名前を忘れた罪

―忘れてもいいこと、
 そして忘れてはいけないこと―

生んでくれてありがとう。

2014-06-08 21:41:11 | 
おかあさん、
私を生んでくれて
ありがとう。

生まれて初めて
見たものが
おかあさんの顔だった。

3歳の時、
字の読み書きが
出来るようになった。

5歳の時、
友達と並んで見た夕日が
とてもきれいだった。

7歳の時、
七五三に綺麗な
お着物着せてくれたね。

ランドセルの色は
赤色だった。

学校に行く途中、
好きなわんこに
毎日あいさつした。
わんちゃんこんにちは!

中学生の時、
お下がりのスカートが
ぶかぶかだった。

高校生の時は
ダサい紺のブレザーだった。

高校を出てすぐに
就職した、中古屋に。
いい経験を沢山した。

20歳の時に家を飛び出て
夜の仕事に転職した。

21歳の12月、1本の
電話があった。
『母、余命半年』

私は家に出戻った。
そして母の最期を看取った。

家事手伝いとパートで
友達と遊ぶ時間も無かった。

そして25歳の時に
騒音がきっかけで
うつ病とノイローゼになった。

1日でも早い復職を
希望していたけれど、
病の悪化で無理になった。

実父に10年にも及ぶ
精神的虐待を受けた。
兄に相談しても聞き流された。

父をフルボッコにした、
人に手を上げたのは
それがはじめてだった。

7ヶ月に及ぶ強制入院は
私にとって地獄のようだった。

通院をやめてそれから数年は
体調がよかった。

しかし私が37歳の時に
父が痴呆症になり、寝る時間も
選べない過酷な生活を
1年以上強いられた。

極度のストレスから、
私のうつ病は悪化して
食事を取る事も出来なくなり
ついには入院する事になった。

最初の頃は慣れなくて
とまどう事が多かったけど
お話出来るお友達とよく一緒に
喫煙所でダベッてたね。

おもいの他、入院は
長引き3ヵ月半を要した。
その間に担当のワーカーさんが
もう自宅介護は無理な事を
兄に強く言いすぐに
介護ホームを探して
そちらに入居してもらった。

生活を邪魔する者は
誰もない我が家で、
不眠や寝坊に悩まされながら
それでも楽しい毎日を
過ごしている。

食事の時間は何よりの楽しみ。
お風呂でシャワー浴びるの
ものすごいさっぱりする。

今日は買い物に行って
色々買ってきたよ。

今は亡き母へ、
生んでくれて
本当にありがとう。