全生園の樹木を守るべきことを訴えて、嘆願書を提出した国土交通省関東地方整備局は増築工事の責任者ですが、実際の工事が始まるのは秋以降のようです。現在は、周辺住民に対する公聴会などをひらき増築に関する了解を取り付けている段階とのこと。担当者のかたからは、
「関東地方整備局では厚生労働省からの委任を受け今年の秋頃からハンセン病資料館
の増築工事に着手します。その際には樹木の扱いにつきまして十分に配慮したいと
考えております。」
との回答がありましたが、問題の欅の木の伐採のことは、良く分からないので、資料館の敷地整備等のことを担当している厚生労働省健康局疾病対策課に問い合わせてくれ、という回答がありましたので、そちらのほうの担当者にも連絡を取り、さらに調査を続けています。
Mさんにも電話連絡をしましたところ、資料館の欅や所沢街道の樫の並木を伐採するなど、信じられない決定だと仰っていました。ただ、問題は、自治会がそれを昨年末に既に了承してしまった、ということですね。一度、伐採にOKした自治会決定を覆すのはきわめて困難です。自治会執行部の面子をつぶさないように活動すると言うことが難しい。
自治会は今生活している療養者の人権を守ることで精一杯であって、とても樹木の保全のこと、将来の人権の森のありかたのことまで手が回らないということなのかもしれません。
“園内に並木として移植するには3年かかる、都としては切るのが安上がりであろうが、五千人の霊の眠る鎮魂の森として、ただ光化学スモッグ対策とかいうのではなく残していきたい・・”
ビデオインタビュー「消えゆく並木」のなかでもっとも心を撃たれたのは、「鎮魂の森」という言葉でした。全生園の森は「人権の森」であるだけではなく「鎮魂の森」であり、納骨堂に眠る5000人近い方々が、故郷の森として植樹されたもの、そのかたたちの魂の安息を祈る場であると言うことに気づかされました。
「人権の森」の「人権」は、今生活している人を中心とすべき事は勿論ですが、嘗て療養所で、故郷を偲びつつ植樹され、現在納骨堂でともに眠っている5000人に近い方々の権利も含むのではないでしょうか。そのかたがたの思いを後世に伝えることが課題です。人権の森は「鎮魂の森」でもあるという言葉に、目を覚まさせられた思いです。
この問題をさらに深く考えるための視点として大事なのは、明治三十九年の政府の神社合祀令による鎮守の森の樹木伐採という事件です。たとえば、熊野古道にゆかりの六つの王子社(野中、近露、小広、中川、比曽原、湯川王子)をはじめ、十三社が廃止され、新たに「近野神社」を設けてご神体を移したとのこと。廃止した神社の巨木はことごとく伐採されました。
この神社合祀令にもとづく森林破壊に抗議したのが博物学者でエコロジストの先駆者ともいえる南方熊楠でした。地域の歴史の象徴であり、貴重な動植物の宝庫となる神社林を伐採すること反対した彼の考え方をもういちど思い起こしたい。ハンセン病療養所も、入所者の数の減少と共に、その整理統合ということが問題となってきます。その場合、療養所の納骨堂に眠るかたがたの権利を守るという視点、「鎮魂の森」を守るという視点が必要です。
「関東地方整備局では厚生労働省からの委任を受け今年の秋頃からハンセン病資料館
の増築工事に着手します。その際には樹木の扱いにつきまして十分に配慮したいと
考えております。」
との回答がありましたが、問題の欅の木の伐採のことは、良く分からないので、資料館の敷地整備等のことを担当している厚生労働省健康局疾病対策課に問い合わせてくれ、という回答がありましたので、そちらのほうの担当者にも連絡を取り、さらに調査を続けています。
Mさんにも電話連絡をしましたところ、資料館の欅や所沢街道の樫の並木を伐採するなど、信じられない決定だと仰っていました。ただ、問題は、自治会がそれを昨年末に既に了承してしまった、ということですね。一度、伐採にOKした自治会決定を覆すのはきわめて困難です。自治会執行部の面子をつぶさないように活動すると言うことが難しい。
自治会は今生活している療養者の人権を守ることで精一杯であって、とても樹木の保全のこと、将来の人権の森のありかたのことまで手が回らないということなのかもしれません。
“園内に並木として移植するには3年かかる、都としては切るのが安上がりであろうが、五千人の霊の眠る鎮魂の森として、ただ光化学スモッグ対策とかいうのではなく残していきたい・・”
ビデオインタビュー「消えゆく並木」のなかでもっとも心を撃たれたのは、「鎮魂の森」という言葉でした。全生園の森は「人権の森」であるだけではなく「鎮魂の森」であり、納骨堂に眠る5000人近い方々が、故郷の森として植樹されたもの、そのかたたちの魂の安息を祈る場であると言うことに気づかされました。
「人権の森」の「人権」は、今生活している人を中心とすべき事は勿論ですが、嘗て療養所で、故郷を偲びつつ植樹され、現在納骨堂でともに眠っている5000人に近い方々の権利も含むのではないでしょうか。そのかたがたの思いを後世に伝えることが課題です。人権の森は「鎮魂の森」でもあるという言葉に、目を覚まさせられた思いです。
この問題をさらに深く考えるための視点として大事なのは、明治三十九年の政府の神社合祀令による鎮守の森の樹木伐採という事件です。たとえば、熊野古道にゆかりの六つの王子社(野中、近露、小広、中川、比曽原、湯川王子)をはじめ、十三社が廃止され、新たに「近野神社」を設けてご神体を移したとのこと。廃止した神社の巨木はことごとく伐採されました。
この神社合祀令にもとづく森林破壊に抗議したのが博物学者でエコロジストの先駆者ともいえる南方熊楠でした。地域の歴史の象徴であり、貴重な動植物の宝庫となる神社林を伐採すること反対した彼の考え方をもういちど思い起こしたい。ハンセン病療養所も、入所者の数の減少と共に、その整理統合ということが問題となってきます。その場合、療養所の納骨堂に眠るかたがたの権利を守るという視点、「鎮魂の森」を守るという視点が必要です。