ナハ11の2を1976年5月に鳥栖で見つけた。
色こそ一般の青になっているが、きっと番号から客車特急 鷗の第一編成か第二編成に組み込まれていた車両。
と思った瞬間、見たことがない茶色のゴハチに牽かれた特急鷗が頭の中で走り去った。
10系の美しい茶色の編成の本物を見てみたかった電関人。
鳥栖で鷗号の幻影を見た。
1976年5月6日 鹿児島本線鳥栖駅構内 ナハ11 2
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もうすでに記憶があやふやのところもあるけど、渡道して数日目道央から道東を旅する。
朝白老YHを出て札幌からDC急行で帯広に出てそこから広尾線で幸福駅へ向かうがすでに夕方であった。
さっそく駅前にて渡道後最初の野営のためテントを張る。
何せ高校1年坊主が福岡くんだりからはるばるの旅で満足な軍資金も無く、塒は専ら夜行列車の自由席かYHが関の山。
それでもカツカツに切り詰めるために数泊駅もしくは野営ということにしたのである。
テントを張って途中帯広駅や幸福駅前の土産屋で買い込んだパンなどで簡単な食事を済ませるとすぐにあたりは宵闇に包まれた。
一応超有名駅かつ観光地の幸福駅で夜間撮影を楽しむ。
時代を感じさせるオーバーオールの大学生諸兄に「駅舎ホテル」は占領されて背負子やシュラフが所狭しと置かれた幸福駅本屋。
使用済みの定期や社会人の名刺などがぎっしりとおみくじ状態で壁や天井を埋め尽くす。
バルブにして、人影を消して駅の全景を収める。
確か右の明かりは、幸せの泉とかで一杯飲むと願いが叶うとかなんとかいう能書きが書いてあったが今となっては思い出せず。
で、翌朝しっかり駅の形式写真を・・・。
どこかのフィルム会社のイメージカットとほぼ同じアングル。
写真を見てお分かりのように天気はいまいちで、野営撤収の後早々にこの日の行動に移る。
この日は、道東の厚岸まで移動しやはり野営。
行く先の天候を心配しながら移動。
厚岸に到着した時は今にも降りそうな天気だったので、早々に天場を確保して設営。
道東の夕暮れは早く翌日晴れることのみを祈る。
天場から遥か厚岸大橋方面を望むが星も見えず2夜連続の野営に少しホームシックのような不安感がよぎる。
時刻表を見ていると急行列車がやってくる時間だったので駅まで行ってバルブ撮影で気持ちを立て直す。
発車して駅を離れ行く列車をカンテラを持った駅員がいつまでも見送る姿にちょっと勇気づけられて、天場に戻り早めの就寝。
翌朝テントを強くたたく雨の音で間が覚めるがまだ4時前。びしょびしょで重くなった帆布のテントを強引に袋に収めて駅に向かう。
この日厚岸からさらに東に向かい湿原地帯で鉄を予定していたが雨のため予定変更し、早々に釧網本線にでてこの日の宿である
原生花園YHへ向かうことにして始発列車で東釧路へ。
途中、どこの駅だかは記憶していないが列車待ち合わせの停車中に憎い雨を利用したカットを撮る。
そのまま釧網本線を乗り鉄して時間をつぶし、夕方早目にYHに入って先日の釧網本線の夕陽の話がその翌日に続くのである。
こうして、この北海道旅行中の最大の試練だったテント2連泊を凌いだ。当時コンビニもない時代に何を食べたのかは全く記憶になく、
相当粗食や駅弁・駅そばで食いつないだのだと思う。
1977年8月 広尾線~根室本線の旅