れすぃむり るーずなーめむ

一個研究現代東北回民史之人的日常記録。

On the“Stepfather” of “Li Xianglan”

2010-02-26 01:09:18 | Gunlerimden
こんにちは。
今回は先のエントリにも書かせて頂いた通り、
李香蘭こと山口淑子氏の「義父」となった人物について少し。
…ただ、尻切れ蜻蛉の感は否めないと思いますが…。

1920年に撫順で生まれた山口氏は、
満鉄勤めであった父君が、同地で起こった炭鉱襲撃事件との関連を疑われたため、
奉天(現瀋陽)に居を移すこととなりました。
そして、彼女の「自伝」『李香蘭-私の人生-』によると、
奉天に移住した山口家には「隣家の李際春将軍という父の親友の第二夫人と、そのおつきの召使い」が新しい「同居人」として越してきたそうです。
「李際春」は「昔、山東を守っていた軍閥の領袖で、もともとが東北地方の軍政上の重要人物」であり、
「当時は瀋陽銀行総裁の地位にあっ」て(上記『李香蘭』新潮文庫版、32-33頁)、
山口女史の父君は李と「家族ぐるみの交際をするちぎりを固めるために」御息女を同氏の養子とされたとのこと。

さて、この「李際春」という人ですが、
同じ名前の人物が、
日中戦争勃発以後、日本軍の華北占領に協力した「漢奸」の中にいるのですね。
彼は天津特務機関による溥儀の身分確保の際には、目暗ましの為騒ぎを起こすなどして協力、
熱河占領後も南下を続けた関東軍に「救国遊撃隊」を率いて追随したといわれており、
塘沽停戦協定締結後、その軍隊の一部は停戦ラインとされた現河北省東部一帯の保安警察隊へと整理・再編させられた、とされています。
民国期中国史で、「満洲事変」から「満洲国」の領土画定/日本の「華北分断政策」進展という流れを抑えていくならば、
一度はその名を目にする人物なのではないでしょうか。
山口氏は戦後に同「李際春」のことを知って、御自分が見知っておられた「李将軍」と同一人物であるとされているのですが(上掲書、38頁)、
もしそうだとしたら、私からみれば大変面白い「事実」であるといえます。
というのも、「漢奸」「李際春」は回民、つまりムスリムであった可能性が強いからです。

「盧溝橋事件」以後、日本が積極的に華北への侵出を進める中で、
日本軍は当地のムスリム住民への宣撫工作を重視することとなり、
1938年2月には、当地の日本軍特務により成立していた天津・北京の「回教会」を連合する形で「中国回教総聯合会」が成立します。
同「聯合会」が発行していたモノの一つに、『回教週報』という新聞があるのですが、
同紙所載記事の中に、「回族將軍李際春東山再起-榮任冀東宣撫使」(『回週報』第八十五期、民國三十一(1942)年四月廿四日、第三版)と、
「李際春」という人物を「回族」と呼んでいるものがありまして。
同記事で取り上げられた人物には「前冀東保安隊司令」との「称号」も附せられ、
先に触れた「漢奸」と同一人物であることは、ほぼ間違いないと思います。
(記事の内容自体は、「前の保安司令李際春将軍が御老体にも関わらず日本の華北治安維持に協力してくれるみたいだよ!」というものです)
また、傍証資料となるやはわかりませんが、
民国期から人民共和国期にかけての著名な音楽家李倫(1917-2001)についての妹さんの語りをもとにしたと思しき記事によると、
「伯父の李際春が漢奸の為…」と、回族である李氏と「李際春」とは親族関係にあったことが述べられています。

以上、日本の華北占領に加担した「李際春」はムスリムである可能性が強い、という説の根拠になるわけですけれど、
同人物が山口淑子氏の「義父」と同一人物かどうかについては、今のところ(私が不勉強なのもあり)山口氏自身の伝記の記述によるしかないので、
決定的な証拠を出せと言われると、「うーむ」という感じです…。
山口氏によれば、「李将軍」と御尊父とは「酒をくみかわし放歌放吟したり天下国家を論じあう」仲で、
「第二夫人」は「満族出身」だったとのことですが(上掲書、33-34頁)、
当時の回民でそんな家庭ってあったのでしょうか。
ちょっとよくわかりません。

ただ、時間は前後しますが、
今まさに私がやっている「満洲伊斯蘭協会」関連でいえば、
同会の改組会議(1938年6月27日)に、
顧問という肩書で、「回教名流李際春」が参加した、なんて文献記事もあるのですよね。
この李さんという人物、ちょっと気になるこの頃です。

それでは。

京都のアラビア語教室。

2010-02-24 23:49:14 | Haberler
こんにちは。
久方振りのエントリとなります。

前回の投稿以後、東都にて今更ながら文献調査、
そして帰京も今更ながら文献閲覧@所属先、
という日々を送っておりますが。
その副産物というか、何というか、
一つの面白い「説」を示す文献を見つけまして。

そのことについて書きたいのは山々なのですが、
史料的にもう少し検討の余地があるので、改めて書かせて頂ければと。
ただ、どの様な「説」かとだけ申し上げておきますと、
こちらでも何度か関連ドラマを取り上げております、
李香蘭こと山口淑子女史に関するもので。
大陸滞在時に彼女の「義父」となった人物の一人が、「回族」だったというものです。

で。
今回は簡単に(て、前振りが長すぎますが)、
京都市で行われているアラビア語教室について紹介させて頂こうかと。
ここなのですけれど。
特定地域の口語をガチで勉強したいという方以外ならば、
(恐らくそういった要望の方には別途何かしらのフォロウがあると思います)
読書きには必ず益あるものではないかと。
近畿圏で関心を持たれた方は、是非是非。

それでは。




近況。

2010-02-11 22:39:14 | Gunlerimden
こんにちは。
先のエントリより、あれやこれやで、こちらにも書き込めず仕舞。
備忘録代わりといってはアレですが、
簡単にここ半月のことなど書かせて頂こうかと。

先月末に、古巣の修士提出祝賀会に参加しました。
所用にて、六時開始の所を七時過ぎに伺ったのですが、
殆ど食べるものもなく終了までいた為、
首脳陣をひっ捉えて、拙宅で二次会という名の何かをやらせて頂きました(笑)

今月1日にはバイト先の懇親会。
こちらは市内上京区の某所でやったのですが、
魚メインの店ということで、万人に優しい品々が出てきました。
いや、美味しかった。

今月3日より3日ほど所属先でバイト。
何とはいえませんが、色々勉強させて貰いました。

7日から二泊三日で某研究会の合宿に参加。
最終日は実家に一泊し、昨日帰京。


で、このこれとかこれを手に入れて、
今更ながら未フォローの文献閲読の必要性に悩んでいると。
やばいですなぁ…。

でも、余裕があれば、
また今月中に東都には行くかもしれません。
…最後の悪あがきかも(笑)

それでは。