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れすぃむり るーずなーめむ

一個研究現代東北回民史之人的日常記録。

泰とワクフと乳酸菌。

2010-06-10 19:37:24 | Gunlerimden
こんにちは。
6月も三分の一が終わりますね。
月日が経つのは早いものです。
こちらも先の寄稿よりはや10日、
流石に何か書いておくべきだろ、ということで、
ここ数日のDivaneがしたアレコレについて少しばかり。

〔タイカレー〕
京都市内にもある「業務スーパー」ですが、
ここ最近(?)、タイカレーのモトを売り出しました(写真。清真牌有り)。
400gで200円弱と割と御手頃な値段なので、
ちょこちょこ買って使っています。
私が利用する太秦店ではココナツミルクも売っているので(缶詰400gで90円くらい)、
ここ最近、晩餐におけるタイカレー率が高くなりつつあります。
これから暫くは暑くなる一方でしょうし、
香辛料で体に適度な刺激を与えるのも、リフレッシュにはよいかもしれませんね。

〔中国のワクフ〕
現在懸り切りの論文を書き進めていく関係上、
「中国におけるワクフ」という問題を考えねばならなくなりました。
で、現在あれやこれやと、不案内な身ながら調査中。
彼の地ではワクフ文書ではなく碑文のカタチで関連情報が残されることが多いようですが、
こんな本に採録されている事例を見ながら、
「ワクフ?なのかなあ?」と情報をちょこちょこ纏めております。
今月末の「中国ムスリム研究会」例会で報告なされる方が、
以前に発表された論考にて現在の「事例」を扱われてらっしゃるようなので、
当日御話を伺えたら、と思っております。
また何かわかったら、こちらにも書かせて頂くかもしれません。

〔カルピス中毒〕
疲れが溜っているのでしょうか…。
最近、矢鱈カルピスソーダが美味くて仕方がないのです。
以前より、バイトの待機時間に飲んだりすることは有ったのですが、
ここ数日はほぼ毎日飲んでいる気が…。
「カル中」という語がもしあるのならば、
私はまごうかたなき「カル中」であると思います。
…カルピスさん、宣伝しますので、サポートして頂けませんかねぇ…(笑)

更に言えば、
所属先大学に台湾のイスラーム関係雑誌を継続購入させよう、
とか、少しく工作しているのですが。
そちらについては、有る程度確定したらということで。

それでは。

漢籍「回教文献」を読む意義など。

2010-05-31 20:55:25 | Gunlerimden
こんにちは。

昨日、前回紹介させて頂いたこちらの研究会にお邪魔して参ったのですが。
個人的に非常に楽しみにしていた三沢伸生氏の報告を伺う中で、
氏が取り上げられた田中逸平という日本人ムスリムが、
イスラームに触れる切っ掛けとして、
劉智の著作に触れたことなどがあった、と仰るのを伺って、
明治期以降の日本人がイスラームに関する「知識」を獲得していく上で、
またその「知識」をもとに「回教工作」が行われていく上で、
清朝期以降の漢文/漢訳「回教文献」が果たした役割がどんなものだろうかと、
改めて思いました。

上述の田中が自己の論説で劉智の著作について触れ、
その漢語によるムハンマド伝『天方至聖實錄』を翻訳したことはよく知られておりますが。
(大日本回教協会出版部、1941年。因みに訳自体はイケてない)
佐久間貞次郎や川村狂堂といった「工作」に関わった「日本人回教徒」たちも、
漢籍によって大陸のイスラーム/ムスリムに関する「知識」を得、
それを「整理」して日本語媒体で情報発信していたワケですし、
(佐久間貞次郎『支那回教文献の解説』東亞研究会、1933年。回教研究会編『回教』北京1927-29年など)
そうした面から考えるならば、
回民とそれに附属するものとしてのイスラームについて、
色々と関心を持つ日本人に対し、「回教文献」が及ぼした影響は、
幾許かは認めてもよいかと思います。

私個人は、対象としている地域が地域だけに、
川村が「回教文献」をどの様に読んだのか、ということにちょっと興味があるワケですが。
もっと色々な事例(誰がどう読んだか)が集まったら、
何か面白いことがわかるのかもしれません。

それでは。

Bugunlerde Haberlerim.

2010-04-26 18:22:26 | Gunlerimden
こんにちは。
何となくここ数日のことなどについて少し。
さしたることを書くわけでもないのですが。

先週末は土日ともに東都に行っておりまして、
一日目は迷路人氏宅にて、キャッキャウフフ、もとい御互いの近況などにつき緩々閑談、
二日目は御世話になっている研究会に御邪魔して参りました。

両日ともに一冊ずつ書籍を頂くことになりまして、
一日目は前回にも紹介しましたアレ、
二日目は以下の書籍を拝受致しました。
Mullā Mīr Mahmūd b. Mīr Rajab Dīvānī Begī Namangānī, 解説濱田正美、校訂濱田正美・塩野埼信也、Chahār Fasl(Bidā)/Muhimmāt al-Muslimīn, 京都大学大学院文学研究科、2010年。

同研究会に参加されてらっしゃる方で、濱田先生とも近しい研究者の方が、
御好意から研究会参加者全員に配って下さったようです。
同テクストはハナフィー法学・マートゥリーディー神学の教学を初学者に教える為の、
問答形式による教導書、とのことで。
中央アジアのみならず、中国においても流通し、
漢訳も幾つか作られたことが知られています。
本文はペルシア語なのですが、
余裕ができたら、辞書を引き引き、読んでみようと思います。

書籍と言えば、
最近こんな本が気になっています。
ヤコブ・M・ラブキン著、菅野賢治訳『トーラーの名において-シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史-』平凡社、2010年。
著者の方が先日日本で講演されたとのことで、
「行けたらな」と気になっていたら、大学構内の書店で同書を手に取る機会がありまして。
以来、「買おうか買うまいか」考え中、というわけ。
…どなたか読まれた方がおられたら、御感想など教えて頂けると幸甚です。

それと。
これも自分の研究領域とは余り関係がないといえばないのですが、
マレーシアの福祉団体Al-Khaadem Foundationの代表Hussein Yee氏が現在日本で講演をして廻っておられるとのことで。
氏は華人の改宗ムスリムだそうで、漢語による講演もされるそうです。
近畿では大阪にも来訪予定とのことですが…時間が合えば御話を伺ってみたいですね。

などと、こまごまと書いて参りましたが、
御覧の通り、現在興味関心があちらこちらへと拡散状態にあるようです。
もうちょっとびしっとしないと。

それでは。



A Translation of "Disbelievers".

2010-04-02 22:10:58 | Gunlerimden
こんにちは。
久方振り…1ヶ月振りの記事となります。

年明けより、故有って大陸にて入手した冊子の類を読み直しているのですが。
清朝後期の雲南出身ムスリム学者馬聯元によるクルアーン章句抜粋集に目を通しておりますと、
(馬聯元『孩聽解譯』 光緒二十六年)
109番目の「カーフィルーン」章のところに、以下の様な訳が附されていました。

哎穆罕默,你說,哎拜佛的人
如今我不拜你們現拜的佛像
你們也不拜我拜的真主
我永不拜你們拜的佛像
你們也不有領受得我常拜的真主
你們有你們邪教,我有我們正教,各行各教.

カーフィルーンとは「不信仰者たち」という意味ですが、
啓示が下された時代的地理的に考えて、
「佛」という語が入るのがおかしいのは、言うまでもありませんね。
じゃあ何故(敢えて?)「佛」「佛像」の語を使ったのだろうな、
と思い、先月中ごろに参加した某研究会の席にて、聞いてみましたところ、
漠然とした「偶像」を指す語として使われたのではないかと。成程。
『孩聽解譯』は初学者がクルアーンの章句を学ぶためのもの。
とすれば、読者の身近にあった「偶像」に当たるモノを訳語として採用した方が、
差し当っての理解の手助けになる、と思ってのことかもしれませんね。

なお、同書以降のクルアーン「漢訳」で私が目にしたことがあるものの該当箇所では、

你說; “不信道的人們啊!
我不崇拜你們所崇拜的,
你們也不崇拜我所崇拜的;
我不會崇拜你們所崇拜的,
你們也不會崇拜我所崇拜的;
你們有你們的報應,我有我的報應.”
(馬堅『漢譯古蘭經』中國社會科學出版社, 1981.)

你說! “眾不信的人哪!
我不拜你們拜的.
你們是不拜我拜的.
我是不拜你們拜的,
你們是不拜我拜的.
你們有你們的教門, 我有我的教門.
(王靜齋『古蘭經譯解』東方出版社, 2006.原著於1946年發行)

你說: “哎昩者們呀!
我不崇拜你們所崇拜的.
你們也不是對我所崇拜的崇拜者.
我不是對你們所崇拜的之崇拜者.
你們也不是對我所崇拜的之崇拜者.
你們有你們的宗教, 我有我的宗教.”
(伊斯梅爾 馬金鵬『古蘭經譯注』 寧夏人民出版社, 2005.)

といった感じで訳されており、
概ね日語訳と同じであるようです。
想定する読者像が変遷したということを表しているのでしょうか。

それでは。

On the“Stepfather” of “Li Xianglan”

2010-02-26 01:09:18 | Gunlerimden
こんにちは。
今回は先のエントリにも書かせて頂いた通り、
李香蘭こと山口淑子氏の「義父」となった人物について少し。
…ただ、尻切れ蜻蛉の感は否めないと思いますが…。

1920年に撫順で生まれた山口氏は、
満鉄勤めであった父君が、同地で起こった炭鉱襲撃事件との関連を疑われたため、
奉天(現瀋陽)に居を移すこととなりました。
そして、彼女の「自伝」『李香蘭-私の人生-』によると、
奉天に移住した山口家には「隣家の李際春将軍という父の親友の第二夫人と、そのおつきの召使い」が新しい「同居人」として越してきたそうです。
「李際春」は「昔、山東を守っていた軍閥の領袖で、もともとが東北地方の軍政上の重要人物」であり、
「当時は瀋陽銀行総裁の地位にあっ」て(上記『李香蘭』新潮文庫版、32-33頁)、
山口女史の父君は李と「家族ぐるみの交際をするちぎりを固めるために」御息女を同氏の養子とされたとのこと。

さて、この「李際春」という人ですが、
同じ名前の人物が、
日中戦争勃発以後、日本軍の華北占領に協力した「漢奸」の中にいるのですね。
彼は天津特務機関による溥儀の身分確保の際には、目暗ましの為騒ぎを起こすなどして協力、
熱河占領後も南下を続けた関東軍に「救国遊撃隊」を率いて追随したといわれており、
塘沽停戦協定締結後、その軍隊の一部は停戦ラインとされた現河北省東部一帯の保安警察隊へと整理・再編させられた、とされています。
民国期中国史で、「満洲事変」から「満洲国」の領土画定/日本の「華北分断政策」進展という流れを抑えていくならば、
一度はその名を目にする人物なのではないでしょうか。
山口氏は戦後に同「李際春」のことを知って、御自分が見知っておられた「李将軍」と同一人物であるとされているのですが(上掲書、38頁)、
もしそうだとしたら、私からみれば大変面白い「事実」であるといえます。
というのも、「漢奸」「李際春」は回民、つまりムスリムであった可能性が強いからです。

「盧溝橋事件」以後、日本が積極的に華北への侵出を進める中で、
日本軍は当地のムスリム住民への宣撫工作を重視することとなり、
1938年2月には、当地の日本軍特務により成立していた天津・北京の「回教会」を連合する形で「中国回教総聯合会」が成立します。
同「聯合会」が発行していたモノの一つに、『回教週報』という新聞があるのですが、
同紙所載記事の中に、「回族將軍李際春東山再起-榮任冀東宣撫使」(『回週報』第八十五期、民國三十一(1942)年四月廿四日、第三版)と、
「李際春」という人物を「回族」と呼んでいるものがありまして。
同記事で取り上げられた人物には「前冀東保安隊司令」との「称号」も附せられ、
先に触れた「漢奸」と同一人物であることは、ほぼ間違いないと思います。
(記事の内容自体は、「前の保安司令李際春将軍が御老体にも関わらず日本の華北治安維持に協力してくれるみたいだよ!」というものです)
また、傍証資料となるやはわかりませんが、
民国期から人民共和国期にかけての著名な音楽家李倫(1917-2001)についての妹さんの語りをもとにしたと思しき記事によると、
「伯父の李際春が漢奸の為…」と、回族である李氏と「李際春」とは親族関係にあったことが述べられています。

以上、日本の華北占領に加担した「李際春」はムスリムである可能性が強い、という説の根拠になるわけですけれど、
同人物が山口淑子氏の「義父」と同一人物かどうかについては、今のところ(私が不勉強なのもあり)山口氏自身の伝記の記述によるしかないので、
決定的な証拠を出せと言われると、「うーむ」という感じです…。
山口氏によれば、「李将軍」と御尊父とは「酒をくみかわし放歌放吟したり天下国家を論じあう」仲で、
「第二夫人」は「満族出身」だったとのことですが(上掲書、33-34頁)、
当時の回民でそんな家庭ってあったのでしょうか。
ちょっとよくわかりません。

ただ、時間は前後しますが、
今まさに私がやっている「満洲伊斯蘭協会」関連でいえば、
同会の改組会議(1938年6月27日)に、
顧問という肩書で、「回教名流李際春」が参加した、なんて文献記事もあるのですよね。
この李さんという人物、ちょっと気になるこの頃です。

それでは。