ゆったりと日記を描こう

dorucasuの意味はカモシカです。聖書に出てくる手作りの大好きな女性です。

自分の気持ちに焦点を合わせる

2011-08-06 23:56:00 | 日記
今日のブログを書いてから一時ホットしたのですが、でもまたまた聞いたことが心にひっかかっているのです。
 それは私自身のことがどう言われていたかと知ったことです。
気にしない、気にしないと思いながら消えないのです。
その言われたことはどうでもいいのですが、私が若い時に信仰を持ち家族に反対され、地域の人たちからも仲間外れにされたことがフッと思い出されたのです。

 他のブログを読んでいて気になる文をここに書きます。
このブログは牧師の方でまたうつ病患者さんと家族の方のために書かれてありました。
グチを言い、又読むことを通して楽になるとも・・・この気になる文章をここに書きます。

実は、もっと大事なのは、あなたご自身の気持ちに焦点を合わせることです。

心の怒りや痛みを他に退けているとよくないとも・・
確かに正直になること自体が良いのでしょう。小さいころから教えられてきたように無理をして演技をしてしまうのだとも書かれてあったのです。
自分の気持ちに焦点を合わせる、つまり正直に自分の心を表すという事でしょうか。
いつも心のどこかで自分がピエロになり周りを収めようとしていたと思います。
気分が悪ければ顔に出してもいいのかもしれませんね。
私の牧師もよく言われます「正直にならなければ祈りは聞かれません」と・・・

どうしても周りを気にして自分を抑えてしまうのは決して良いことではないようです。

村下孝蔵 やさしい瞳

2011-08-06 15:48:41 | 音楽
村下孝蔵 やさしい瞳


今日は婦人会の会館掃除の奉仕でした
蒸し暑い中わが六班の女性たちが共に働きました。そのあとタイヘンでした。
それは出てこない人の悪口です。私は女性の多い職場で働きましたから・・よく分かるのですが
 女性が楽しみとする(???)ことです。

それで我慢できなくてピエロになり「そんなこともう忘れようよ」
と言ってしまいました。けれども止まりません。
しまいには「あんたも忘れないように努力しなければダメよ」
なんて言われてしまいました。モウッ!!


帰ってからPCを開き皆さんのブログを読みコメントを入れたりしながら思いました。しょうがないなー・・・村下蔵蔵さんの歌でも聞いてと・・・

聞くうちに気持ちが治まってきました。
小さな村の小さな集まりです。
 でもネット社会で知り合う方は良い距離感でいいですね。本音でしか語れない私にとってはとても助かります。
互いに相性の良い方と知り合えるのですから
という事で今日はちょっとグチりました。ゴメンナサイね!!

聞き取りボランティア

2011-08-05 20:41:23 | 日記
今日はボランティアに行ってきた。
私が退職してから十年余り音訳ボランティアをしてきた。今はそれはやめて今度は聞き取りボランティアに変わった。
私はどこでも言っているように、とてもおしゃべりな人間である。それで今のボランティアは私にとってはとても訓練となる。一人住まいの高齢者のお話し相手である。
電話での話相手なので、サービスを受けている方々は話しをすることを待っておられる。
耳も遠くなっておられる方も多く一人で大声で話しをなさるのである。
私のできることはただ聞くことである。これが私にとってはなかなかできないことであった。
すぐ自分の話したいことを話し出す。が、今は聞くボランティアであるからその時だけはただ聞くのである。それも相槌を打つだけなのである。
 
 この頃はようやく聞けるようになってきたのであるが、すぐ言われたことに対して反応して話そうとした。が、彼らは聞いてはいないのである。そのことが分かったのでただ相槌を打つことを学んだ。

このように訓練して友達と話していても聞き上手になりたいものだと思っている。
そして、もう一つ聞きながらも話しをしている方が楽しくなれるようにと願っている。
よくクラーイ感じで話しておられてもついには笑い出されるととても嬉しい。

 今日は嬉しいことがもう一つあった。それは信仰の友がボランティアをしようと言いだし、今日は見学に来られた。彼女はとても苦難の有った方で、今でも消えてはいない。でもボランティアをしようという気持ちになったのがうれしい。
 よくわが師は言われる「自分のことだけを祈るのではなく、遠いことを祈るとき自分の願いが知らぬ間に聞かれていると気づく」と、そのように自分の問題に目を取られているのではなく自分のできることで周りの人に仕えるとき、知らぬ間に自分の問題が軽くなるということを体験してきた。
彼女もきっとそのようになれると思うからである。

何であれ今日はとても嬉しい日でした。

出来上がりました

2011-08-04 23:24:46 | アート


 今晩は週いちの絵画教室に行ってきました。
このグラジォラスの絵を描きあげました。帰ってきてからすぐ印刷機でスキャンし、そして写真加工で額縁を付けました。
このようにできてブログで発表できるのがとても嬉しいのです。

この花はうちの庭で長く咲いているのですが、どうももう寿命のようでだんだんと花も茎も弱くなってきています。
肥料もやらなくて水もやらずに放っているからかしら???

職業婦人だったわたくしガーデニングのことは何も分からないのです。
ただ宿根草の花々が庭にはびこっています。それとハーブもたくさん植えました。そして、花さく木なども・・・
庭は広いのですが、芝生は夫がせっせと水をまき、肥料を施すので青々としています。
でも花たちはあまり水ももらえず・・ごめんなさいね。
でもなぜ彼は花たちに水をやらないのか分からないのです。ついでにやってくれたらよいのにと思うのですが・・・
と思いつつ何もしない私が悪いのですが

良識的な人々

2011-08-03 07:58:43 | 日記

「電気代が高い理由」
          武田先生のブログの引用


1) 電力会社の儲けは、「コスト」を出して、それに10%程度の利益をのせる。だから、コストが10円と20円なら、20円の方が1円だけ儲けが多くなる(電力会社のもうけ)、

2) 電力からとる税金は電気代に比例しているので、電気代が高ければそれだけ税金が増える(官僚のもうけ)、

3) 電力会社はコストを高くしなければならないから、業者は高く納入できる(関係会社のもうけ)、

4) 電力会社が儲かれば賃金も高くなる(労働組合のもうけ)、

5) 「電力会社のコストはどの程度が適切か」と言うことを決める{政府、議員、マスコミ、学者、評論家・・・}にたっぷりとお金を回しておく(関係者のもうけ)、

6) そして、これら1)から5)のために一方的に損をしている人たち(おとなしい庶民)は高い電気代を払う・・・・

なんと哀しい現実だろう。

電力会社が役人の天下りを支援し、政治家に献金し、公共広告機構の理事長(広告の一番多い会社)が東電で、東大の学者に研究費を出すのは、もちろん、ハッキリした目的があるからだ。
政治家は電力に手も足もでない。
活動資金のもとになる献金と選挙の時の票(電力労働組合、関係会社の人の票)があるからだ。
役人も手も足もでない。
天下り先を広く準備してくれるからだ。
・・・・・・・・・
かつて、これとほぼ同じことが日本の農業で起きた。米価の問題である。

毎日武田先生のブログを読んでいる。そして思うのは先生は本当に本音で書いておられるということである。
もう自分の利得など考えておられない。
昨日の菅谷先生のように、官僚の中にも、又原発反対の学者さん…etc.
沢山の良識的な方々がいる。日本人は素晴らしい!!
このようなことでもなければ知ることができなかったろう。

考えはいろいろあるが、それぞれが信じる道を行く・・・それで好いのだ!!




私の子育て№2

2011-08-02 10:44:32 | 日記
さて二十二歳で二人の子持ちとなったわたくしと夫は小さなアパートで子育てをしました。
ちょうど実母は仕事を持ちまた家を建てるという事で私の助けはできなくなっていました。それで私は同じアパートで五十代の方に預けようと思いお願いしました。その方は快く引き受けて下さいましたが子供たちがなつきません。ある日雨の日だったのに子供二人はその方の部屋に入らなくなってしまいました。彼女は傘を持ち子供たちとともに一日外にいたと言います。
 後で子供たちに聞くと嫌な思いをしたとのことです。でも私はそれで諦めました。
そのあと関西へ嫁いでいた姉がご主人とともにこの町へ転職のため帰ってきていました。それで姉は「私がみるしかない」と思い申し出てくれたのです。
姉は自分の子供三人と私の子供(そのあと生まれた)三人、六人を五年間みてくれました。
私はそのような助けを得て三十年働くことができたのです。

  姉のイラストです。でもちょっと似てないかな?もっと可愛いですね。


その5年間が終わり夫は親族のいない養母、父を思いかえると言います。
マーしようがないですよね・・・でも彼らと別居した1年後に信仰を持った私は「主にあって夫に従え」とあるので夫に従って共に帰りました。
帰ってからまた一人生まれましたので、姑は懲りていたらしく子供の世話をしてくれました。
でもヨカッタですよ。実は70代後半から姑は骨粗鬆症で動けなくなってしまいましたから
イライラした時など「あの子の世話をしてくれたのだから・・・」と思い共に暮らすことができました。
その2年後に子供は二万人に一人なるという難病になりました。ですから私は姑とともに頑張りました。彼女も私が職場に行っているときは母親になってくれたのです。
でも若い私は彼女のやり方にいろいろ言いたいことはありました。でも見てくれている人には何も言えませんでしたね・・・

このように子供たちが大きくなるまで行政のサービスを受け、又オバーチャンとともにようやくやれたのです。ハーッ!! こんな何もできない私が周りに助けられて四人の子供たちを育てあげたのです。
さて、どうしもて忘れられないことを一つ書きますね。

別居中のことです。二人の子供たちを保育所に預けに行くため私は自転車の三人乗りをしました。
一人はうしろに、又もう一人は自転車の前に乗せて時間のない小さな私は自転車に乗り走りました。
またある日などそのもう一人オンブして歩きました。さすがに乗れませんでしたね。
でも若かったからできたのです。今では本当に良い思い出です。

「dorucasu えらかったね!!」と自分をほめています。メデタシ・メデタシ!!


私の子育て・・・

2011-08-01 08:12:17 | 日記
今朝の「おひさま」を見て、私の子育てを思い出しました。
二十歳で結婚しすぐ次の年に長女が生まれました。その時主人と姑が仲が悪く私は意地悪をされました。
「明日から見るわ」と言われて朝早く姑の部屋に娘を連れていくと、突然「今日はたいそいから見れない」と言われ、それからあわてて実家に預けに行き、そのあと一時間半かけて仕事に行く・・・
そのようなことが三日続き「アア、この人は見る気がないのだ」と知り、それからは実家の母に預けに行くという事が始まりました。
そして、一年十か月たち次の子ができて生むために実家に帰っているうちに主人は家を出てきてしまいました。彼も我慢できない意地悪をされて切れてしまったのでした。

 今考えると彼女の気持ちがちょっと分かるようになりました。
私の主人は納得して養子になったわけではないので舅、姑の思いのままにならない人でしたから・・・
そして結婚して彼に言われたことは「絶対に畑を手伝うな、お前は仕事をしているのだから」ということでした。ですから畑を手伝わない私たちは最悪の養子夫婦だったのですね。
 でもそうして四人もの子供がいても姑は子育ての助けはしませんでした。でも最後の子が病気だったので彼女は一生懸命に世話をしてくれたのです。

 人の人生は一人ひとり違います。おひさまの陽子さんは本当に素晴らしい人たちの中で子育てができました。でも、そうではない人たちもたくさんいます。私の人生で一番大変だったことは子育てでした。「仕事を辞めたい・・」とは言えない環境でした。

でも、このようなことがあったから今の私がいるのだと思えます。私の性格は「気が強くて生意気で、負けず嫌い・・・」ですから恵まれた人生だったら今頃どんなオバーチャンになっていただろうと思います。
 又私がもし優しい女性だったら家族の反応も違っていたと思います。何しろ夫にとっては「可愛くない妻」だったのです。でも姑にとってはどうもいい嫁だったようで五年間の別居から帰ってくると私に頼りました。(実はとてもいやでした)「○○がいなくてもあんたがいたらいい」と言われ,カチンときて「間違いなさんな、彼が出ていくと私もついていくのですよ」と言ってしまいました。

このようなことを書けるのもブログだからですね。あーっ、スッとしました。失礼!!