本堂(慈恵堂)。
喜多院は平安初期の天長7年(830)、円仁(慈覚大師)
が建立、無量寿寺と号した。天正16年(1588)に天海
(慈眼大師)により喜多院と改められた。
寛永15年(1638)の川越大火で山門を残して焼失して
しまうが、徳川家光の命で江戸城御殿の一部を移築
などして数年間で再建されたという
喜多院は平安初期の天長7年(830)、円仁(慈覚大師)
が建立、無量寿寺と号した。天正16年(1588)に天海
(慈眼大師)により喜多院と改められた。
寛永15年(1638)の川越大火で山門を残して焼失して
しまうが、徳川家光の命で江戸城御殿の一部を移築
などして数年間で再建されたという
仙波東照宮(センバトウショウグウ)
徳川家康没(1616)後、元和3年(1617)その遺骸を久能山
から日光に移葬する途中、喜多院に4日間逗留して法要
した。そのことにより、寛永10年(1633)に建立された。
寛永15年(1638)の川越大火により焼失したが、寛永17年
(1640)に再建された建物が現在に残っている
徳川家康没(1616)後、元和3年(1617)その遺骸を久能山
から日光に移葬する途中、喜多院に4日間逗留して法要
した。そのことにより、寛永10年(1633)に建立された。
寛永15年(1638)の川越大火により焼失したが、寛永17年
(1640)に再建された建物が現在に残っている