ホームページで正式に発表された東武鉄道の蒸機列車。
もちろん蒸気機関車が走ること自体嬉しいことだが、先般惜しまれつつ廃止されたはまなすで終焉かと思われた
14系ハザ使用列車が正式に復活することを嬉しく思う。
学生時代はこの車両による急行列車に随分と世話になったものだからである。
できることならば、変な細工をせずに往年の青に白のストライプのままで走って欲しいというのがオールドファンの望み。
写真は、その14系ハザで一番乗ったであろう急行阿蘇。
九州ではだいたい梅雨が明ける頃の7月中旬くらいに田植えを行っており、その田植え直後ぐらいの今で言う「テンハル」こと、
当時は天拝山などの駅はなかったので二日市~原田を行く203レ阿蘇。
1978年7月 鹿児島本線 二日市~原田 ED76+14系ハザ 203レ 阿蘇
14系のリクライニングシートは12系のベンチシートに比べて、随分立派に見えました。(笑)
その特急車両に急行料金つまり周遊券ではただで乗れたのですから、
とても得した気分でした・・・(笑)
鉄道ボーダーレス時代に晒されてみれば、この当時の正調列車は幻のよう。
我関せずと田の手入れの脇は、ふるさとの急行列車が似合います。
団臨では、特急扱いだった頃も長かったかと。
この撮影ポイント、出会うのがちと遅すぎで・・・。
この画角には入ってませんがシンボルツリーもあって、なかなかの場所だったのです。
私も第二の故郷本線である山陰本線に残る転車台が、
活用されるということは複雑な思いです。
それにしても旧国鉄の各社は鉄道記念物に愛着が無くなったのか
ホイホイといろんなものを供出するようになったものです。
やっぱり特急は臨でも高嶺の花で、その点加賀、銀河51、十和田、おがと
全国的に14ハザの急行は活躍しましたよね!?
もともとは14系、形式番号的には急行だ!とも・・・。