アーノルド「パート2:俳優」 アーノルドはコナン役を獲得する。
アーノルド・シュワルツェネッガー 元ボディビルダーの俳優
起:アーノルドはコナン役を獲得する。
承:ターミネーターが成功し、スタローンのライバルとされる。
転:コメディやターミネーターの続編にも出る。
結:やり尽くしたと感じて、政治家に挑戦する事にする。
ボディビルで頂点に立ったアーノルドは、次は俳優を目指す事にした。
1969年。ヘラクレス役を探していると知り、アーノルドは挑戦した。
演技の心得はなかった。
英語がつたないとして吹き替えられ、名前はアーノルド・ストロングに変えられた。
映画はヒットしなかった。
克服すべき壁は多かったが、アーノルドに諦めると言う選択肢はなかった。
アーノルドは映画会社から見向きもされなかったが、
実力を身に着ければ活躍できる日が来ると考えた。
ボディビルダーの映画の企画があり、役を手に入れたが、
演技の勉強をする事を出演の条件とされた。
「ステイ・ハングリー」という作品で、
ジェフ・ブリッジスやサリー・フィールドと共演したが、
完成後もしばらく公開されなかった。
続く「鋼鉄の男」はドキュメンタリーで、カンヌ映画祭で上映された。
アンディ・ウォーホルと組んで雑誌の表紙となり、トークショーにも出た。
映画が公開され、ゴールデングローブ賞を得て、
アーノルドはスターになると確信した。
カーク・ダグラスの「サボテンジャック」では、
映画に出ていた馬よりも表情が下手だと言われ、ショックを受けた。
70年代、映画界では小柄な役者が流行っていた。
アーノルドはビルを購入して儲けていたので、脇役は目指していなかった。
その頃、ケネディ家のマリアと親しくなった。
製作者ディノ・デ・ラウレンティスによる「コナン・ザ・グレート」が製作される。
アーノルドはディノに嫌われるが、ジョン・ミリアス監督が説得した。
同じ体型のスタントマンはいないので、何でもアーノルド自身でやった。
剣や馬の特訓もした。
宣伝で各国を回り、主演俳優として世界に認められた。
アメリカに憧れていたアーノルドは、1983年に市民権を得た。
レーガンの時代にはアクション映画が大流行し、筋肉質の体がもてはやされた。
新作「ターミネーター」の話が来る。
リース役だが、キャメロン監督は配役にしっくり来ていなかった。
ターミネーター役はOJシンプソンだったが、違和感があった。
脚本を読み込んでいたアーノルドは、ターミネーターは非人間的にすべきだと提案。
この話を気に入ったキャメロンは、アーノルドにターミネーター役を勧める。
アーノルドは悪役に抵抗があったが、考えた末に受ける事にした。
共演のリンダ・ハミルトンは、
アーノルドを俳優気取りのボディビルダーだと卑下していたが、
演技を見て納得したと言う。
アーノルドの「アイルビーバック」は世界一引用されるセリフになった。
映画は、タイム誌のベスト10に選ばれた。
アーノルドはライバルの存在を探していた。
シルベスター・スタローンは、
映画におけるアクションとはカースタントだったと話す。
スタローンは「ランボー」でそれ以外のアクションに取り組むが、
同じ位置にいたのがアーノルドだった。
アーノルドはランボーの上を行こうとし、「コマンドー」に出た。
アーノルドとスタローンの演技スタイルは違うが、激しいライバル関係となった。
スタローンは人間くささを残そうとした。一方、アーノルドは無敵ぶりを披露。
お互いライバル視し、殺した人数、銃の大きさを競った。
アーノルドは、スタローンのおかげでモチベーションを保てたのだ。
1985年。アーノルドは、故郷タールでマリアにプロポーズして結婚した。
やがて娘キャサリンが産まれた。
アーノルドはスキー場でアイバン・ライトマン監督に会い、
一緒に仕事をしたいと話した。
ダニー・デビートとも会っていたライトマンは、「ツインズ」のアイデアを思い付く。
この作品は、アーノルドの出演作品としては、初めて興行収入1億ドルを超えた。
アーノルドの影響力は絶大となった。彼が使う葉巻や高級車ハマーがヒットした。
「ターミネーター2」でアーノルドは正義側に回った。
誰も殺さない役柄に困惑したが、キャメロンと相談し、
脚なら撃っても良い事となった。
作品は、その年最も売れた映画となった。
それ以降、アーノルドを批判したがる連中が増えた。
「ラストアクションヒーロー」は駄作と言われ、アーノルドもショックを受けた。
自分のブランドが傷付いたと感じたが、常に前は向いていた。
キャメロンに企画を提案し、コメディの「トゥルーライズ」が製作された。
この作品でアーノルドは不死鳥の復活とされ、大ヒットした。
ライトマンの「ジュニア」もヒット。
「イレイザー」「バットマン&ロビン」にも出演。すべてが順調だった。
父の死で、自分は母にとって唯一の家族となった。
出来るだけ母と過ごすようにした。
アーノルドは心臓手術を受けたが、母は隠していた事を怒った。
1年後、母は父の墓参りをしている最中に亡くなった。
同じ心臓弁の病気だったが、母は手術を受けなかった。
アーノルドは、これまで母の承認を求める人生だったと自覚した。
これからはどうすれば良いのだろうか。
それから1年間は仕事がなくなった。
死なないアクション俳優が死にかけ、出演に急ブレーキがかかった。
ようやく製作された「エンド・オブ・デイズ」では、保険会社に撮影を見張られた。
各社が様々な企画を持ち込んだが、アーノルドはすべてやり尽くしたと感じていた。
新しい刺激がほしかった。
米国に恩返しがしたいと感じ、政治家に挑戦する事にした。
と言う訳で、アーノルド・シュワルツェネッガーの半生を描くドキュメンタリー。
アーノルドはコナン役を獲得する。
第2部は俳優編。
ここが一番観たいポイントで、
スタローンのドキュメンタリーに比べると網羅率は高い気がするが、
それでも軽く飛ばされた作品はある気がする。
一方で、ターミネーター以前の作品については細かく触れている。
それほど高評価ではない作品でも、シュワが自画自賛している点は苦笑気味。
起:アーノルドはコナン役を獲得する。
承:ターミネーターが成功し、スタローンのライバルとされる。
転:コメディやターミネーターの続編にも出る。
結:やり尽くしたと感じて、政治家に挑戦する事にする。
ボディビルで頂点に立ったアーノルドは、次は俳優を目指す事にした。
1969年。ヘラクレス役を探していると知り、アーノルドは挑戦した。
演技の心得はなかった。
英語がつたないとして吹き替えられ、名前はアーノルド・ストロングに変えられた。
映画はヒットしなかった。
克服すべき壁は多かったが、アーノルドに諦めると言う選択肢はなかった。
アーノルドは映画会社から見向きもされなかったが、
実力を身に着ければ活躍できる日が来ると考えた。
ボディビルダーの映画の企画があり、役を手に入れたが、
演技の勉強をする事を出演の条件とされた。
「ステイ・ハングリー」という作品で、
ジェフ・ブリッジスやサリー・フィールドと共演したが、
完成後もしばらく公開されなかった。
続く「鋼鉄の男」はドキュメンタリーで、カンヌ映画祭で上映された。
アンディ・ウォーホルと組んで雑誌の表紙となり、トークショーにも出た。
映画が公開され、ゴールデングローブ賞を得て、
アーノルドはスターになると確信した。
カーク・ダグラスの「サボテンジャック」では、
映画に出ていた馬よりも表情が下手だと言われ、ショックを受けた。
70年代、映画界では小柄な役者が流行っていた。
アーノルドはビルを購入して儲けていたので、脇役は目指していなかった。
その頃、ケネディ家のマリアと親しくなった。
製作者ディノ・デ・ラウレンティスによる「コナン・ザ・グレート」が製作される。
アーノルドはディノに嫌われるが、ジョン・ミリアス監督が説得した。
同じ体型のスタントマンはいないので、何でもアーノルド自身でやった。
剣や馬の特訓もした。
宣伝で各国を回り、主演俳優として世界に認められた。
アメリカに憧れていたアーノルドは、1983年に市民権を得た。
レーガンの時代にはアクション映画が大流行し、筋肉質の体がもてはやされた。
新作「ターミネーター」の話が来る。
リース役だが、キャメロン監督は配役にしっくり来ていなかった。
ターミネーター役はOJシンプソンだったが、違和感があった。
脚本を読み込んでいたアーノルドは、ターミネーターは非人間的にすべきだと提案。
この話を気に入ったキャメロンは、アーノルドにターミネーター役を勧める。
アーノルドは悪役に抵抗があったが、考えた末に受ける事にした。
共演のリンダ・ハミルトンは、
アーノルドを俳優気取りのボディビルダーだと卑下していたが、
演技を見て納得したと言う。
アーノルドの「アイルビーバック」は世界一引用されるセリフになった。
映画は、タイム誌のベスト10に選ばれた。
アーノルドはライバルの存在を探していた。
シルベスター・スタローンは、
映画におけるアクションとはカースタントだったと話す。
スタローンは「ランボー」でそれ以外のアクションに取り組むが、
同じ位置にいたのがアーノルドだった。
アーノルドはランボーの上を行こうとし、「コマンドー」に出た。
アーノルドとスタローンの演技スタイルは違うが、激しいライバル関係となった。
スタローンは人間くささを残そうとした。一方、アーノルドは無敵ぶりを披露。
お互いライバル視し、殺した人数、銃の大きさを競った。
アーノルドは、スタローンのおかげでモチベーションを保てたのだ。
1985年。アーノルドは、故郷タールでマリアにプロポーズして結婚した。
やがて娘キャサリンが産まれた。
アーノルドはスキー場でアイバン・ライトマン監督に会い、
一緒に仕事をしたいと話した。
ダニー・デビートとも会っていたライトマンは、「ツインズ」のアイデアを思い付く。
この作品は、アーノルドの出演作品としては、初めて興行収入1億ドルを超えた。
アーノルドの影響力は絶大となった。彼が使う葉巻や高級車ハマーがヒットした。
「ターミネーター2」でアーノルドは正義側に回った。
誰も殺さない役柄に困惑したが、キャメロンと相談し、
脚なら撃っても良い事となった。
作品は、その年最も売れた映画となった。
それ以降、アーノルドを批判したがる連中が増えた。
「ラストアクションヒーロー」は駄作と言われ、アーノルドもショックを受けた。
自分のブランドが傷付いたと感じたが、常に前は向いていた。
キャメロンに企画を提案し、コメディの「トゥルーライズ」が製作された。
この作品でアーノルドは不死鳥の復活とされ、大ヒットした。
ライトマンの「ジュニア」もヒット。
「イレイザー」「バットマン&ロビン」にも出演。すべてが順調だった。
父の死で、自分は母にとって唯一の家族となった。
出来るだけ母と過ごすようにした。
アーノルドは心臓手術を受けたが、母は隠していた事を怒った。
1年後、母は父の墓参りをしている最中に亡くなった。
同じ心臓弁の病気だったが、母は手術を受けなかった。
アーノルドは、これまで母の承認を求める人生だったと自覚した。
これからはどうすれば良いのだろうか。
それから1年間は仕事がなくなった。
死なないアクション俳優が死にかけ、出演に急ブレーキがかかった。
ようやく製作された「エンド・オブ・デイズ」では、保険会社に撮影を見張られた。
各社が様々な企画を持ち込んだが、アーノルドはすべてやり尽くしたと感じていた。
新しい刺激がほしかった。
米国に恩返しがしたいと感じ、政治家に挑戦する事にした。
と言う訳で、アーノルド・シュワルツェネッガーの半生を描くドキュメンタリー。
アーノルドはコナン役を獲得する。
第2部は俳優編。
ここが一番観たいポイントで、
スタローンのドキュメンタリーに比べると網羅率は高い気がするが、
それでも軽く飛ばされた作品はある気がする。
一方で、ターミネーター以前の作品については細かく触れている。
それほど高評価ではない作品でも、シュワが自画自賛している点は苦笑気味。
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