こんにちは。
先週・今週と、
講義にて「中国のムスリム武術」なる英語論文の要約報告をいたしまして。
回族たちによる中国武術の「イスラーム化」みたいなことが扱われておりました。
同論文で資料として用いられていたのは口頭伝承にまつわるインタヴューでしたが、
文献上に残っている説話の類でも似たような例があるのではないかと。
例えば、先秦諸子の一つ『列子』の「仲尼」篇に、こんな話が有ります。
商太宰見孔子曰。丘聖者歟。孔子曰。聖則丘何敢。然則丘博學多識者也。商太宰曰。三王聖者歟。孔子曰。三王善任智勇者。聖則丘不知。曰。五帝聖者歟。孔子曰。五帝善任仁義者。聖則丘弗知。曰。三皇聖者歟。孔子曰。三皇善任因時者。聖則丘弗知。商太宰駭曰。然則孰者爲聖。孔子動容有曰。西方之人有聖者焉。不治而不亂。不言而自信。不化而自行。蕩蕩乎民無能名焉。
商太宰が孔子に聞いた。「そなたは聖人ですかな」
「どうして私が聖人などと言えましょうや。物事を広く学んで知ってはおりますが」
「三王は聖人ですかな」
「三王は知恵と勇気を用いるのにたくみでしたが、聖人かどうかはわかりません」
「五帝は聖人ですかな」
「五帝は仁愛と正義を用いるのにたくみでしたが、聖人かどうかはわかりません」
「三皇は聖人ですかな」
「三皇は時宜に応じた行いが出来ましたが、聖人かどうかはわかりません」
太宰は驚いて、
「では、いったい誰が聖人だとお考えか」
そこで孔子は居住まいを正し、一呼吸おいて言うには、
「西方に聖人がいて、ことさらに政治を行わずとも世の中は乱れず、何も言わずとも信用せられ、教化せずともその教えは行われ、その徳の広大無辺なさまに民は彼を何と呼んでよいかわからぬとのこと」
本来のテキストでは、これに続いて、
丘疑其爲聖。弗知眞爲聖歟。眞不聖歟。
「私は彼が聖人じゃないかと思うのですが、本当にそうなのかどうかは判りません」
商太宰嘿然心計曰。孔丘欺我哉。
商太宰は黙り込んで、「こいつ、私を馬鹿にしているのか」と思った。
で終わっているのですが。
唐代以降では、この「西方之人有聖者焉」の部分を以て、「仏陀を指すのだ」なんて言説が仏典にも見られるようになるのですけれど。
明末以降には何故か回民の手になる漢籍にもこの説話が引かれている例が出てくるのですね。
で、そうした回民による引用においては、
丘聞其聖人也。
「彼こそが聖人である、そう私は聞いております」
で文が終わっておりまして。
それに続いて著者のコメントがくるわけなのですが。
例えば、
惑曰。西方聖人未必非佛。噫。綱常乃聖人之本。彼無父無君。禁人婚娶。消滅人紀。叛違造化。孔子掃除異端。以佛爲聖。必不然也。(王岱輿『正教眞詮』「群書集考」)
「西方の聖人とは仏のことではないのか」という人がいる。やれやれ、三網五常こそ聖人の本分だというのに、彼は父も君主も無く、婚姻を禁じ、人の守るべき道を滅ぼし、造化に背いているではないか。孔子は異端の教えをはらい去られたのだから、仏を聖人とされることなど、絶対にありえないことだ。
とか、
道遍三皇。稱大聖於孔子。徳超五帝。
その道は三皇にあまねく、孔子には大聖と称され、その徳は五帝を超える。
蓋孔子東土覺命。後天地而生。知天地之始。先天地而没。知天地之終。其稱贊有如此。(馬注『清眞指南』「聖贊(預言者讃歌)」)
思うに、孔子は東方で天命を悟り、天地より後に生まれながらその初めを知り、天地より先に没しながらその終わりを知っていた。それ故この様に称賛したのであろう。
なんて書かれていたりします。
要は孔子が預言者の出現を予言していた、というコトなのですが、
これも道家的な説話の「イスラーム化」の一事例、と見做すことができるんじゃあるまいか、と考えました。
こういう事例を色々集めていったら、何か面白いコトが言えるかも、などと思ったり。
まあ、単なる妄想かもしれませんけれど(笑)
それでは。
先週・今週と、
講義にて「中国のムスリム武術」なる英語論文の要約報告をいたしまして。
回族たちによる中国武術の「イスラーム化」みたいなことが扱われておりました。
同論文で資料として用いられていたのは口頭伝承にまつわるインタヴューでしたが、
文献上に残っている説話の類でも似たような例があるのではないかと。
例えば、先秦諸子の一つ『列子』の「仲尼」篇に、こんな話が有ります。
商太宰見孔子曰。丘聖者歟。孔子曰。聖則丘何敢。然則丘博學多識者也。商太宰曰。三王聖者歟。孔子曰。三王善任智勇者。聖則丘不知。曰。五帝聖者歟。孔子曰。五帝善任仁義者。聖則丘弗知。曰。三皇聖者歟。孔子曰。三皇善任因時者。聖則丘弗知。商太宰駭曰。然則孰者爲聖。孔子動容有曰。西方之人有聖者焉。不治而不亂。不言而自信。不化而自行。蕩蕩乎民無能名焉。
商太宰が孔子に聞いた。「そなたは聖人ですかな」
「どうして私が聖人などと言えましょうや。物事を広く学んで知ってはおりますが」
「三王は聖人ですかな」
「三王は知恵と勇気を用いるのにたくみでしたが、聖人かどうかはわかりません」
「五帝は聖人ですかな」
「五帝は仁愛と正義を用いるのにたくみでしたが、聖人かどうかはわかりません」
「三皇は聖人ですかな」
「三皇は時宜に応じた行いが出来ましたが、聖人かどうかはわかりません」
太宰は驚いて、
「では、いったい誰が聖人だとお考えか」
そこで孔子は居住まいを正し、一呼吸おいて言うには、
「西方に聖人がいて、ことさらに政治を行わずとも世の中は乱れず、何も言わずとも信用せられ、教化せずともその教えは行われ、その徳の広大無辺なさまに民は彼を何と呼んでよいかわからぬとのこと」
本来のテキストでは、これに続いて、
丘疑其爲聖。弗知眞爲聖歟。眞不聖歟。
「私は彼が聖人じゃないかと思うのですが、本当にそうなのかどうかは判りません」
商太宰嘿然心計曰。孔丘欺我哉。
商太宰は黙り込んで、「こいつ、私を馬鹿にしているのか」と思った。
で終わっているのですが。
唐代以降では、この「西方之人有聖者焉」の部分を以て、「仏陀を指すのだ」なんて言説が仏典にも見られるようになるのですけれど。
明末以降には何故か回民の手になる漢籍にもこの説話が引かれている例が出てくるのですね。
で、そうした回民による引用においては、
丘聞其聖人也。
「彼こそが聖人である、そう私は聞いております」
で文が終わっておりまして。
それに続いて著者のコメントがくるわけなのですが。
例えば、
惑曰。西方聖人未必非佛。噫。綱常乃聖人之本。彼無父無君。禁人婚娶。消滅人紀。叛違造化。孔子掃除異端。以佛爲聖。必不然也。(王岱輿『正教眞詮』「群書集考」)
「西方の聖人とは仏のことではないのか」という人がいる。やれやれ、三網五常こそ聖人の本分だというのに、彼は父も君主も無く、婚姻を禁じ、人の守るべき道を滅ぼし、造化に背いているではないか。孔子は異端の教えをはらい去られたのだから、仏を聖人とされることなど、絶対にありえないことだ。
とか、
道遍三皇。稱大聖於孔子。徳超五帝。
その道は三皇にあまねく、孔子には大聖と称され、その徳は五帝を超える。
蓋孔子東土覺命。後天地而生。知天地之始。先天地而没。知天地之終。其稱贊有如此。(馬注『清眞指南』「聖贊(預言者讃歌)」)
思うに、孔子は東方で天命を悟り、天地より後に生まれながらその初めを知り、天地より先に没しながらその終わりを知っていた。それ故この様に称賛したのであろう。
なんて書かれていたりします。
要は孔子が預言者の出現を予言していた、というコトなのですが、
これも道家的な説話の「イスラーム化」の一事例、と見做すことができるんじゃあるまいか、と考えました。
こういう事例を色々集めていったら、何か面白いコトが言えるかも、などと思ったり。
まあ、単なる妄想かもしれませんけれど(笑)
それでは。