
間を置く、間が悪い、間合いを測る、間に合わせる、間に合う、間尺に合わない、間抜け、魔が差す、いや、失礼、これは間違い。などなど、日本語の”間”にはデリケートな意味合いが込められていて、私の知る限り英語にはこれに相当する言葉は見当たらない。allowance 等が思い浮かぶが、この言葉ではごく一部の概念しか伝えられない。しかし最近はテレビなどで、秒単位で時間を配分して放送する時代になって、次第に間の概念が失われつつあるような気がして残念だ。
”間”を失った社会の中では、ちょっとしたきっかけで”うつ病”のような心の状態になってしまう若者が増えた。その一方殺伐な事が、ちょっとしたきっかけで起ってしまう時代になってしまった。
名人クラスの落語家が、”えーー”と言ってしばらく間をおくと、聞いている人達は、固唾をのんで次の言葉を待ち構える。”というわけで、今日は何をしゃべろうかな!” などというだけで、どっと笑いが起こる。好男子、いや、講談師:神田紅さんの忠臣蔵の講談のなかで、47士の名前を一気に喋りまくるくだりがある。、それも、名前の頭になになに、なになにの大石内蔵助というように長い接頭語がつくので、息をつくのも大変だ。それを見事に一息でしゃべりまくるのだが、要所要所に実に微妙な間合いが入って、メリハリがきいている。終わると、聴衆はしばらく固唾をのみ、ちょっと間をおいてから一気に大拍手が起こる。これは、まさに”間”の芸術だ。
間”を心がけて、この時代をなんとか切り抜けて生きて行こうと思う。散歩道
”間”を失った社会の中では、ちょっとしたきっかけで”うつ病”のような心の状態になってしまう若者が増えた。その一方殺伐な事が、ちょっとしたきっかけで起ってしまう時代になってしまった。
名人クラスの落語家が、”えーー”と言ってしばらく間をおくと、聞いている人達は、固唾をのんで次の言葉を待ち構える。”というわけで、今日は何をしゃべろうかな!” などというだけで、どっと笑いが起こる。好男子、いや、講談師:神田紅さんの忠臣蔵の講談のなかで、47士の名前を一気に喋りまくるくだりがある。、それも、名前の頭になになに、なになにの大石内蔵助というように長い接頭語がつくので、息をつくのも大変だ。それを見事に一息でしゃべりまくるのだが、要所要所に実に微妙な間合いが入って、メリハリがきいている。終わると、聴衆はしばらく固唾をのみ、ちょっと間をおいてから一気に大拍手が起こる。これは、まさに”間”の芸術だ。
間”を心がけて、この時代をなんとか切り抜けて生きて行こうと思う。散歩道
間はまた時間のすき間のほか、距離のスペースもありますね。いずれにせよ面白いポイントです。