昨晩、長野県に地震があった。うちの所は震度2
ユラーッユラーッという感じだ!
今朝になり、今までの大地震を思いだしていた。
まず1964年(昭和39年)6月16日 新潟地震 - Mj 7.5(Mw 7.6)、死者26人。新潟県、山形県、宮城県、福島県で最大震度 5。
私は電話局に入り、訓練期間で休憩で屋上にいた。その上から海を見ると一面に網目模様に茶色の筋が出ていた・・・「キャー キレイ!」なんて18歳の若者(バカモノ)ですね~
1993年の7月12日 北海道南西沖地震 - Mj 7.8(Mt 8.1)(Mw 7.7)
私は泊まりの仕事で、ちょうど休憩時間でテレビをつけた。すぐにニュースが入り
慌てて皆に知らせ近辺の行政・漁業組合に知らせた・・・
その当時は我ら交換手が気象台からの知らせから近辺に知らせることになっていた。深夜の事だった。
その後ようやく気象台の知らせが入り、先に知らせることができたので津波から救われたと感謝された。奥尻島が津波に襲われ島が消えたようになったのが忘れられない!
次は1995年 1月17日 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、阪神大震災) - Mj 7.3(旧Mj 7.2)(Mw 6.9)
この日は午前中に金沢市でキリスト教の女性の会に出ていた。そこで関西に大変な地震が起きたと聞き、テレビで多くの酷い映像を見た。
わたしの本部教会は芦屋市である。JR芦屋駅の高架線はなぎ倒されていたのが目に焼き付いている。
その一週間前にP牧師が私の家へ来られて一回目の集会が行われていたのだ!
そして二回目の二月の集会で電車も通っていないのに芦屋市から高槻市まで歩き、石川県まで伝道者が来たのに感動したものだ。
そして、2007年に能登半島、新潟県上越の地震・・・
その時(能登半島)は伝道のため車で移動していて気付かなかった。
2011年 3月11日14時46分頃 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災) - Mw(モーメントマグニチュード) 9.0
この日は元同僚と近くの温泉に行きお茶をしていた。家に帰りどんな凄い地震かと知り
目の前が真っ暗になった!!
こうして「その時私はどうしていたか」というのがハッキリと思いだされる。
地震の年表
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