☆☆ universo & me ☆

猫の事、世の中の事、歌の事、ソプラノ歌手のつれづれ

共産圏とは

2014-05-19 18:27:37 | Weblog
 私がブルガリアへ留学したのは、1980年のことだった。
当時、山田風車が再び脚光を浴びて、ブルガリア大使館が接触してきて、留学先を探していたところ、大使館の一等書記官が、

「歌はブルガリアが良いのですよ! 是非、ブルガリアに来てください。」(世界一のバス歌手ボリス・フリストフ誕生の地)
と言う事で、本当はイタリアへ行きたかったのだけど、当時のイタリアは「赤い旅団」の人攫い事件が続いていたので

「あんな危ない所へは、やられない!」と父が言って、ブルガリアへ行く事に成った。

 当時のブルガリアは、未だ、ソビエト連邦の支配する共産圏に組み込まれていて、自由主義経済圏とは全く別物だった。

共産主義国とは社会主義ではなくて、「一党独裁」の恐怖政治をやっている所である。今の中国共産党と何等変わりは無い。



 ブルガリア語は日本では全く勉強出来ないので、何も分からないままに行ったので、まるっきりしゃべれなくて、非常に不安だった。

紀伊国屋書店で見つけた、ブルガリア語のテープ一巻だけが、唯一手に入った「参考書」で、挨拶の仕方や数の数え方だけは何とか覚えてから行った。

お会いできて光栄です。=プリィヤートゥノ ミーエ
おはよう=ドーブロー ウートゥロー
こんにちは=ドーブル デン
こんばんは=ドーブル ベチェール
おやすみ=レカ ノシュトゥ
1=エディン 2=ドゥヴァ 3=トゥリ 

これしか知らずに行ったので、到着してからは、2年目の留学生に色々と教えて貰った。

とりあえず直ぐに
カクボ エ トゥバ=これは何ですか
アス イースカム ダ ゴボーリャ スス ヤポーネツ=
( I want to speak with japanese)私は日本人と話したい。


と言う文章を教えて貰って、これを頼りに覚えていった。

ブルガリア人の若い可愛い女の子が、日本大使館にいい男が居る、「愛してるを日本語で何と言うの?!」
と聞かれて 「愛してるわ!」と教えたら、耳が良くて、私の発音そっくりに出来たのにはびっくりした。

「オビーチャム テ」(愛す 貴方を)とブルガリア語では言う。

有名なブルガリアヨーグルトは「キセロ ムリャーコ」酸っぱい牛乳、と言う。ソフィア弁ではムレーコ

パンはフリャップ、でも、ソフィア弁ではフレープ。

お茶はチャイ

チャイ イースカシ? お茶、要りますか?

口語で皆がよく言う言葉に「セリョーズノー?」と言うのがあるのだけど、これは英語の「シリアスリー?」と同じ意味で、
「それ本当?」とか「本気??」と言う意味らしいのが分かった。

番外編で、ごきぶり=フレバルキ=フレップ(パン)に付く虫、と言う意味らしい。


私は東海大の交換留学生の様に、語学学校へ行く様には成っていなかったので、現地でちょぼちょぼと覚えて言っただけなので、正式な文法などは全く分からないのだけど、一ヶ月で、一人で買い物くらいは出来る様には成った。

買い物するのは割りと簡単で、これは何??=カクヴォ エ トゥバ?  いくら?=コルコ
後は数を数えられたら済む。

語学学校へ行っている留学生より、私の方がマシだ、とブルガリア人大学院生に言われて驚いた。だって、ちゃんと話せる訳ではないから。。


ブルガリアは東欧きっての穀倉地帯で、穀物も野菜もいっぱい取れるのだが、これが全部ソビエト共産党に吸い上げられて、地元には何も残らない。

 スーパーに行っても、買える物が何も無くて、行って一週間で、野菜なんか好きでもないのに、日本のスーパーの野菜売り場の夢を「総天然色」で見てしまって、「これは、悪夢だ!!」と思ったものだった。

ひき肉も、果たして何の肉が入っているのか分からないシロモノだし、牛肉なんかは、筋だらけで到底食べられる様なものではなかった。

カカオが無いので、当然チョコレートも無い。

別の物で作った「チョコレートもどき」が売っていたが、とっても不味かった。

それで、日本人留学生は、ドルショップへ行っては、西側諸国のチョコレートやケルドセンのビスケットを大量に食べて、皆さん7kgくらい太るのが普通だった。

私は親から貰ったドルを、勿体無いからそんな物には使えないので、140レバの奨学金だけで生活し、配布される食事券で一日2度はストル(椅子)と言う名の学生食堂のご飯を食べてすごしていたら、48kgまで痩せて

「痩せたのは山田さんが初めてですよ~!!」と言われたのだった。

通貨はドルにあたるのがレバ、セントに当たるのがストチンキで、2食で1レバ、家賃(寮費)が5レバだから、140レバあったらちゃんと暮らせる。

寮から音楽大学まで電車やバスに乗って行くお金もちゃんと出る。

 質実剛健な暮らしに慣れているので、それは苦には成らなかったが、ブルガリア人の体臭には閉口した。

何せ、食物をソビエト共産党に持って行かれるので、国にはろくな物が残っていない。
一体どうやって生きているんだろうか?!と思ったけど、ブルガリア人は

「サラミとチーズとパンが有れば生きられる」のだそうで、そんなだから、体臭がサラミの臭いなのだ。

そして、雨が降って濡れると、髪の毛も体も臭いが強くなるので、或る雨の日に電車に乗り込んだら、濡れ鼠の人だらけで、車内がサラミが腐ったような物凄い臭いに成っていて、慌てて口に手を当てて臭いを遮ったのだけど時既に遅し、
で、、気を失いそうになり、しゃがみ込んで鼻を押さえて、何とか意識が遠のくのを防いだのだった。

 西ヨーロッパの「マッチ売りの少女」も酷いけど、こんな体臭に成ってしまう様な食生活しか出来ない国って、本当に有り得ないと思う現実がそこには有った。

 今は共産主義崩壊したから、もっとちゃんとマシな物を食べているんだろうと思うけど、行ったことないので分からない。

一般庶民の生活は日本人には想像もつかない程に酷いのに、私の先生は、イタリアはミラノのスカラ座の研修所を出てプリマドンナに成ったソプラノ歌手で、しかも旦那さんは共産党員。

 或る日、自宅レッスンに行ったら、外観は「蓑虫色(みのむし)」の様で、全然素晴らしい建物には見えないのに、そこの最上階半分が先生宅で、壁も床も大理石、天井には豪華なシャンデリア、壁照明もとても豪華な物で、まるでベルサイユ宮殿やオーストリアの宮殿の内部の様だった。

 部屋も広いし、お風呂のバスタブも、大変に高価な物を使っているのには本当に魂消た。
共産党員だけは、まるで中世の貴族の様な家で暮らしているのだ。

電気製品も西側の最新式の物が何でも有るし、食べ物も、巷には出回っていない物が、何でも揃っていて、これだけ貧富の差が激しいのは「共産圏」ならではの事だ。



共産主義は夢の国、なんて信じ込んでる左翼は、こう言う現実を知るべきだと思うよ、日本がどれだけマシだか分かるから!!








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