す場所に対応する)が存在するが、他方において、あらゆる集合の集合は、それ自身一つの集合として、最大の超限基数をもたねばならないからである。B・ラッセルが有名な『集合論の逆理』を発見したのもまた、この最大の超限基数は存在しないというカントールの証明を吟味していたときのことであった。彼はこの間の事情を次のように回想している。(13)
最大の超限基数が存在しないというカントールの証明を吟味することによって、私はこの矛盾(集合論の逆理)に出会った。私は、無邪気に、世界にあるすべてのものの数は最大の数でなければならぬと信じ、カントールの証明をこの数に適用して、どういう結果が出てくるかを見ようとした。・・・カントールの議論(羃集合の濃度はもとの集合よりも大きいという議論)を適用していって、私は『自己自身の要素でないところの諸集合』を考えるに至ったが、これらの諸集合もまた一つの集合を形作ると思われた。そこで私は、この集合がそれ自身の要素であるかないかと考えた。もしそれがそれ自身の要素であるならば、それは、その集合の定義をなしている特性、すなわちそれ自身の要素ではないという特性をもたざるを得ない。逆に、もし、それがそれ自身の要素でないとするなら、それはその集合の定義をなしている特性をもってはならないのだから、それはそれ自身の要素でなければならない。かくて、二つの可能性のいずれをとっても、それは自身の反対に導き、したがって矛盾に陥るということになる。

 無限集合論で二律背反的矛盾を生じるのは、否定的な自己述語によって一つの全体が定義されると見なすことからである。この逆説は、自己述語的な絶対的全体において、自己述語的でない要素の全体について語ることが出来ないことに由来するのである。この事情を西田哲学の固有の用語法に戻して言えば、絶対無の場所の自己限定を語ること、すなわち絶対無の場所から諸々の相対的な有の場所を概念的に限定することは不可能なのである。

田辺は『西田先生の教えを仰ぐ』のなかで既に、場所の論理と集合論との結び付きに注目して次のように述べている。(TW4:313-314)
宗教としては絶対無の自覚として立場なき立場といはれるものも、それが哲学軆系の終局原理を與ふる立場となるとき、却ってそれ以下の被限定的抽象的なる立場を、その限定として理解せしむべき一の立場となり、決して立場無き立場に止まることができないのではないか。・・・もし哲学がこの宗教的立場を自己の立場としようとするならば、それは必然的に自己廃棄の運命に陥らなければならぬ。恰も『凡ての集合の集合』といふ集合論の逆説に見るごとき、自己の絶対化が必然に自己を相対化するという矛盾が口を開く。・・・勿論哲学はそれの本質上、何らの意味においても絶対的なるものを否定せんとする所謂相対主義に立つことは出来ぬ。それこそ明白なる哲学の否定である。しかし、単に求められたものとして絶対者を極限点とするのは、與へられたるものとしての絶対者を立てて、これをその体系の根底とするのとは異なる。ここに哲学が常に相対に即しながら絶対を求めんとする愛知的動性たる所以が存する。
『ヘーゲル哲学と弁証法』(一九三二年)以後、田辺もまた『絶対無』という語を頻繁に使うようになるが、その場合でもそれは決して自己同一なものとして語られることはなかった。すなわち、彼は絶対無の場所そのものの自己同一は決して認めず、それを観想的(思弁的)哲学の原理とする錯誤を退け、その代わりに『危機断層、革新顛倒をもってなる歴史性』として実践的に自覚されるほかない絶対的な転換の原理としたのである。

このように、田辺は無限集合論の逆理の発見以後の数理の歴史主義展開という特殊な文脈で西田の言う場所の論理の批判を遂行したが、この批判は単に数理哲学に止まるものではなく、更に物理的世界の歴史性という現代宇宙論の中心的な問題圏域に迫る射程をももっていた。相対性理論と量子力学との統合という理論物理学の最先端に位置する問題をもっとも重要な哲学的問題の一つとして捕らえていた彼の科学哲学上の諸論文を手掛かりにして、我々自身を含む全体としての宇宙の歴史性にかんする現代物理学の様々な議論を次に考察することにしよう。
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