90ページの雑記帳-2(丼・行・ぶろぐ。)

ようこそいらっしゃいませ。
自分の文章力も省みずに(笑)、旅の話を主に色々と書いていきたいと思います。m(_ _)m

富士宮・富士B級グルメャ^雑感

2010年07月21日 | 自転車・ポタリング…時々とほ。(徒歩)
先日、富士宮・富士Bグルャ^として、取れた休みに合わせた1泊3日強行スケジュールで富士宮やきそば探訪を行ったです。この基地外wスケジュールは、ひとえには高速道路休日1000円の恩恵に預かれない土休日仕事を持ってる私にとって、これが日曜にインター入場後、日付変わっても出口インターまでは“土休日”が有効である、と言うことに気付いたことが発端。それなら日曜勤務終わってから深夜夜通し走れば休日1000円を活かせる!!…ので、一度活用してみたいと思ったところから、場所的にいいところを考えたとき、

 『あんまり行ったことの無い地区』
で、
 『自転車が活かせやすいBグル探訪』

って条件で考えていくと、浮かび上がってきたのが『富士宮やきそば』でした。

その荒案に乗せて、ある日曜勤務の日に終わってから家にも帰らず(!!)、京都市郊外の某所に隠した自家用車で名神高速に直行したのでした(そうしないとインタチェンジに0時までに間に合わない可能性があったから)。

梅雨の中休みを狙って休み申請していたけど、結局梅雨入りが遅れてこの日が梅雨入り宣言の雨模様の深夜、京都から新名神~伊勢湾岸~東名と、雨模様の夜の闇をただただひたすら車を走らせ続けた。



早朝4時過ぎに富士に着く。ETC特割1,150円の恩恵にあやかった瞬間です。暫しの仮眠の後、駅周辺に駐車場を確保。富士山も全然見えない微妙に降りそうな空模様の元、お天気サイトで日中の降水確率40%なのを確認して折りチャリ『super≠lUZIX』を輪行袋にセットする。ここから初乗車の身延線にて西富士宮まで乗車。

郊外宅地と工場と田園へと交互に風景を変えながら、2両編成のワンマン電車で約20分ののんびりミニトリップで、西富士宮駅に到着。因みに終点まで、乗降者は20人居なかった。

ここからまず最初は、ツーリングマップル推薦の『おじまや』に行ったのですが、残念ながらここは月曜定休日にかぶってしまった。
富士宮やきそばの情報は、ツーリングマップルの記述しか情報が無かったので、情報を仕入れに富士宮駅前の観光案内所を訪れて、『富士宮やきそばマップ』を仕入れる。
次のお店に行くまでに、浅間大社近くを通ったが、梅雨入りしたばかりの紫陽花がきれいだった。

さの食堂に続いて、キッチントトロでやきそば食している間に雨模様に。店内で暫く粘って雨をやり過ごしてから、お宮横丁の富士宮やきそばアンテナショップへ。雨模様の平日なのにそこそこ観光客が多い。富士宮やきそば人気もなかなかのものです。

お宮横丁の広場の真ん中には、富士山からの清らかな名水がこんこんと湧いている。浅間大社の湧玉池と同じ水源と訊きますので、バナジウムがたっぷりなのでしょう。美味しいお水でした。アンテナショップの富士宮やきそばに付く“お冷や”も、ここで汲んでのセルフサービス。

お宮横丁の一角に、『メ[ク神社』って、なかなかそそられる名前のお店があって、覗いてみると、『LYB豚(ルイビトン)』なんてネーミングのユニークな肉を串焼きにしているのを見つける。思わずLYB豚の串焼きを注文。店頭で焼いてくれます。
脂身に独特の甘味があってとても美味しい。のですが、この場合香辛料は控え目の方が味が引き立ったかも…とも思えました。

LYB豚食してから、浅間大社の水源、湧玉池を見に行く。写ってる橋の上から水面を見ると、湧き出す水を見ることができる。ちょっと神秘。
…で、これ撮ったときの横に写ってるアヒルさん、図太くなかなか動こうとしない。

…で、試しに接近してみた。が、やっぱり図太い動かない。

…ん? ヒゲあひる?w

湧玉池の水流を直にさわって、霊験な水の冷たさを身を以て体験してみたあと、やきそばの富士宮市をあとに、身延線に沿って走り富士駅を目指す。
途中の富士根駅近くの児童公園には、おかしなSLの形をしたトイレがあって、ここで用を足した。H麹゙をレールに代用した線路があったりして変に作り込んでてまたおかし。

身延線と付きつ離れずで県道を走り継いで、柚木駅のあたりで小雨が降ってくるが、無視して強行走行したら、富士駅近くで止んでいた。

案外早く富士駅に着いて、時間余ったので、もうひとっ走り海岸線まで走ってみる。国道一号線を超えると工業団地の中を抜け、太平洋側・駿河湾に到達。向こうに見えるは伊豆半島になる。あちらにも足延ばしてみたい衝動に駆られるが、やっぱ無理はやめようと思い止まる…。

お土産仕入れてスーパー銭湯入って、安宿を確保してから、晩飯は、食事処 金時のかつ皿を食す。食前におビールも(^_^;

…流石に睡眠不足きついので、ビールあおって即寝態勢。。。



超爆睡ののち朝起きたら、午前中雨確率40%でまず無理と諦めてた富士山が、意外にも姿を表す。予想外!!
昨日食事したお食事処・金時の前の“富士見通り”からは、まっすぐ先に雲から顔出す富士山の麗姿が。
折角の麗姿なので、富士川SAでももう一度富士山を撮ってみる。

そこから暫く走って焼津あたりからもうだいぶ曇り。富士の姿は奇跡そのもの。
叶?ゥらは高速料金をはしょる為(^_^;、一般道にて豊橋に向かう。

折角こちらに来ているので、見たかったものがあった。豊橋の路面電車に登場した、超低床電車LRVの「ほっトラム」。国産の超低床電車「リトルダンサー」シリーズの一つとして豊橋に登場しました。
超低床電車としては、岡山の「momo」、松山の2100形「豆腐タン(俗称w)」を見ましたが、豊橋はどんな様子かを見て見ました。


豊橋鉄道の路面電車は、結局、線路はいくぶん整備の悪いところが残っていて、ところどころきつく揺れる。なるほど欧州タイプは脱線しまくりになりかねへん感じの線路だったので、国産の車軸付き台車の超低床電車がベターなんだなー、と思いました。

…因みに、車庫には夏期営業直前のこんな電車の姿も。(^_^;

その後、時折の小雨の中、駐車地点まで自転車漕いで戻ると、その近くにあった「コメダ珈琲店」で、コメダ名物シロノワールを昼飯代わりに食します。ミニシロノワールじゃない普通サイズにしたので、なかなかの量になりました。

…あとは単なる帰途になる。名古屋近郊まで一般道を走り、夕方の渋滞を避ける為豊田南ICから四日市ICまではまた高速道路を走り、四日市からは又一般道をチンタラ走って、悠々と無事に帰京。


…そして、今回の道中が、『super≠lUZIX』最後の長旅となりました。
 
 
 
 

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京都・三条通全踏記vol'2

2010年04月20日 | 自転車・ポタリング…時々とほ。(徒歩)
三条通全踏破ウォーキングの後半戦は、 あれから約10日後に実行となりました。
天候は薄曇りで幾分肌寒い日でしたが、好天の日を待って日にちが開くと、サボり症が出てなかなか実行し難くなりそうなので、勢いのあるうちに…、と、行ってきました!!

前回の終了地点だった三条京阪まで、地下鉄東西線に乗車して再スタート。三条大橋の川縁には、駅伝発祥の地の記念碑を見つける。このあたりはしょっちゅう来るけど、これは初めて気付きました。(画像ミスって削除してしもうたので…参考リンクを)1月に行われる「全国女子駅伝」は京都市内を走るけれども、ここ三条大橋はコースに入っていないので、発祥の地、と、言われてもいまいちピンと来なかったりします。


又、東海道五十三次の終着点でもある。更にここには、古くから営業され、中華そばや、ここ独特のメニュー「皿盛り(和風カツカレー)」が評判な「篠田屋」があるが、今日は皿盛りは食さず素通り。非常に残念であります。

今しがた乗ってきた地下鉄東西線が開通するまでは、ここから山科の御陵まで、京阪京津線の路面区間があった。考えたら三条通はその昔の京都市電は通ってなかったが、嵐電と京津線の2種類の路面電車が走っていて、しかも嵐電は今もしっかり生き残って“癒やしの嵐電”として大活躍していることはなかなかすごいこと興味深いことだと言える気がします。(とくに東西線太秦天神川延長開業で新たな乗り継ぎルートが形成されて、乗降人員がほぼ倍増したのですから大活躍と呼ぶに相応しいでしょう。)

三条京阪周辺から進むとしましょう。東山三条までは今は車が片側1車線で広い歩道が整備されてあるが、京津線が走っていた時代には、路面の軌道と上下1車線の車道、さらに歩道部は白ラインで区切られた狭い歩道だった。京津線(路面区間)廃止で、歩道だけは良くなったことになる。

東山三条から三条通りをちょっと南に下ったところに、マルシン飯店って中華料理屋さんがあります。麻婆丼がおいしいって聞いていますが、ここも今食事にするには早すぎるのでスルーせざるを得ません。深夜まで営業しているらしいので、そんな時間に来た方が趣がありそうです。更にこの先には、京都のブランドものの、一澤帆布(休業中)及び暖簾“分かれ”で話題となった一澤信三郎帆布もあります。


…観光客向けの案内地図見てるだけなら、まだもめてるっぽい。。。
(因みに、ウィキペディアによる現状です。)

南にちょっと寄り道しましたが、ここらで三条通りに復旧。

東山三条から先、通りはちょっと広くなって、三条神宮道付近は平安神宮と八坂神社の間になるので、観光の人たちで賑やかです。その三条神宮道の手前の疎水縁(べり)に北に入っていく細い路地裏の光景は、静かな古い京都の光景が残っていて、風情ありでした。
そんなとこをちょろっと垣間見て、改めて本題の三条通りに出ると、蹴上に近づくにつれて「ウェスティン都ホテル」の巨大な建物が迫ってくる。京都市内の景観条例とかのおかげだろうか、上に高い建物じゃないけど、東西に長くて、陸にあがった大型フェリーの様な巨大さを湛えている。

蹴上のインクラインが見えてくると、その裏手には、南禅寺の敷地が広がっているが、私は未だ行ったことがなかったので、&“聖地”でもあるので、ちょっと大きく寄り道です。

さて、南禅寺の“聖地”と言えば、今一番の旬は、アニメ「けいおん!」(尚、最新の第二期の放送は「けいおん!!」^^;)においての水路閣が一番なようですが、このあたりは、サスペンスドラマにも良く登場することで、その筋でも“聖地”扱いされているらしい。

和の古色ただ中の南禅寺境内敷地内にあって、西洋様式でありながら重厚な水路閣は、今やいろんな意味で京都観光のかおと言えそう。
(観光に来てた外人さんたちが、トンネル横で、何気に「♪ガチでスバらし」の部分みたいなメ[ズで撮ってて“けいおんごっこ”してるみたいでおかしかった。(^_^;…但し画像はそのシーンに間に合わずでした。。。)


蹴上から水路閣の入口の、疎水下の歩道トンネルは、とくに大きな案内看板も出てないけれど、「ねじりまんぽ」って言う(この珍妙な名前でVOWネタにもなったこともある)、珍しい工法と言うか手法で造られていて、トンネル内壁の煉瓦が緩い螺旋状に組まれていて、中を歩くと平衡感覚に狂いが生じそうなトンネルです(…って、ここの画像もうまく撮れなかったので、参考リンク参照で(^_^;)。入り口の写真で“ねじり”を認識できますでしょうか?。


その、ねじりまんぽ入り口の写真に出てるように、路面の温度計の表示は気温8度。早朝が5度位からあんまり気温が上がらない。この寒空の下ですが、ここから九条山日ノ岡峠を越えにかかります。蹴上浄水場の門のあたりから京都市内を見返ると、空色も寒々としている。

今4車線ある道路の西沿い2車線分は、京阪京津線の軌道跡になるけどもその痕跡は見あたらない。登り続けて、峠部の向こう側には何んらかの痕跡を見つけられんかなー、と、探しながら歩いていたが、唯一見つかったのは、京津線の台車!!…ではなくて、鉄道もない程の昔、旧東海道の三条通りにあった牛車道にあった溝付きの敷石を使ってモニュメントとしたものでした。牛車の溝は、峠を上下しやすくする轍(わだち)になる訳ですが、まるで軌道を彷彿していておもしろいですね。
 

敷石モニュメントは、このほか日ノ岡の市街地側にも、塔状のものを見ることができました。

日ノ岡の市街地から御陵までは、また京津線が路面区間を走り、更に御陵交差点から専用軌道区間になっていたのですが、ここから東海道線の近くまでは、その軌道跡を遊歩道として整備してある。旧御陵駅のスペースが広場になっていて、駅ホーム跡の空間に、ホームの屋根を彷彿させる日除けが設置されていて、何となくそれとわかるように作られている。こちらのブログ様の記事がわかりやすそうです(…ここらは確実に撮った記憶があるのに残っていない…何らかのデジカメ不調かも…)。

元踏切の交差点から三条通りに戻ります。山科のJRの大築堤を潜って暫く歩くと、京都薬科大学の横を過ぎたところに、五条別れって名の交差点になる。地図上で辿っていくと、ここから五条通りの旧道に通じているようである。

この五条別れまで来ると、最終目的地まではほぼ真っ直ぐの道のりであるが、時間はもう午後2時前で、さすがに腹減ってくる。この近辺にはチェック入れてるお店もないので、もぅホンマに何でもええわ…って状況だったので、たまたま現れた“すき家”に入って昼食とした。超安上がりに、並牛丼おしんこセットで済ました。安いけど、米国牛の心配不安は無いのでちょっとは安心して食せます。

空腹感をガッツリ満たしたところで、あと残りは距離2㎞を割っている程度の筈。もう一ふんばりです。
山科周辺から四宮にかけては、交差点名にも三条の名がよく使われている。
ラクト山科の大きなビルに囲まれた交差点は、外環三条。人も車も多い。
四宮周辺から、三条通りの終了地点と思われる国道1号線合流地点までだけでも、三条通りを表す表示が結構見られます。
 



四宮(四ノ宮)交差点あたりから見える前方の、逢坂山の緑が近づいてきたら、最終目標の国道1号線合流地点です。


最終地点になる、この国道1号線合流地点は、京都市と滋賀県大津市の境でもありますが、ここは旧東海道も通っている場所でもあるのでした。そう思うと、このウォーキングは嵐山渡月橋をスタート地点としましたが、三条通りの始まりは、むしろこの場所の方と思うのが正解なのじゃないか、とも思いました。

 



…計画的に朝早めから歩き出せば、1日で踏破出来そうな距離を、2回に分けて歩き切る、と言う、なかなか長閑で非効率な行動でしたが、京都市の東西を全踏出来たのは、いい体験になりました。
次には、どれか南北の通りを制覇してみたいなー、と思っています。
…因みに、体重の減少については、…あんだけ食っちゃえばダメですなぁ…って感じで全くもって影響なしなのでありました。。。(^ー^;

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京都・三条通全踏記vol'1

2010年03月12日 | 自転車・ポタリング…時々とほ。(徒歩)
…2月の更新が出来ないまま、もう3月になってしまったことに愕然としそうになりつつ、平常心を以って鯵の開き直りで久々にとっとと書いてみたりしてみます(^_^;)

さて、私事ですが、一昨年まで、“お茶の街”(と、私が勝手に呼んでいた(^_^;)『宇治市』に住んでいたのですが、のっぴきならぬ訳あって引っ越しして、今は京都市内に住んでいます。まぁ、おかげで名実に偽り無い“京都送信所”となったわけですが。。。^_^;

京都市民とは言え、住み始めてまだ1年を越えた位の“にわか町衆”って状態で、地理に全然詳しくないので、事ある毎に京都市内の地図とにらめっこする機会も多くなったりします。

そんなとき、ふと目に留まったのは、「三条通り」が京都市内の西端から東端の方まで名前が打たれていて、ちょっと違和感と興味を持ったものでした。そう言えば、大宮通りも、4車線路から軽自動車1台がやっとな狭い道まで広狭の変化を繰り返す道だったのを見たことがあります。
そんなところと、また最近禿しく運動不足だったりする我が図体のていたらくを鑑みて、いっちょ運動がてら三条通りを全踏してみようかな???…とか思い立ってしまい、とーとつに実行に移してしまいました。(…まぁ、とーとつ過ぎて歩行開始時間が遅かったので、前編と後編に分けてみたり、と、何かと泥縄ですが。。。)

地図で見ると、どうやら三条通りの西端は嵐山の渡月橋から始まってるようであるので、嵐山をスタート地点として、ここまで“癒しの嵐電”で移動する。
 

渡月橋北詰の交差点には、とくに三条通りを示すものは何も無かったけど、そこから歩きだして、次の信号のある交差点が『清滝道三条』の名前が付いて、三条通りを主張している。やはり渡月橋が始まりのようである。

桂川沿いにもうちょい進むと、堤防上の道から街中に下りる三叉路になってて、とたんに狭い2車線路になる。嵐山に向かう路線バスが多い道ですが、電柱が邪魔して離合しにくい所もところどころに。
天然温泉スーパー銭湯「天山の湯」を脇に見る。入場料1000円のスーパー銭湯だけあって、かなりええお風呂です。でも今日は入らないのでスルーしてさらに進み、渡月橋から30分ちょっと歩いた頃、帷子の辻付近に至る。ここらでふとハンカチを忘れてることに気付き、嵐電の帷子の辻駅ビルにダイソーがあるので、ハンカチとお茶を買う。安く済ませられるので、ローソンぢゃないけどあいてて良かったぁ…などと思ふ。

ついでにとトイレを済ませてから再スタート。帷子の辻駅裏手には増発用の電車「夕子ちゃん」と工事用電車が昼寝中。何んとなくプチ撮り鉄してみる。
 

更に進んで行くと、蚕ノ社周辺の三条太秦繁栄会(商店街)は、一段と道が狭まり、ここにも電柱の位置によってはバスが離合しずらい箇所も出てくる。
嵐電の蚕ノ社駅を越えて路面区間になったあたりからやっと道が広くなる。そして蚕ノ社駅からほんの300m程の距離で新しい嵐電天神川駅(…と言うか路面の停留所)があり、京都市地下鉄東西線と連絡をしているとともに、三条御池交差点がある。


区役所等との複合施設、サンサ右京を見て更に進むと、三条天神川交差点になる。ここまではところどころ曲がりくねる道だったが、ここから先はほぼ一直線に東西に延びた通りとなります。昔からの三条通りもほぼここからでしょう。

右手に庚申猿田彦神社を見て進み、再度嵐電の路面区間になる葛野大路(かどのおおじ)三条から西院にかけては生活エリアの為、見慣れた景色が続く。但し今日は三条通り踏破ウォーキング(笑)なので西院には向かわない。
西大路三条で嵐電の路面区間が終わると、広い目の4車線から、また狭い目の2車線に変わる。同じ狭い目の2車線でも、帷子の辻周辺とは様子が違って、建て込んだ密集住宅地になる。風情の違いが興味深いかも。

普段ならこのあたりは、自転車かクルマで通りすぎることが多い場所なので、歩いてみると新たな発見があったりする。普段通り過ぎてばかりのパン屋さんで、『天狗堂海野製パン所』ってパン屋さんに初めて立ち寄って、パンを買ってみたりする。クリームパン様のものとサンライズ(或いはメロンパン?)の2つを買ってみた。(食したのは帰ってからですが、なかなかうまかったです。)

JR山陰線の高架をくぐり千本三条交差点を越えると、長いアーケード街の三条会商店街になります。
JR二条駅近くから広いアーケード街になっていて、新堀川通まで続くが、そちらに向かって街路は狭くなって終わっている。今年の某国営放送の大河ドラマは、皆さま御存じのように坂本竜馬で、アーケードの下に大きな竜馬のイラストが飾られているが、二条城が近いとは言え観光ルートから離れた商店街なので、アピール度は低そうに思えたり…。


商店街を抜けて新堀川の大通りを渡ると、アーケードの無い通りになり、商店と事務所ビルが半々な感じの街になる。新堀川を渡ってすぐ、土佐の焼酎「ダバダ火振」の会社「無手無冠(むてむか)」の名の飲み屋さんがあった。懐かしい名前です。高知には長くいってないなぁー…、いつかここ飲みに来たいなぁー、皿鉢(さわち)料理もやってるんかなー、…とか思いを馳せつつも歩を進める。そう言えば腹減ってきた。。。


新堀川から烏丸にかけては、チェックの入った店を思い付かなかったので、無難に、以前訪店した「とり安」の唐揚げ丼を食することにしたが、すでにPM1時半を回っていたので、昼の営業終わりかけなので、幾分早足でお店を目指す。なので、このあたりは街の風景は素通り状態です(^_^;
烏丸三条から北へ上がって、昼の営業終了15分前頃に、「とり安」に到着です。



唐揚げ丼を堪能してから、再スタート。。。とは言え、今日は時間的に三条大橋で一旦切り上げようと決めていた(って言うか、この日夕刻に歯医者予約してたのを忘れてたりして…何んていう泥沼…苦笑)ので、残りはあと僅かです。

三条会商店街から2度目のアーケード商店街、三条名店街に入ると、ある筋で“聖地”と呼ばれている(←参考リンク)「10jia」ならぬ「jewjia(十字屋)三条本店」を右に見て、4月から始まる第2期の放送に期待を込めたところで、アーケードを抜けきり、河原町の繁華街の人波を掻き分けて更に進むと、やっと三条大橋に到着。




…日暮れを気にしなければ、このまま山科まで歩き切っても行けそうな感じですが、先述のとおり、今日はこれから歯医者に行かなあかんので、三条大橋で一旦切り上げです。



…続きは、約2週間ののちに歩きましたが、それはまた、別のお話し、と言うことで。。。(^_^;


後編は、こちらです。
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旅先・・・なのに・・・

2007年10月14日 | 自転車・ポタリング…時々とほ。(徒歩)
深夜12時半に塩尻へ。

無料インターネットから酒呑みつつカキコ中。。。^^;

・・・ともあれ、無事信州入り♪




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…旅立ち前夜…なのに…

2007年10月12日 | 自転車・ポタリング…時々とほ。(徒歩)
最近、秋の空色が広がる日が増えるにしたがって、どうしようもなく旅の虫がうずいてうずいて仕方ない禁断症状の私は、結局また3日間の休みを取ることに成功し、明日から秋のソロ旅に出ることになりました。

…今年は、職の事情・家庭の事情・等に考慮しての3日間、しかも出発は休出の仕事終わってからの夜の出発 ^^;。

そんなスケジュールの都合と今年の欲求仕様から、今回は自転車主体にくるまで巡る旅ってかたちを初めて採ってみます。
(バイクも捨てがたいと思っていたけど、自転車で安曇野を走ってみたかったので…)

But、今しか準備時間が無いっちゅうのになかなか進まんかったりしてるし。。。^^;


…ちょっと短い3日間の旅ですが、どうなりますやら…
…考えたら、去年の旅の記事、未だ完成してないしorz…

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