狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

超私的昭和風景譚 -11-

2016年10月24日 18時18分47秒 | 徒然鉄ネタ

「夜たの」とはもう死語。
夜間のバルブ撮影も楽しいので「夜も楽しい」を略して「夜たの」となった蒸機現役時代の隠語。
昭和のようやく新幹線が本州から外へ延伸し、その終着駅となった博多。
しかし、新幹線が出来たからといって並行する在来線が三セクになることはなく、
また関西までの夜行列車も走り続けた時代。
その博多駅で「夜たの」している同好の士は全くと言っていいほど見かけず。
合理化一辺倒の時代で、寝台列車を牽く機関車にはヘッドマークは省略されてしかもライトが邪魔になるからと、
テールサイン狙いで後姿を「夜たの」した。



アンテナ式のか細い三脚もなんとも懐かしく、当然ながらハスキーやジッツォなんて聞いたこともない時代。
趣味とは自分の頭でやりたいことを考えて工夫することだったし、ファッションだって人と違うオリジナリティを
追及していた時代。人がやってるからとかブームの尻馬に乗ってやるとか周りと同じものを着るなんてのは、
趣味でもなければ、ファッションでもない。それが昭和時代だった。
話を本線に戻し、列車はおそらく明星1号かと思われる。16時代のあさかぜを皮切りに17時18時台に東京行きが
発車し、名古屋行の金星を挟んで19時台から関西行の夜行群が23時台まで続々と出て行った。
バックライトのサインは見えづらく特に581系(583系)のそれは淡い色の袋文字なのでますます写りづらい。
時を経て、デジタルの世になってようやく日の目を見た博多駅での「夜たの」写真たち。

1975年

コメント (8)
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