筑豊地区が黒ダイヤ景気に沸いた時代にその輸送を担ったのは、門カタたる直方、
後藤寺、若松、門司(大里)、行橋、鳥栖に香椎機関区の罐たちだっただろうか。
その最晩年である74年5月ごろに直方を経由して後藤寺機関区を訪れている。
奇しくも電関人が亡き父親から貸与されたオリンパスペンFなる一眼をおそらく初めて手にしての
撮影行で、当時のさくらカラーポスターに巨匠廣田尚敬さんのC622号機の写真があり、
蒸機を撮るならモノクロじゃなしにカラーで撮ってみたいという衝動で12枚撮りのさくらカラーでの参戦だった。
直方到着後のファーストショットが上である。
大きな扇形庫の前に巨大な給炭塔があって、そこに佇む除煙板無しのキューロクを早速撮影した。
その罐が、直後に動き出したのですかさず追うようにしてもう一枚。
49679と機番が読める。
調べてみたら、この時既に直方に9600配置は無いので後藤寺の罐であろう。
この二枚を撮った後に、列車で後藤寺に移動している。
残念なことに筑豊の蒸機撮影は後にも先にもこの時のみで終えてしまった。
時代は下りその3年後の直方は・・・
上の49679の写真の位置よりさらに右手にカメラを振ったアングルだと推測。
時代の証人の如く鎮座するターンテーブル。これとは別に扇形庫にも付いているので直方のTTは二基。
真新しい柜形庫右手奥が扇形庫か。
すっかり主顔でDDやDEが佇んでいる。
墨を流した様な炭都の空は、澄んだ青空と変わったのだった。
最後にサービスカットとして、後藤寺で撮った79657。
太陽を背負っての写真なのでコンディションが良くないが、電関人がこの時に見た9600の中で
唯一四角い除煙板を付けた9600でお気に入りだった罐で、調べたら九州のラストナンバー機だったようだ。
79657以外直方にて。1974年5月?/1977年月不明