名前を忘れた罪

―忘れてもいいこと、
 そして忘れてはいけないこと―

いつか私は大輪の花になる、その日まで。

2014-06-27 13:26:22 | 
大切な者を失った
それは死とゆう形で
永遠の別れ。

神の悪戯、
生まれたものは
いつか必ず死が
迎えに来る。

早過ぎる死を
心から惜しまれる人。

自ら死を選んだ人。

誰に看取られる事もなく
ひっそりと生涯を終えた人。

死ぬ機会は自由に
選べないのが普通の事。

私はまだ死なない、
まだ蕾さえ付いていない。
いつか大輪の一輪花を
咲かせるまで。

もがいてもがいて
なやんでなやんで
苦しくてみ辛くても
涙が止まらない日があっても

花になるまで必死で
生き抜いていきたい。

夏の夜のまぼろし。

2014-06-20 19:54:00 | 
まだ子供の頃、
夕暮れを過ぎると
いつも一番星を探した。

見つけたときの
あの胸の高鳴り。

二番星も見つけた。
訳も無くただなんとなく
嬉しい気持ちになった。

三番星を見たら
帰路についた。

いつからだろう。
この同じ空に
星が見えなくなって
しまったのは。

人が生きる為に、
地球はその身を削った。
私達は罪深き生き物。
その罪はとても重く、
生涯かけても
償うことは出来ない。

空の青さも、
煌く一番星も、
全てその手で奪ったのだ。

これ以上優しさを失ったら
私達は生きてる価値さえ失う。
失ったものは2度と
取り戻す事は出来ないけど、

毎日を懸命に生きよう。
それが私達に出来る
唯一の罪滅ぼし。

月に捧げる祈り。

2014-06-12 06:34:25 | 
お月様、あなたは
あの子の小さな亡骸を
大きな光で包んでくれますか?

お月様、あなたは
あの子が天国へ向かう階段を
大きな光で照らしてくれますか?

あの子は私達にとって
かけがえのない存在だった。
あの子を失ったことで
私は心の欠片を1つ失った。
それはもう取り戻せない、
大切な大切なものだった。

お月様、もしも1つ
願い事が叶うなら
たった1度きりでいいから
あの子に会わせて下さい。

もし無理ならせめてあの子に
永遠の安らぎを与えて下さい。


*・゜・*:.。.*.。.:*・☆・゜・*:
早くに失くした友人の愛犬に
この詩を捧げます*.。.:*・☆・

生んでくれてありがとう。

2014-06-08 21:41:11 | 
おかあさん、
私を生んでくれて
ありがとう。

生まれて初めて
見たものが
おかあさんの顔だった。

3歳の時、
字の読み書きが
出来るようになった。

5歳の時、
友達と並んで見た夕日が
とてもきれいだった。

7歳の時、
七五三に綺麗な
お着物着せてくれたね。

ランドセルの色は
赤色だった。

学校に行く途中、
好きなわんこに
毎日あいさつした。
わんちゃんこんにちは!

中学生の時、
お下がりのスカートが
ぶかぶかだった。

高校生の時は
ダサい紺のブレザーだった。

高校を出てすぐに
就職した、中古屋に。
いい経験を沢山した。

20歳の時に家を飛び出て
夜の仕事に転職した。

21歳の12月、1本の
電話があった。
『母、余命半年』

私は家に出戻った。
そして母の最期を看取った。

家事手伝いとパートで
友達と遊ぶ時間も無かった。

そして25歳の時に
騒音がきっかけで
うつ病とノイローゼになった。

1日でも早い復職を
希望していたけれど、
病の悪化で無理になった。

実父に10年にも及ぶ
精神的虐待を受けた。
兄に相談しても聞き流された。

父をフルボッコにした、
人に手を上げたのは
それがはじめてだった。

7ヶ月に及ぶ強制入院は
私にとって地獄のようだった。

通院をやめてそれから数年は
体調がよかった。

しかし私が37歳の時に
父が痴呆症になり、寝る時間も
選べない過酷な生活を
1年以上強いられた。

極度のストレスから、
私のうつ病は悪化して
食事を取る事も出来なくなり
ついには入院する事になった。

最初の頃は慣れなくて
とまどう事が多かったけど
お話出来るお友達とよく一緒に
喫煙所でダベッてたね。

おもいの他、入院は
長引き3ヵ月半を要した。
その間に担当のワーカーさんが
もう自宅介護は無理な事を
兄に強く言いすぐに
介護ホームを探して
そちらに入居してもらった。

生活を邪魔する者は
誰もない我が家で、
不眠や寝坊に悩まされながら
それでも楽しい毎日を
過ごしている。

食事の時間は何よりの楽しみ。
お風呂でシャワー浴びるの
ものすごいさっぱりする。

今日は買い物に行って
色々買ってきたよ。

今は亡き母へ、
生んでくれて
本当にありがとう。