名前を忘れた罪

―忘れてもいいこと、
 そして忘れてはいけないこと―

ある晴れた穏やかな冬の1日。

2016-02-10 13:50:22 | 
その日は朝の6時半に
目を覚ました。

まだ少し寒くて
薄暗い冬の朝に。

7時ごろ私は朝食の支度をして
ささやかな食事を済ませる。

食休みを30分程すると、
私はおもむろにパソコンの
電源を入れる。

好きなサイトで英気を養い、
午後に待ち受ける執筆活動の
為に心にも栄養を与える。

10時ごろになると知人から
電話が入る。

暫し雑談を楽しんだ後は
次はお昼ご飯の準備だ。

遅めの昼食を済ませた後は
食休みをしてから
遠方の友人に送る
サプライズの荷造りをはじめる。

療養中の身では気軽に
1人歩きもままならない。

しかし24時間フル回転を
続ける私の脳内はまるで
退屈を覚えさせない。

1日が終わる時間などは
とても残念に思える。

私の両手は起きてる時間は
常にワープロを打ち続け、
それはそれは退屈などを
与えさせない。

25歳の時に水彩画家志望から、
詩人に転身した私。
もうすぐ私は遅咲きの詩人として
自分が成すべき使命を果たせる
機会をいただいた。

それが終わるまでなにがなんでも
絶対に病に屈して倒れる訳にはいかない。
どうか、あまり上手くはないけど
40歳でデビューする新米詩人を
応援してくれたら嬉しいです。

1人の詩人として深い感謝の意を込めて。

爆弾

2016-02-09 09:01:56 | 
私の体中に
無数の爆弾がある。

残念ながらどれも
不発弾では無い。

どんな条件で
いつ爆発するのか
私にも誰にも分からない。

私の左手首に
複数の古い切り傷がある。
同じものが太ももにもある。

でも後悔はしないし
恥じる事もない。

長い、これから恒久的に
ずっと続く苦しい闘病において

必死で生き抜こうとして得た、
それは私の生きるあかしであり勲章。

人に顔向け出来ないような、

そんな生き方をしてきた覚えはない。
厳しく躾けて立派な大人になるまで
育ててくれた亡き母に感謝してます。

重い病気を抱えた私を仲間に
選んでくれたみなに深く感謝しています。

この世に生まれた時から、
私の体はあちこち病魔に蝕まれて
自分でも思うように動けない日も
たくさんあります。

ずっと波乱万丈の茨の道を
歩んできたのでもう慣れています。

全ての生命に幸あらんと願う。





私の使命、それは天命である。

2016-02-08 20:50:13 | 
何年も何年も
生きる意味や理由が
分からなくて
ずっと迷宮の奥で
1人でずっと悩んでいた。

5年ほどしてある人に聞いてみた。

「人間として生まれたものには
 人間として生きる責務(義務)がある、
 意味とか理由とか関係無いんだよ!」

と、そう言われて私は長年抱えてた
答えの存在しないように思われた
疑問を1つ減らす事が出来た。

親も子もない独り身ですが、
私を大事に思ってくれてる
良い仲間にも恵まれた。

私の使命それは、
ただひたすら先に死んだ人の分も
懸命に生きて生きて
生き抜くことです。

だから私は己が寿命をまっとうする、
その日まで1人の人間として生きていきます。