昭和50年代上越市に住んだことがあります。
直江津高校三和分校(現在は廃校)に赴任が決まり、3月末に高田駅に初めて降り立ち駅前の不動産屋で紹介された北城町のアパートまで歩きました。
途中高田北城高校の前のお堀に体育館の屋根より高く積み上げられた雪の山に驚いたことを憶えています。
その冬も大雪でした。
秋に運転免許を取り買ったばかりの中古のカローラのドアを雪の壁に押し付けて凹ませてしまいました。
雪道の運転、チェーンの着け方、段々それなりに上手くなりました。
高田から三和まで田んぼの中の雪道を10km運転します。
学校に着くなり帰りの心配をしなければなりません。
バスも止まって、高田から通っている同僚6人が縦一列の行軍です。
地吹雪で立ち往生して放置された車もよく見かけました。
次の冬も大雪でした。
こういう土地なんだとすべてを受け入れる雪国の生活です。
時とともに生活のスピードと利便性が増し、雪との戦い方も変わりました。
先日テレビが報じていた高田の町内一斉雪下ろしの様子は私には懐かしいものでした。
直江津高校三和分校(現在は廃校)に赴任が決まり、3月末に高田駅に初めて降り立ち駅前の不動産屋で紹介された北城町のアパートまで歩きました。
途中高田北城高校の前のお堀に体育館の屋根より高く積み上げられた雪の山に驚いたことを憶えています。
その冬も大雪でした。
秋に運転免許を取り買ったばかりの中古のカローラのドアを雪の壁に押し付けて凹ませてしまいました。
雪道の運転、チェーンの着け方、段々それなりに上手くなりました。
高田から三和まで田んぼの中の雪道を10km運転します。
学校に着くなり帰りの心配をしなければなりません。
バスも止まって、高田から通っている同僚6人が縦一列の行軍です。
地吹雪で立ち往生して放置された車もよく見かけました。
次の冬も大雪でした。
こういう土地なんだとすべてを受け入れる雪国の生活です。
時とともに生活のスピードと利便性が増し、雪との戦い方も変わりました。
先日テレビが報じていた高田の町内一斉雪下ろしの様子は私には懐かしいものでした。