徒然日誌(旧:1日1コラ)

1日1枚画像を作成して投稿するつもりのブログ、改め、一日一つの雑学を報告するつもりのブログ。

刀剣乱舞公式企画「本丸視察」の報告書を勝手に作ってみた(笑)

2020-06-30 12:59:12 | ハンドメイド


 『刀剣乱舞-ONLINE-』の公式Twitterで開催されていた「本丸視察」があんまりにも素敵すぎて、保存した画像で報告書を勝手に作ってみました。
 あくまで私個人が楽しむためのものなので、著作権等には違反していない認識です。あまり法律には詳しくないので、もし何かあればご一報頂きたいなあと思います。


  表紙

 
 中身


 表紙に文様紙を使って、中身は御朱印帳と同じ蛇腹折で作成しています。和っぽい雰囲気が出ていれば嬉しいなあ。
 ただこれ、横から見るとこんな感じなんですよ ↓



 分厚っっ!?!?

 いや、まあ本文見開き40ページ近くあるし、蛇腹折りやから単純に紙の枚数倍になってるから分厚くなるの分かるけど、だからってこれはねーだろ。
 厚さ測ったら3.5cmぐらいあったし、重さ測ったら690gとかあったんやけど。

 マジか。

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6/30は何の日?

2020-06-30 12:26:02 | 日記


 今日は暦の上では一年の半分が過ぎる日というとこで、ハーフタイムデーとなっています。
 まあ1年365日の日数的な半分は7月2日になるそうですが。


 同じく今日は、『夏越の祓(なごしのはらい)』が行われる日でもあります。
 日本の神道儀式に浄化の「お祓い」があります。例年6月と12月の晦日に行われるお祓いを、特に「大祓」と言います。大祓は心身の穢れのほか、災厄の原因となる諸々の罪・過ちを祓い清めることを目的としています。
 この6月の大祓を『夏越の祓』と呼びます。神社本庁のホームページによると正しいやり方は、まず人形ひとがた(人の形に切った白紙)などを用いて身についた半年間の穢れを祓い、無病息災を祈るため茅や藁を束ねた茅の輪(ちのわ)をを三回くぐりながら「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」と唱えるそうです。

 特に今年はコロナウイルスがありますから、各地で(密を避けながら)茅の輪をくぐって終息と健康を祈願する人も多いでしょう。


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6/29は何の日?

2020-06-29 09:29:39 | 日記


 本日は佃煮の日です。たまーにむしょうに食べたくなるときがありますよね。
 佃煮の発祥の地である東京・佃島の氏神様として住吉神社が創建されたのが正保3(1646)年6月29日であることにちなんで2004年に制定されました。


 佃煮は、小魚や貝、海藻などを醤油や砂糖で味濃く煮詰めたものです。ちなみに私はしじみの佃煮が一番好きです。
 佃煮は江戸時代から伝わる日本の伝統的食品加工技術であり、栄養価も良く、日持ちする食材のひとつです。「佃煮」という名称は、江戸の佃島というところに住む漁師たちが、海が荒れて魚の獲れないとき用にと保存が利くように小魚を煮込んで非常用備蓄食にしておいたものを、地名からとって「佃煮」と名付けて売り出したのが始まりといわれているようです。

 さらにもっと歴史を紐解けば、なんと本能寺の変まで遡ることができるのが驚き。
 本能寺で織田信長が明智光秀に討たれた後、大阪に陣を構えていた徳川家康は身の危険を感じて三河国に帰ろうとします。ところが明智光秀に先回りされていたため、迂回せざるをえなくなります。大阪の神崎川に差し掛かったとき、渡る船がなくて困っていたところ、大阪佃村の庄屋「森 孫右衛門」たちが舟とともに小魚煮を差し出しました。このおかげで徳川家康は無事に帰城でき、その恩を忘れなかった徳川家康は江戸幕府を開いた後彼らを移住させて手厚く保護したそうです。このとき移り住んだ土地を郷里にちなんで佃島と名付けたと言います。


 思いのほか、壮大な歴史があってびっくり( ゚д゚)


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6/28は何の日?

2020-06-28 13:47:25 | 日記


 今日は貿易記念日です。
 1859年6月28日、江戸幕府がそれまでの鎖国政策を改め、諸外国との貿易を開始したことにちなみます。


 どんなものだったかというと、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ロシアの5か国に対して、横浜、長崎、箱館(函館)の3港での貿易を許可しました。当時はお茶や生糸を輸出し、火器や艦船や綿織物などを輸入していました。
 現在の日本は、資源や食料など輸入品に頼っている面があります。なので貿易従事者だけでなく、多くの国民に輸出入の重要性について認識してもらいたいという目的もあるそうです。

 しかし、本当にこの幕末とか明治の時期って次から次へと色んなことが起こるから、学生時分はとても苦労しました。自力では思い出せなかったので調べてみると、だいたいこんな感じのようです。ちなみに初期の条約は日本に外国人を裁く権利がなかったり、輸入品に関税をかけて税金を取ることができなかったり、一方的で不平等なものでした。

 1853年 黒船(ペリー)来航
 1854年 日米和親条約締結、日本開国
 1858年 日米修好通商条約締結 諸外国とも同じような条約を結び、まとめて安政五ヵ国条約と呼ばれる。
 1859年 貿易開始
 1867年 大政奉還、王政復古の大号令 新政府が条約改正を求めるも失敗
 1868年 戊辰戦争勃発
 1869年 江戸を東京と改称し、明治に改元
 1871年 条約改正を求めて岩倉使節団が欧米へ出発
 1877年 西南戦争勃発
 1886年 ノルマントン号事件で日本人乗組員が救助されず死亡したにもかかわらず、船長のイギリス人に責任が問われなかったことから条約改正を求める動きが全国で活発化。
 1889年 大日本帝国憲法発布
 1894年 日英通商航海条約締結 領事裁判権撤廃、関税自主権一部回復
 1904年 日露戦争勃発
 1911年 不平等条約改正

 他にも色々事件はあったと思いますけど、とりあえず。
 そしてよくこんなこと覚えてたな、昔の自分。面白みのかけらもありゃしねえのに(O_O)


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6/27は何の日?

2020-06-27 11:51:43 | 日記


 今日はちらし寿司の日らしいです。そんなのあるんですね〜。
 広島県の会社が制定したらしいのですが、岡山のちらし寿司「ばら寿司」が生まれるきっかけとなった備前岡山藩主・池田光政の命日にちなんでいるそうです。


 そもそもちらし寿司の発祥には諸説あるらしいのですが。
 岡山のばら寿司の場合、1654年に備前で大洪水が起こり、当時の藩主だった池田光政が「倹約のため食事をご飯と味噌汁の他は一品だけに制限する」という一汁一菜令を出しました。災害復旧のための倹約でしたが、そんな中でも食事を少しでも楽しみたいと民衆たちが制約を受けないようできる限りの副材をご飯に盛り込んだのが始まりだといわれています。法の抜け道というやつですね!

 ちらし寿司はばら寿司以外にも、地域によって「五目寿司」「混ぜ寿司」「五目ちらし」など呼び方は色々です。我が家は「ちらし寿司」呼びですが、よく使ってる素は永谷園の『すし太郎』ですね。

 

 思いっきり「五目ちらし』って書いてあった...。


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