~こころ豊かな愉快な生き方を求めて~

サスティナブルな世の中で幸せの笑顔が満ち溢れますように
内容:地域活性化、歴史探訪、パソコン、野球

家康の宿泊場所を求めて、信楽小川に行ってきました~新たな情報を多数戴きました~

2016-11-21 16:02:48 | 家康伊賀越え
神君伊賀越えの道を求め、京田辺のやまじろ研究家の案内で、信楽は小川城に行ってきました。ここは家康が宿泊したところとして有名ですが、昨年末に、地元郷土史家が実際はこの麓の妙福寺に宿泊したとの発表があり、より関心が高まっていました。私は4年半ぶり2回目の訪問です。小川城跡は、麓から20分ぐらいで登れます。紅葉、雲海の山々、小川のまちの見下ろしは、曇っていましたが、絶景でした。砦の力石もありました。しかし、本日の目的の一つは、中ノ城に行くことでした。案内立札に基づき、山道を行くと、途中から道がわからなくなり、新たな道を探しながら行きましたが、徐々に判らなくなり、断念してフェンスのあるところまで下りました。途中道幅が狭く、木や葉っぱで滑り、危険なところも数々ありました。フェンスも3か所ありその出口を探しながら、大変でした。そして、道路に出て、歩いていますと、小川に行ったら訪ねなさいと教えていただいた『S畳屋さん』の家が目の前にあり、「ここだ」と言って、玄関で入ろうとするときに、ご主人が出てこられました。そして、地元しか聞けない話を伺うとともに、中ノ城や実際に家康が通ったという道に連れて行ってもらいました。
今日は、ここまでです。いや~~、色々な方がその土地土地には、いらっしゃいます。
なお一層、現地に行かねばという思いが高まりました。

大相撲が面白い~相撲は足腰と重心の低さで決まる~

2016-11-20 02:58:38 | スポーツ
大相撲九州場所が面白い。豪栄道の横綱、高安の大関なるか、白鵬の復活、若い新鋭力士の台頭で、充実した場所になっている。また、十両にも、宇良や大銀杏が結えない力士が連日、好取組で盛り上げている。相撲は、身長・体重が大きいよりも、足腰の強さ、重心の低さ、体の柔軟さで決まると思っている。押されてもバランスを崩さずに、足の裏が土俵に吸い付くような磁力の持ち主が強くなる。土俵の鬼と呼ばれた初代の若乃花を思い出す。小兵の宇良の取り口を見ているとその骨頂である体全体を低い体勢にし、足を前後で踏ん張る勝利の方程式である。大きなお相撲さんは、この体制が取れずに、力任せに相撲をとることが大半である。時代とともに、相撲の取り口や技、精神統一や気合の入れ方、などにも変化しているのがよくわかる。ただ気になることは、結びの一番前に登場する三役格の音痴な呼び出しである。何回聴いても、今までにない、館内に声が通らず、音の高低が滑らかでない、凹凸差のある音痴呼び出しである。これが評価されているのだろうか?これなら、序の口の若い呼び出しさんの方がうまいと思ってしまう。年功序列社会がここにも残っている・・・。

三日連続でジョウビタキがやってきて話しかけてくれます。可愛いものです。

2016-11-18 06:56:29 | 友達
朝と夕方に小鳥たちが庭の木々や電線にとまっていることが気になりだしました。名前を教えていただいた『じょうびたき』とここ三日間連続で会話しました。昨日は、きれいなさえずりで呼びかけてくれました。こちらが「チッチッ」と呼びかけると頭を前後におじきするようなしぐさをしながら鳴きます。そうすると、益々かわいく見えてきました。30分ぐらい、相手をしてくれましたが、別の小鳥がやってきたので、また明日と言いながら、飛び立ってしまいました。この小鳥の名前は何というのでしょうか?

来年の伊賀越えイベントの準備を始めています~大阪府下を歩きます~

2016-11-17 05:08:52 | 家康伊賀越え
つつきはっけん研究会(THK)のメンバーで、来年4月に計画している、神君伊賀越えシリーズ第3弾の逃走路(四條畷~星田)コースを歩いてきました。歩き・訪れるところは、四條畷神社、住吉平田神社、和田賢秀(にぎたけんしゅう:楠正行と共に戦った四條畷の戦いで敗北)の墓、歴史民俗資料館(館長の話)、東高野・山根街道、道標、大灯篭、等々、興味深いところも多く、ウォーキングを午前中で終わるには、少し時間を気にしなければならない。交通量の多い大阪府下の町中を歩くだけに、より安全性が要求されます。人数制限や誘導の仕方、長い行列にならないようにするための一工夫をしたく思っています。まだ時間もありますので、世話役のメンバーと十分検討・確認していきたいと思います。9~10月のイベントが盛況だっただけに、来年も楽しみにして待っておられる方々の顔が浮かび、声が届くとまたまた張り切らなければと思ってしまいます。
※しじょうなわて について、JRは四条畷、それ以外は、四條畷の表記です。

珍しい小鳥がとまり、何かを呼びかけているようだ

2016-11-16 04:09:15 | 徒然なるままに
コト、コトと鳴きながら、名も知らぬ小鳥さんが5分ぐらい梅の木やケーブルにとまり休んでいた。小鳥は、写真を撮ろうとすると、すぐに察知し飛び立つことが多いが、この鳥は、こちらを警戒しながらも、当方の周りで楽しんでいるようにも見えた。心の中で、「おい、何をしているのかい、これからどうするんだ」と呼びかけながら小太りした小鳥を眺めていたが、逆に「おいお前、これからどうするんだ」と話しかけているようにも見えた。お互いにこれからのことは、分からないよなあとつぶやきながら、一羽の小鳥が飛び去っていった初冬の午後だった。
じょうびたき(尉鶲)でした。


NHKTV「鶴瓶の家族に乾杯」で実家近くが放映、いとこも登場でびっくり

2016-11-15 06:52:32 | 松阪市
昨夜のNHK総合TV「鶴瓶の家族に乾杯」でふるさと松阪がぶっつけ本番で放映され、いとこも登場しびっくりでした。10~20歳の多感な時に松阪に住んだ小津安二郎に憧れるゲストの佐野史郎が実家近くの『小津安二郎青春館』を訪れましたが、当日は閉館でした。開館されていれば、小津の少年期の面白い話が聞けたのではないかと思います。八百清さんや村上糀屋さんが登場。最もビックリは、いとこ夫婦が出てきたことでした。撮影直後にお会いしたがそんな話は全くなかったので驚愕でした。それにしても、松阪の中心街のお年寄りは皆さん元気があるなと感じました。小津が1年だけ代用教員をしていた飯高の宮前小学校周辺も一度訪れたく思いました。小津映画において、度々松阪のことが出てくることを知り、これほどまでに故郷松阪に影響を受けていたとは思いませんでした。わが伯父は小学校の時に接触があったようですが、時代が大正ですから、当方としては、小津のことをほとんど知らず、数年前に青春館に行って、館長さんにいろいろなエピソードを聞き興味を持った次第です。小津監督のこともあり、芸能人が多いのもわかります。田端義男、沢本忠雄、あべ静江、西野カナ・・・。松坂城、松阪商人の屋敷、松阪木綿、祭りイベントや学ぶ会の多さ、これらが町を活気づかせていて、羨ましい限りです。


神君伊賀越え~(城陽市)市辺の道案内人の出現~

2016-11-14 03:15:29 | 家康伊賀越え
図書館で調べものをしていて、ある小冊子を読んでいると、神君伊賀越えで(木津川の)草内の渡しの対岸である市辺のことが書かれているのを見つけた。草内の渡しの対岸は、『十六の渡し』という。6/3朝、家康一行はそこにつき、あらかじめ連絡されていた市辺中垣内の庄屋半兵衛が宇治田原まで道案内をしたとある。当日は、雨が降り、足跡がつかないように、草鞋を後前にして逆方向に移動したと思わせる演出をしたとのこと。無事宇治田原に到着し、家康が褒美を与えるので申せというと、「八町四方の土地よりも、上座を占める権利を得たい」と答えたという。また家康から「住んでいるところが市辺なので市本と名のれ」ということで苗字帯刀が許されたとのこと。この話は、何年後かわからないが、先祖のお春ばあさんから聞いたとのこと(市本家談より)。という風に、伊賀越えに関する土地巷情報は、まだまだあると思う。逃走における道案内人や少しでもそれにかかわった人々は、それぞれが大きな役割を果たし、将軍になった超重要人物の伊賀越えを手助けした者だと、時間がたつにつれて話が大きくなりながら子孫に受け継がれてきたのではないだろうか。実に面白い。

歴史資料調査報告会~文化振興に取組む熱意がうかがえない、ただ淡々とでは何も変わらない~

2016-11-13 03:48:56 | 郷土の歴史
市と京都府大共同で進める歴史資料調査の報告会があった。薪村の小山家文書480点について、大学の専門家の指導を受け、市民ボランティアが調査したものである。家系、家業(油屋、質屋)、捨松日記の内容であった。この種の整理まとめで感じることは、古文書の解説とそこから浮かび上がる出来事や歴史的な関連、地域や人物の暮らし・考え方、そして、今日への繋がりにも触れていただきたいのだが、今回もなかった。ただ淡々と古文書紙面に書かれたことを整理しただけである。そもそも、なぜ、小山家文書を取り上げて共同調査を進めたのかがわからない。今日の報告会は、そこから話が始まらなければならない。文化振興計画の策定、文化振興室の立ち上げの中の市事業として、主旨、背景、課題事項、今後の具体的ステップと計画を明確にしたうえで、取組んでいただきたいと思っている。半年前に文化振興室に提言したが、何も変わっていないのは、遺憾である。ということで、室長と指導の先生にこの思いをお伝えしたが、・・・。ビジョン・夢を持ち、熱意でもって、まちを盛り上げること、これが我がまちには欠けている。

京都市美術館で若冲を鑑賞、そして知ったこと

2016-11-12 02:18:46 | 人物・人材
好天気に誘われて、京都岡崎の京都市美術館に行ってきました。そうです、『生誕300年若冲の京都』をじっくりと脳裏に刻み込んできました。絵画そのものには、その偉大さ・素晴らしさを述べるだけの鑑賞力は持ち合わせていませんが、まさに今動かんとする鶏を写実し、特殊な和紙に描くならばこれ以上ない精緻さと魂や集中力をつぎ込んだことに感銘を受けました。疑問に思っていた二つの朱印の漢字がわかり、係の若冲に詳しい人ともお話し、若冲に関する生き方や評価について、現在は高まっているが、数年たって、どうなるかはわからないと意味深長な話が出ました。まさに、芸術作品の評価というものは時代とともに変遷があるとのことも教えていただきましたが、人間もそうではないかと思った次第です。最後に、若冲が京田辺に住んだという伝承があるが、どうですかと聞くと、微笑んだ顔で、面白いですね、とのことでした。

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