れすぃむり るーずなーめむ

一個研究現代東北回民史之人的日常記録。

大陸でも。

2006-09-30 18:48:13 | Gunlerimden
こんにちは。

ここ2・3日、
ずっとアラビア文字の資料ばかり見ておりましたので、
今日は息抜きにと、
漢語文献(古典・現代語両方)を集中的に読んだのですが。

20世紀初頭に作成された、
中国東北部の地方誌を読んでおりますと、
「ムハンマドは左手にクルアーン、
右手に剣を持って、
暴力で征服活動を行った」云々、
なんて記述が。

同地方誌にはキリスト教(カトリック・プロテスタント)の記述もありますので、
上述した文言は、
おそらく「宣教師」の将来した「情報」なのでしょうけれど。

ヨーロッパのイスラームに対する「イメージ」が、
明治期以降の日本に影響を与えたのは、
よく知られているとは思いますが。
中国でも似た様な事例が見られるとは、
思ってもみませんでしたよ。

それでは。



ヴェトナムのイスラーム。

2006-09-29 20:26:53 | Gunlerimden
こんにちは。
今日久方振りに知人の迷路人氏と少しやり取りをしたのですが、
何でも数日ほどヴェトナム・タイの方を廻られてきたとのこと。
クーデターが起こった直後のバンコクにも滞在したそうですが、
氏曰く、「やつら暢気過ぎ。記念写真撮っていたし」と。
報道で伝えられているよりは、随分静かだったようです。

で、お土産、ということなのでしょうが、
イスラーム関係をやっている私に気を使ってか、
あちらのモスクの写真を幾つか頂きました。
今回あげた写真は首府ハノイにあるAl-Nūrモスクのものですが、
他にもホーチミンやバンコクなど、
様々なシロモノを頂戴いたしました。

写真を頂いたついでに、ちょこっと調べてみたのですけれど、
ヴェトナムにも結構いるのですね。ムスリム。
当地では人口比としては少数派の彼らですが、
17世紀には略全員が信徒となったとされるチャム族の人々、
南アジア出身者(所謂印僑)を中心とする「外来」の人々、
そして現代新たに入信したヴェト人改宗者の人々、
と、その内訳も多種多様で、
それぞれの共同体に応じたモスクが各地に存在しているみたいです。
信徒同士の情報のやりとりも、
情報伝達手段の発達に伴って盛んになりつつあるらしく、
ヴェトナム語によるムスリムのHPなんかも、少なからず存在するようで。
(例えば、これとか)

東南アジアでイスラーム/ムスリムといえば、
一般的にはマレーシアやインドネシアが想起されると思うのですが。
仏教徒の国と認識されることが多いヴェトナムにおいても、
こうした風景を見られるのって、ちょっと面白いですね。

私も機会が有れば、一度彼の地に足を運んでみたいものです。

それでは。

Japonya’da tercume-i Letaif-i Molla Nasreddin。

2006-09-28 16:34:47 | Kitaplar
こんにちは。
昨日、修士論文を書く上での補充材料でもないかと、
戦中期(1938‐45)に刊行された『回教圏』なる雑誌(復刻版)に、
第一巻から最終巻まで目を通したのですが。
「大陸政策」の必要性が盛んに喧伝されていた時代にあっては珍しく、
政治的問題のみならず、各国各地の風俗・歴史に関する論考、
それに多くの外国語論文・小説の邦訳が掲載されておりまして。

例えば、現在では日本でも比較的よく知られるようになった、
トルコの笑話「ナスレッディン・ホジャ」話が、
第七巻(1943)の第五号(pp.58-71)、第六号(pp.47-59)、
第七号(pp.58-71)、第十号(pp.43-58)、
と四回に分け、総計100話訳出されています。

訳者の小知徹二氏の「はしがき」によれば、
同訳は近現代トルコの文学者Veled Çelebi İzbudak氏の手になる、
Letâif-i Hoca Nasreddin(1907)を元にしたものだそうで。
同書は共和国成立後、新文字でも出版されているようですが、
この邦訳で用いたテクストは、第四版のアラビア文字のものだとのこと。

今日日本で最も人口に膾炙している「ホジャ話」は、
東洋文庫版の護雅夫先生の訳書であると思いますが、
戦中にもオスマン語原典から訳出されていたなんて、
興味深いことだと思うのですけれどね。個人的には。

それでは。

るーぜなーめむ その⑤。

2006-09-28 12:09:35 | Ruzenamem
こんにちは。
今日で断食も5日目になります。

朝4時前に起床、食事。
一息ついたところで翻訳/修士論文作成作業。
ついで30分ほどタタール語タフスィールの勉強。
で、身支度を整えて8時前にバイトのため大学へ。

というのが、今日今までの私の行動のあらましですが。
しばらくこんな感じの生活が続くんでしょうね。
どちらかというと朝の方が色々出来るニンゲンですので、
このタイムスケジュールは自分には丁度いいかな、
と思ってはいるのですが。

それでは。

るーぜなーめむ その④。

2006-09-27 18:49:21 | Gunlerimden
こんにちは。
断食日記第4回目です。

今日も夕方6時少し前に断食を解くまで、
14時間ほど胃の中に何も入れぬまま過ごしたのですが。
流石に四日目にもなると、少し余裕が出てきますね。

正午からバイトで3時間ほど外におりましたが、
さして消耗することもなく、勤務時間を過ごせましたし。
その後は昨日頂いた課題(オスマン語筆写)に取り掛かり、
こちらも「開斎」の少し前には一通り終えることが出来ました。

体が「るーぜ・もーど」になりつつあるのでしょうか。
(るーぜrūzeというのはペルシア語で「断食」の意味です。念の為)

で、
どうせ断食するなら他にももっとやってやれと、
昨晩から、
手持ちのクルアーンのタタール語タフスィールを読む、
なんてことも始めました。
タタール語といってもアラビア文字で書かれたものなので、
件のオスマン語文献同様、一度に余り読めないのですが。
むかし読んだこんな本こんな本の中味を思い出しつつ、
ラマザーンが終わるまでに最後までいければいいな、
と考えてはいるのですが。
どうなりますやら。

それでは。