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札幌五輪金メダリスト 笠谷幸生さん逝く

2024-04-26 18:14:21 | ニュース

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札幌五輪「日の丸飛行隊」金

 1972年札幌冬季オリンピックのスキー・ジャンプ70メートル級(現ノーマルヒル)で表彰台を独占した「日の丸飛行隊」の一員で日本人初の冬季五輪金メダリストとなった笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんが23日午前7時35分、虚血性心疾患のため札幌市の病院で死去した。80歳。北海道出身。葬儀は近親者で行った。

 

 

訃報:笠谷幸生さん 80歳=元スキージャンプ選手、札幌冬季五輪金メダリスト | 毎日新聞

札幌五輪「日の丸飛行隊」金  1972年札幌冬季オリンピックのスキー・ジャンプ70メートル級(現ノーマルヒル)で表彰台を独占した「日の丸飛行隊」の一員で日本人初の冬季五...

毎日新聞

 

 

 

笠谷さんは英雄でした。

カッコ良くて、みんなの憧れの存在でした。

私が中2の時には、学校全体で、ジャンプ競技を観に行ったくらいです。

あの日の笠谷さんは調子が悪くて、風にも恵まれず、頭を抱えながら着地しました。😅

 

当時は両足を揃えて飛ぶのが普通で、飛行姿勢も美しかったですよ。

今みたいにV字に変わった時には、”ええ~👀見っともない”と思ったものです。

 

札幌オリンピックの時には、私はバレエ記念公園「白鳥の湖」に出演したので

競技は一つも観ることが出来ませんでした。

朝の10時から夜の10時まで、毎日全幕の稽古だったので、毎朝5時には、脹脛が攣って

あまりの痛みに、足を両手で掴んで、飛び起きたものです。

12時間も扱き使われたのは、私ともう一人だけで、二人だけが全幕出演だったからです。

一幕出演者は朝10時から、次は二幕、三幕、最後が四幕の稽古だったので、

一日中踊り続けだったのです。

因みに、聖火ランナーのトリを務めたのは、私と同い年で同じバレエ研究所の

フィギュアスケートの全道チャンピオンでした。

 

懐かしい思い出が蘇りました。ハート音符ブルー音符

 

「冥福」は祈りません、何故なら、冥途は地獄だからです。

天国での幸せを祈ります。お願い赤薔薇

 

 

 

 

 

 


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