れすぃむり るーずなーめむ

一個研究現代東北回民史之人的日常記録。

A Great Sage in the West。

2009-04-30 16:55:09 | Gunlerimden
こんにちは。

先週・今週と、
講義にて「中国のムスリム武術」なる英語論文の要約報告をいたしまして。
回族たちによる中国武術の「イスラーム化」みたいなことが扱われておりました。
同論文で資料として用いられていたのは口頭伝承にまつわるインタヴューでしたが、
文献上に残っている説話の類でも似たような例があるのではないかと。

例えば、先秦諸子の一つ『列子』の「仲尼」篇に、こんな話が有ります。

商太宰見孔子曰。丘聖者歟。孔子曰。聖則丘何敢。然則丘博學多識者也。商太宰曰。三王聖者歟。孔子曰。三王善任智勇者。聖則丘不知。曰。五帝聖者歟。孔子曰。五帝善任仁義者。聖則丘弗知。曰。三皇聖者歟。孔子曰。三皇善任因時者。聖則丘弗知。商太宰駭曰。然則孰者爲聖。孔子動容有曰。西方之人有聖者焉。不治而不亂。不言而自信。不化而自行。蕩蕩乎民無能名焉。
商太宰が孔子に聞いた。「そなたは聖人ですかな」
「どうして私が聖人などと言えましょうや。物事を広く学んで知ってはおりますが」
「三王は聖人ですかな」
「三王は知恵と勇気を用いるのにたくみでしたが、聖人かどうかはわかりません」
「五帝は聖人ですかな」
「五帝は仁愛と正義を用いるのにたくみでしたが、聖人かどうかはわかりません」
「三皇は聖人ですかな」
「三皇は時宜に応じた行いが出来ましたが、聖人かどうかはわかりません」
太宰は驚いて、
「では、いったい誰が聖人だとお考えか」
そこで孔子は居住まいを正し、一呼吸おいて言うには、
「西方に聖人がいて、ことさらに政治を行わずとも世の中は乱れず、何も言わずとも信用せられ、教化せずともその教えは行われ、その徳の広大無辺なさまに民は彼を何と呼んでよいかわからぬとのこと」

本来のテキストでは、これに続いて、
丘疑其爲聖。弗知眞爲聖歟。眞不聖歟。
「私は彼が聖人じゃないかと思うのですが、本当にそうなのかどうかは判りません」                           
商太宰嘿然心計曰。孔丘欺我哉。
商太宰は黙り込んで、「こいつ、私を馬鹿にしているのか」と思った。
で終わっているのですが。
唐代以降では、この「西方之人有聖者焉」の部分を以て、「仏陀を指すのだ」なんて言説が仏典にも見られるようになるのですけれど。
明末以降には何故か回民の手になる漢籍にもこの説話が引かれている例が出てくるのですね。

で、そうした回民による引用においては、
丘聞其聖人也。
「彼こそが聖人である、そう私は聞いております」
で文が終わっておりまして。
それに続いて著者のコメントがくるわけなのですが。

例えば、
惑曰。西方聖人未必非佛。噫。綱常乃聖人之本。彼無父無君。禁人婚娶。消滅人紀。叛違造化。孔子掃除異端。以佛爲聖。必不然也。(王岱輿『正教眞詮』「群書集考」)
「西方の聖人とは仏のことではないのか」という人がいる。やれやれ、三網五常こそ聖人の本分だというのに、彼は父も君主も無く、婚姻を禁じ、人の守るべき道を滅ぼし、造化に背いているではないか。孔子は異端の教えをはらい去られたのだから、仏を聖人とされることなど、絶対にありえないことだ。

とか、
道遍三皇。稱大聖於孔子。徳超五帝。
その道は三皇にあまねく、孔子には大聖と称され、その徳は五帝を超える。
蓋孔子東土覺命。後天地而生。知天地之始。先天地而没。知天地之終。其稱贊有如此。(馬注『清眞指南』「聖贊(預言者讃歌)」)
思うに、孔子は東方で天命を悟り、天地より後に生まれながらその初めを知り、天地より先に没しながらその終わりを知っていた。それ故この様に称賛したのであろう。

なんて書かれていたりします。
要は孔子が預言者の出現を予言していた、というコトなのですが、
これも道家的な説話の「イスラーム化」の一事例、と見做すことができるんじゃあるまいか、と考えました。
こういう事例を色々集めていったら、何か面白いコトが言えるかも、などと思ったり。
まあ、単なる妄想かもしれませんけれど(笑)

それでは。






「中国ムスリム研究会」第17回定例会のお知らせ。

2009-04-19 12:12:39 | Haberler
こんにちは。
以前より何度か参加させて頂いている中国ムスリム研究会の定例会が、
六月末に早稲田大学で催されるとのことですので、今回はそちらを紹介。
以下、当該研究会HPより関連情報を引用します。


日時:2009年6月27日(土)13:00~19:00

会場:早稲田大学早稲田キャンパス9号館9階917号室アジア研究機構会議室
   *アクセスマップ http://www.waseda.jp/jp/campus/waseda.html

研究発表:
13:00~13:15 事務局挨拶

13:15~14:00 発表1
発表者:松本和久(早稲田大学大学院博士課程)
テーマ:「新疆への漢族進出と生産建設兵団――解放軍主導の辺境開発」(仮題)

14:00~14:45 質疑応答

14:45~15:00 休憩

15:00~15:45 発表2
発表者:今中崇文(総合研究大学大学院博士課程)
テーマ:「地域と国家の間に立つアホンたち――西安・化覚巷清真大寺の事例から」(仮題)

15:45~16:30 質疑応答

16:45~17:00 休憩

17:00~17:45 発表3
発表者:佐藤 航(神戸大学大学院修士課程修了)
テーマ:「香港のムスリムと中華回教博愛社」(仮題)

17:45~18:30 質疑応答

――――引用ここまで―――

今回の報告は皆かなり近現代・現代よりの内容のようです。
個人的には色々勉強させて頂けそうなので、恐らく参加させて頂くと思います。
なお、定例会後は懇親会もあるとのことですので、
そちらに参加される方は、
リンク先の事務局の方まで御連絡されたら宜しいかと思います。

それでは。

『僕僕先生』。

2009-04-06 16:32:15 | Kitaplar
こんにちは。
一昨日所用にて市内地に出ていた折、
書店にてこんな本が目にとまり、ついうっかり買ってしまいました。
仁木英之『僕僕先生』新潮文庫、2009年。
ここ2・3年、所謂「古典」か一部海外のものを除き、
文学書の類を全く買っておりませんでしたが。
思えば、こうした中華な設定にて何となくのほほーんな主人公が出てくるハナシには、
もとより弱いタチではあったワケで。
同作品も獲得した「日本ファンタジーノベル大賞」の過去受賞作品である、
『雲のように、風のように』とか、『酒仙』とかも、
文庫版ではありながらも、しっかり実家にあったりするのですよね。

一応粗筋だけでも紹介しておくと、
山東生まれの覇気の無い一青年が、
道家趣味のある親父の縁でさる女仙に弟子入りし、
師匠の気の赴くまま、あれやこれやの道行につき従うというもの。

まぁ、ベタと言えばベタな流れなのですが。
ハナシの運び方がなかなか上手いし、
何より(文献上にも出てくる道家の「神格」も含めて)各キャラが「立っている」。
いや、この歳で「自分の研究以外」で「キャラ萌え」するとは思いませんでした(笑)

当該作品は既に続編・続々編が単行本にて交通しているようで、
随分人気があるようで(wikipediaに項目が立ってました 笑)、
それだけに発売元の新潮社もえらくプッシュしているとの由。
で、当方もそれに少しばかりそれに乗せられてもよいかな、と(笑)
えー…「中華趣味」をお持ちの方は、買われて損はないです。
ないはずです。多分。

それでは。

清真料理@B××。

2009-04-03 18:39:01 | Yemekler
こんにちは。

本日後輩に言われてようやく知ったのですが、
所属先の別キャンパスの学食で、ハラールのメニューが出るようになった由。
何でも理工系のキャンパスゆえ、留学生が多く、それを考慮してとの対応とのこと。
…いいなあ。

ここ数年、学内の所蔵スペースに限りが出てきたとかで、
人文系の書籍・雑誌まで当該校舎に飛ばされることがちらほらありますが。
丁度いい機会ではあるし、今度史料閲覧がてら、
久方振りにあちらに行ってみてもいいかもしれませんね。

それでは。





ある回民「儒者」。

2009-04-01 23:44:46 | Gunlerimden
こんにちは。

ここ数日、自分の扱う問題関連史料の整理の傍ら、
日本占領期の北京で「傀儡」として活動した(とされる)さる回民の著作に目を通しております。
正直中身的にはそんなに深遠なモノは無いと思うのですが、
(あくまでも、個人的には、ですが)
彼が(本籍地ではないが)私の専門とする地域から北京に来たというのと、
近現代の回民としては随分儒学寄りの言説を展開しているのがちょっと気になっておりまして。

昨年より「回儒」と呼ばれる人々の著作に関する研究に触れることが増えつつありますけれど、
上記人物はカッチリした神学よりは実践道徳の方に重きを置いているようですし、
今わかる範囲での経歴を見ても、「学者」というのとはちょっと違うかなと。
でも『論語』『易』とか大好きみたいなんですよね(笑)

彼の人のメンタリティが同時代の回民に理解されたかどうかはまた別問題としても、
ちゃんと調べたら面白い人物だとは思います。

何かしらまとまった知見を得られたら、
またこちらにも書かせて頂くかもしれません。
具体的なコトを全く書けずに済みませんが。

それでは。