多賀城廃寺跡の前側に鎮座する多賀神社。
近江国、多賀神社より796年に勧請。
多賀城の衰退と共に、神社も衰退し、所在不明となるが、1745年に奥州一之宮である鹽竈神社の「鹽竈社記」により、現在の多賀城廃寺の塔跡の礎石が、往時の多賀神社と推定した。
今は、多賀城祉の政庁正殿跡の真北、多賀城廃寺跡の前にある。
こちらは廃寺跡。
御祭神は、武甕槌神と経津主神。
鹿島神と香取神、鹽竈神社の右宮と左宮と同じ。
近江国、多賀神社より796年に勧請。
多賀城の衰退と共に、神社も衰退し、所在不明となるが、1745年に奥州一之宮である鹽竈神社の「鹽竈社記」により、現在の多賀城廃寺の塔跡の礎石が、往時の多賀神社と推定した。
今は、多賀城祉の政庁正殿跡の真北、多賀城廃寺跡の前にある。
こちらは廃寺跡。
御祭神は、武甕槌神と経津主神。
鹿島神と香取神、鹽竈神社の右宮と左宮と同じ。