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京田辺の真実を問う~日本最初外国蚕飼育跡は、ほんとうか?~

2016-10-06 06:28:28 | 郷土の歴史

京田辺市多々羅にある『日本最初外国蚕飼育旧跡』については、以前から、日本最初ということを疑問視している。養蚕は、3000年前の中国殷時代から行われていた。その時代の遺跡物として、甲骨文字に蚕・桑が現れ、斧や壺に絹が付着され発見されている。日本の養蚕は、『魏志倭人伝』の記載から、3世紀中ごろ朝鮮半島を経て伝わる。仁徳天皇の皇后である磐之媛が三色に代わる虫(蚕)を見て作った歌が「古事記」にある。また、奴理能美が養蚕をし、それを見て歌った磐之媛が住んだのは、現在の多々羅に近い三山木越前~大南山である。このような確かな記録が他にはないために、どうもこの地域が日本最初の養蚕地として伝わってきたのではないか。しかし、時代を経て50年前に、北九州の弥生時代中期の遺跡(立岩遺跡、春日市門田貝塚、など)で、素朴な絹の平織が発見されたことから、中国からの養蚕の伝播は1世紀ごろである可能性が大である。即ち、日本最初蚕飼育地は、北九州であり京田辺ではない。時を経て、歴史の真実は明かされるのである。



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